中西區文物徑:元創方〜中環街市
文武廟から甘棠第(孫中山紀念館)に向かって荷李活道を東に進んでいると、
■偶然、元創方の前にでた。(B)
元創方というり、PMQと言ったほうがわかりよいだろう。
PMQとは、「Police Married Quarters」の頭文字から取った名前で、ここはかって、警察官の既婚者向け宿舎だったのである。その跡にショップやアトリエ、レストランが入り、今や注目のトレンディスポットになっている。
■多くのショップが入っている。
と、普通のガイドブックだと終わるとこだが、まっきーの旅行記は一味違うぞ。
1862年に歌賦街に、中央書院という香港最初の公立西洋式教育学校が建てられた。中央書院は1889年に警察官の宿舎になる前のこの場所に移り、その時に維多利亞書院(ビクトリアカレッジ)に改称、さらに1894年には皇仁書院(クイーンズカレッジ)とまた改称している。その跡地に警察官宿舎が建てられたのである。
そして、中央書院には、あの孫文も通っていたのである。
へ〜ソフトバンクの孫さんが・・・って、思ったやつ、正直に手を挙げてくれ。
おい、いるだろ!わかってるんだからな!
お前ら、頼むからもう一度中学校に入り直してくれ。まだ若いんだから、間に合うって。
あっ、言い忘れたけど、警察官宿舎は2012年に三級歴史建築に指定されている。
時刻は9時を過ぎ、日が高くなるにつれて日差しが強くなる。その中を鴨巴甸街の急な坂道を上がっていく。
ヘロヘロになって上がったところにあるのが、
■甘棠第(孫中山紀念館)。(C)
辛亥革命を起こし、国父と呼ばれる孫文の生誕140年を記念して作られた記念館である。
2010年に法定古蹟
孫文とソフトバンクの孫さんが全く関係ないことは、賢明なる読者の皆さんには周知のことであろう。
えっ?って言う人は、小学校からやり直してくれ・・・
甘棠第は10HK$で入場できるそうだが、時間が早すぎて、まだ開いていなかった。
う〜ん、冷房が利いたところで休憩したいのに・涙
次の目的地は回教清真禮拜堂だが、また坂を上らないといけないのね・涙
おっ、ヒルサイドエスカレーターが使えるやん♪
堅道を東に進み、ヒルサイドエスカレーターに。
■あれ?
そうか、ヒルサイドエスカレーターは10時までは下りやったんや・涙
(今やったら、ヒルサイドエスカレーターで楽々、下りれるなあ・・・)
ハッ、いかんいかん。もう少しで自分に負けてしまうところだった。
ヒルサイドエスカレーターの横の階段を上りだす。
でも、膝が・・・膝が・・・痛いの・涙
くそ〜、あの時、幼い子供がトラックに引かれそうになったのを助けようとしたあの時に、膝さえ、膝さえ痛めてなければ、こんな階段などなんの問題ないのに。
そう、お母さんの不注意で、赤ちゃんを乗せたまま下り坂を疾走するベビーカー。大通りにはトラックが走ってくる。このままベビーカーが大通りに出てしまえば!
まっきーは自分の身を投げ出し、ベビーカーを止めたのだ。自分の膝を犠牲にして・・・
ん?以前のくだらないキャプテン翼落ちの話と違うって?
あれは右膝、今回のは左膝の話なの!
それより、くだらないキャプテン翼落ちの話ってなんだよ。あのくだりを書くのに1時間以上かかったんだからな・涙
一生懸命に階段を上ったが、回教清真禮拜堂が見つからない。もう一個上るの?涙
え〜い、回教清真禮拜堂に行くのはやめだ。
え〜っ!?
進む勇気より退く勇気のほうが大変なことを、全国の小学生たちに伝えたいんだよ!
・・・
■らくちん♪らくちん♪
下りのヒルサイドエスカレータに乗るのは初めてだ。
どこかから突き刺さる視線が痛いけど・涙
ちょっと休憩と、陳泗記に行ったら、
■まだオープンしていなかった・涙
回教清真禮拜堂のたたりだろうか・・・
最後は、
■中環街市。(E)
1858年に現在地に移ってきた街市で、1895年に西洋式の大理石の建物が建てられる。その後、1939年に改装されて今の建物になる。
街市としての営業は2003年の終了。当初は取り壊されるはずであったが、再利用する計画が進行中だそうだ。
三級歷史建築に指定されている。
ヒルサイドエスカレータの起点となっている中環街市まで下りてきて、これで上環の待ち歩きは終了。
しかし、日本ではちょっとの距離でも歩くのは嫌なのだが、香港だと、どうしてこんなに歩けるんだろう。
香港の魅力がそうさせるのだろうか?不思議だ。
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