mixiユーザー(id:429476)

2015年07月30日18:14

1228 view

チョコレートドーナツ

映画『チョコレートドーナツ』を見ました。これも、上映の時、見に行こうと思って行けなかったもの。WOWOWで見ました。見た方が「良い映画。」と言っていた意味が見て分かった。
原題は『Any Day Now(今が、どんな日でも)』。
私、邦題の『チョコレートドーナツ』というタイトル、良いと思います。だって、キーパーソンのマルコがドーナツを食べた時のあの笑顔は、最高の笑顔だったから。
そして、映画を全部みると、原題のAny Day Nowの意味が分かる。なるほど、今がどんな日でも・・だねと。

この映画は、実話をモティーフとして描かれています。 『1970年代のニューヨークのブルックリンでゲイの男性が育児放棄された障害児を育てた』という実話が元です。

2012年アメリカ制作の映画で、監督はトラヴィス・ファイン。脚本はジョージ・アーサー・ブルームと、トラディス・ファイン。

ざっくり粗筋。
1979年。ゲイバーで、歌とダンスで生計を立てているルディ。彼は、バーに来ていた検察局勤めの弁護士ポールに一目惚れ。お互い一目惚れだったらしく、恋に落ちる。そんな折、ルディの隣人宅から、母親が家を出て行くところを目撃。家に取り残されたのは、マルコというダウン症の15歳の少年だった。少年の母親は、麻薬依存者で、警察に捕まり、3年の実刑をくらう。
その後、マルコが、家庭局より派遣された職員に、施設に連れて行かれる現場にルディが遭遇。
マルコは連れて行かれてしまう。ルディは、マルコを気の毒に思い、ポールに相談するも、取り合ってもらえなかった。しかし、マルコは、施設が合わず、そこから出て行ってしまい街を彷徨う。その途中ポールと一緒だったルディに出会う。ルディは一大決心をする。マルコを自分で育てようと言うのだ。

ルディは、検察局勤めのポールに相談。マルコの母親に、承認用紙を書いてもらい、暫定的な監督者となることに。その際ポールは「2人が同性愛者と言えば、許可は下りない。従兄弟同士というコトに。」とルディを説得。関係を偽った。
ポールは、ルディに「マルコと一緒に同居しないか?」と持ちかける。彼ら3人は家族となり、幸せに暮らす。ハロウィンパーティで楽しそうにはしゃぎ、マルコを海へ連れて行く。本当の子供同様にマルコに接するルディとポール。マルコは、障害児のための学校にも通えるようになる。

ところが、ポールとルディの関係を怪しんでいたポールの同僚により、2人の関係は、従兄弟ではなく、恋人同士であるとばれてしまう。ルディは監督者の資格を剥奪され、マルコは施設に送られる。その上、ポールは、職場を解雇される。
2人は、暫定監督者と認めてもらう裁判を起こす。しかし、裁判所は、彼らを、「2人は同性愛者である。普通ではない。普通ではない家庭で、まともに子育ては出来ない。」と判断。彼らを監督者として認めようとしない。検事も、彼らを貶めるような発言ばかりする。結果は敗訴。
彼らは、黒人の弁護士ロニーに助けを求める。暫定的監督権の裁判は敗訴。それならと、彼らは、暫定的な監督者ではなく、永続的な監督者として、認めてもらおうと再び裁判を起こす。

2人は、無事、マルコを自分たちの子供として育てられるのか?そんなストーリー。

まず、ダウン症の少年マルコ役のアイザック・レイヴァの演技が、物凄く良い!!本人もダウン症なのかな?と思うんだケド(今調べた。そうだった)。
マルコはチョコレートドーナツが好物なのだが、ルディは最初、「ドーナツなんて体に悪いは。」と言って、マルコにドーナツを食べさせない。でも、ポールと一緒に住むようになり、ポールは「少しなら、大丈夫さ。」と言って、マルコにチョコレートドーナツをあげる。それを1口食べた後、ニッコ〜と満面の笑みで「thank you」というマルコが、良い!あの笑顔。素晴らしい。

マルコは、寝る前に、ルディにお話しをしてもらうのが好きなのだが、マルコは必ず「ハッピーエンドのやつね。」と言う。ルディは、自作のお話を披露する。魔法使いの少年物語。魔法少年は、パパ、ママ、そしてちょっとおこりんぼうの妹と暮していました・・・・。マルコ「少年の名前は?」 ルディ「勿論マルコよ。」 満面の笑みのマルコ。このシーンも凄く好きだ。

マルコの母親は、ジャンキーで、今まで愛情も受けていない。男をひっぱりこんじゃ、ドラックをきめてセックスするような母親なので、マルコは孤独でもあったんだろうね。いつも、人形のアシュリーを抱えていて、それがお友達。顔も無表情。それが、ルディとポールと暮らすようになってから、笑顔が出て来て、笑うようになるし、楽しそうに振る舞う。

ポールの家に来て、マルコが「ここがボクのうち?」と訊く。「そうよ。」とルディが言うと、突然マルコは泣き出す、ルディが吃驚して駆け寄ると、「嬉しい。」と言い、ルディに抱きつき、「有難う。」と言う。マルコを抱きしめ返してルディが言う。「泣いて良いのよ。嬉しくて泣いているんだもの。」

3人は、本物の家族以上に家族なのに・・・。幸せなのに・・・。2人の関係は従兄弟ではなく、同性愛者のカップルであるとバレてしまう。ポールの同僚が怪しんでいて、そもそも、この2人、反りが合わないらしく、その辺りでポールを貶めたかった目的もあるようなのだが。

「従兄弟」という虚偽の発言をしたことと、同性愛者は異常なので、異常な家庭で正常な子育てが出来るワケはないという理由により、暫定監督者の権利を剥奪される。そこで、裁判を起こす2人。
皮肉なのは、ポールは、元々は父親の会社で働いていたのだが、「法律が、真の人間を救う。」と考えて、彼は法律学校で勉強し、検察局に勤めた。その法律が敵となる。

同性愛=異常者として扱っているから、判事もこんなコトを言う。「同性愛者の家庭で子供を育てたら、将来、男性同士のカップルを、まともなカップルと思う子供に育ってしまう。それで健全な子供に育つワケがない。」
これ、今の感覚だったら、判事の言ってるコトの方が偏見バリバリで、そもそも、じゃあ、同性愛=異常で良いとしましょう。でも、異常な家庭であっても、本人のマルコが、2人と暮したがっているのなら、別に、異常家庭で育てても良いじゃないか・・・と。普通ではない家庭で育つコトが「不幸である。」と、本人ではなく、他人が決めている、この気持ち悪さね・・・。

検事の尋問も、偏見に満ち満ちた質問なのだが、そして、この映画で見ると検事がスゲエ悪者に見えるんだが、別の角度から見れば、彼は、仕事をしてるだけなんだよね。何とか、この2人を敗訴にして、施設に子供を入れて“健全”に育ててやらねば・・という、ある意味、全くのおせっかいなのだが、それが法律というものに守られてしまう。
ポールが、人を救うと信じていた法律にね。

終盤、黒人弁護士の元に行くルディとポール。その弁護士は言い放つ。「法律は、人を救わないなんて、法律学校で最初に習っただろう?」 彼は黒人だから、差別も受けているだろうし、身に染みて、その辺り分かっているんだろう。

これ、上手いな・・・と思ったのが。検事がルディに「あなたは、マルコの前で女装はしたことありますか?」と訊く。ルディは、職場のゲイバーへ営業外の時に連れて行ったりはしていたが(因みに、マルコはディスコダンスが得意なのだ)、マルコの前で女装はしていない。・・・が、ハロウィンの時に、1度、コスプレとしてフランケンシュタインの花嫁の格好をしてるんだ。マルコがフランケンシュタインで。その楽しそうな映像は、この映画の『楽しく暮らしましたパート』の時に出て来るのだが、これが、この裁判では、「悪」になってしまう。ルディが「でも、あれは、コスプレよ?」と言っても、検事は「女装したかしないか訊いてるんだ。したのか、しないのか?」と問われれば、「した。」としか答えようがない。言いがかりに近いケドね。でも、仕方ないんだろうな。
こっちは、楽しそうなマルコを見てるから、余計このシーンが刺さる。「あの楽しそうな場面が、ここでは、不利な証拠になっちゃうんだ・・・。」と。

また、検事は、「マルコは人形遊びをしてるだろう。」と言う。男の子が人形好きなのは、異常ってコトだよね。でも、その人形のアシュリーは、マルコの友達で、マルコが2人に会う前から持ってるのに・・・。

裁判の時、判事にポールが言う台詞。「私はただ、制度の隙間から漏れてしまう子供を救いたいだけなんだ。」

有難いのは、彼らにも少しは味方がいる。・・・というか、いなかったら、辛くてこの映画見られないが・・・。
マルコが通っていた障害者学校の先生。先生は、ルディとポールが従兄弟だ・・と言っても、やはりそうは思わず「あ、カップルなんだ。」と気付くけど、偏見はなく(まぁ、偏見あったら、障害者学校の先生はやってないか(^_^;))、マルコが『家族』の絵を描いた時、その絵を「マルコが描いた絵です。2人のお父さんを描いてますよ。」と言う。2人が戸惑うと、「私は、あなた方の関係がどうであれ、気にしていません。」と言う。ポールとマルコが真剣に子育てしてるのは伝わったろうしね。

もう1人は、家庭局から聞き取り調査に来た女性。最初は疑心暗鬼で調査をしてるが、マルコに聴き取り調査をして、マルコが本当に2人と暮したがっているのが分かってくる。そして、彼らと話してみて、彼らがいかに、マルコの幸せを考えているか分かってくる。
この2人は裁判でも、良い証言をしてくれる。

それでも、判決は「ポール、ルディ、両氏の影響は、マルコに良い影響を与えていると判断は出来るが、2人は同性愛者であり、同性愛者のカップルという異常家庭に子供は任せられない。」というもの。

ポールは、この件が原因で検察局をクビになるのだが、「何ていう差別だ。」と言い、ルディが「差別じゃない。事実よ。」と言うのが凄い。凄くキレる台詞だった。そうか、ゲイバー歌手のルディの方が、こういう差別の事実は物凄く受けているだろうからね・・・。
因みに。ルディは「裁判に不利になる。」という理由で、ゲイバーの仕事を辞める。そこまでしても、裁判所は家族と認めないんだなぁ。

彼らは、黒人弁護士ロニーに助けを求める。ロニーは言う、「白人弁護士全てに断られて、仕方なしに俺のところに来たんだろう?」 2人とも渋い顔をする。図星なんでしょうね。被差別者のルディとポールが、ここでは、差別してた側になっている。この演出も好きだった。誰しも、たとえ、差別を受けている側でも、「誰かを差別してることはあるんだよ。」と言うね。

ルディが、マルコと電話で話すシーン。「暫くしたら、あなたを迎えに行けるは。」 マルコ「約束?」 この約束・・・「promise・・・?」の言い方が凄く切なかった。「本当なの?絶対だよ。」という気持ちが、弱いながらも入っている。施設に連れて行かれる時も「おうち?おうち?ここは、おうちじゃない。ぼくのおうちじゃない。」と呟くマルコ。

永続的監督権の裁判の時。ポールが最後に言う台詞が重い。「施設に入れてどうする?誰も彼を引き取らないぞ。障害者でデブで病弱な子供なんて、誰も欲しがらないからな!」
重いよ・・・これ・・・。でも、これ、事実ですよね。おそらく。

検察側は、物凄い作戦に出る。マルコの母親を仮出所させるんだ。「息子を引き取れ。それを条件に仮出所を早めてやる。」と言うコトね。母親には勝てない。今だったら、勝てるんだと思います。ネグレクト、虐待が明らかな母親に子供は返さない。今ならね。でも、当時は、母親の親権は絶対だったみたい。ロニーも「母親には勝てない。」という。

マルコは、母親の元に戻される。けれど結果は以前と同じ。母親は男を部屋に連れ込みドラックを吸い、マルコの前で男とセックスをしようとする。男は「廊下へ出てろ!バカだから分かんねえのか!」と言い、マルコを家から追い出す。街を彷徨うマルコ。お気に入りの人形アシュリーを抱いたマルコは橋のたもとへ来る・・・・。本当は、2人の元へ戻りたいのだろう・・・。

ポールが部屋で新聞を切りぬいている。手紙を書いているらしい。送っている相手は、裁判での判事、検事、かつての検察局の同僚・・・新聞記事に同封された手紙には、『税金の値上げや、飛行機事故の記事に隠れて、見つけられような小さな記事です。』とあり、『マルコという障害を持った15歳の少年が橋の下で、死体で発見されました。彼は3日間町を彷徨っていたそうです。』と続く。『あなた達は、マルコを良く知らないでしょうから、少し彼のことを紹介します。彼は、明るくて楽しく、ディスコダンスの天才でした。人形のアシュリーが好きで、チョコレートドーナツが好物で、ハッピーエンドの物語が好きな、優しい少年でした・・・』
このポールの手紙の語りが、手紙を読む判事や検察の人間などの合間に、マルコが町を彷徨う映像に挟まれ流れる。
ここで、私の涙腺崩壊。泣く。このやるせなさ・・・ね。

最後は、ゲイバーの歌手から、男性の格好でクラブで唄うクラブ歌手となったルディの力強くも、何処か切ない歌で終わる。
ルディ役のアラン・カミング、歌が上手い!ビックリ。ゲイバーのシーンは口パクなのだが、ルディの「仕方なく、口パクで唄っているの。本当は歌手になりたいんだけど。」という台詞がある。思わず「本当に仕方なく口パクだったんだ!」と思った。アランさんミュージカルにも出てる俳優さんだったみたい(調べた)。
唯一の救いは、ルディが歌手になれたコトだよな。、まだ、マルコと一緒に暮らしていた時、デモテープを色々なところに送るのだが、テープ1本1本にキスをして封をする。マルコが「なんでキスするの?」と訊き、「小さな幸運のおまじないよ。」と言って、マルコにもテープにキスさせる。「これが、合格ね。」と言うルディ。本当に、あのテープが合格になったのかな?と思った。最後にマルコが、ルディに幸せを運んだのかな?と。

終わり方に関しては賛否あるらしく、WOWOWで見てた時、イラストレーターの成瀬さん(かな?)は、「完全なハッピーエンドではなくて良いから、少し、何か幸せがあるよ・・・と匂わせる終わり方をして欲しかった。」と言っていた。
それも一理あるけれど、私は、このマルコが死んでしまう・・という終わり方で良かったような気がします。もんのすごい不幸だけれど、その不幸があるから、最後のルディの歌I Shall Be Releasedが、聖なる響きを持って聞こえるような気がするので。「もうすぐ解き放つ、輝け、輝け」。

あと、個人的に、裁判所での、監督権を受ける時に、判事がルディに「奥さんは?」と訊き、「目の前にいます。」と答えるのが好き。目の前にいたのはポール(笑)。すぐに、「夫人はいない。」って言うケドね。

悲しいだけではなく、コミカルなやりとりもあるので。

現在でも、同性愛者差別はありますよね。日本でも、トランスジェンダーの旦那の夫婦が里親になったら、文句が出た…って、mixiニュースでも取り上げていたよね。人の意見は色々だろうけれど、否定的な意見の方には、この映画を見て欲しい。「他の家族とは違うけれど、子供本人にとって、幸せなのは、どれなんだろう?何だろう?」と考えて欲しい。まぁ、勿論、それでも、「同性愛者は異常だから、子供なんか育てられるか。」という意見もあるとは思うけれどね。それでも、子供が一緒に家族になることを望んでいたら?何が正しいのだろうね。

好きな映画が、また1本出来ました。


予告編。見て少し思い出して泣いた。ドーナツ食べた時のマルコの笑顔が素敵だ。そして、外国のお菓子の色や飲み物の色が日本ではありえない色だ(^_^;)。マルコが飲んでるあの、青い飲み物なんだろう?誕生日ケーキも青いし・・・。


アラン・カミング(ルディ)が最後に唄う『I Shall Be ReleasedI 』。歌、上手いよね。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年07月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031