おそらく企画段階からの方針なんだろう。最近十作くらいの仮面ライダーは、意図的に作品世界を限定している。
その作品世界は、架空の都市や学園から一歩も出ない。限定された空間で、ゲームじみた戦闘が続くのが最近の仮面ライダーである。
限定されてるのは実は空間だけじゃない。昭和の仮面ライダーには普通にいたおやっさん役、若いキャラクターを導き、助言する大人がいた。
今の仮面ライダーでは、それこそ意図的にそんな大人のキャラ、導師役のキャラを省いているようにみえる。
年食ったキャラはいくらでも出てくるよ。でもその存在理由も行動動機も、主役連中と比べて大人なわけでも広いわけでも強いわけでもない。年食ったキャラってラスボス及びそれに近い扱いをされることが多いから、ラスト近くで出て来てもっともらしい言説をぶった挙げ句に結局主役連中と似たような目標と動機で争うことになる。
とまあ、最近の仮面ライダーの方針ってこうだよなーって見定めて、次の課題作品であるところの仮面ライダー鎧武を見てるわけですが、つらいわー。
だいたいどことも知れぬ街のダンスチームのステージ争いというそもそも興味ない題材な上に、そのステージ争いをダンスじゃなくて最初はヴァーチャルゲーム、次は仮面ライダー同士の戦闘ってのがもういろいろ噛み合ってなくて辛い。
ドリアンが出てくるまで待て、と助言を受けたので、東方不敗が出てくる前のGガンダムみたいな気分で見ております。
なおあくまで個人の感想であることを申し添えておきます。
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