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2015年07月11日15:50

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2015.06.14香港3日目その2

中西區文物徑:西港城〜文武廟


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蓮香居を出てトラムを待つが、なかなか来ないので歩くすることにする。


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  ■西港城。(A)

1906年に建てられた赤レンガの建物。1989年まで上環街市(市場ね)として利用されていた。1991年に改装され、今はショッピングモールとしてレストランや雑貨屋、服飾店などが入っている。
1990年に法定古蹟に指定される。
ここ、朝にトラムを待つ間にイヤというほど見てたんだけどね・涙

山手に上がると、


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  ■上環街市がある。

上環街市の右手にあるのが、


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  ■文咸街。(B)

1981年に上環の海岸を埋め立てた時に作られた道で、廣州、潮州、福建、山東や上海の商人がこの道に店を開いた。それらの店が、中国の南北各省、東南アジアの物品や雑貨を取り扱ったことから、ここは「南北行」と呼ばれた。


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  ■その当時のなごりがビルの名前にあったりもする。

ここも蓮香居から西港城まで歩いた時に、すでに通っていたりするのだが・・・
蓮香居の手前で皇后街に入り、


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  ■荷李活道(ハリウッドロード)に入る。

ちなみにハリウッドロードとは、ヒイラギ(Hollywood)が多く茂っていたことから名づけられている。

荷李活道を少し歩くと左手に、


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  ■大笪地遺址(荷李活道公園)(C)がある。

荷李活道公園は、以前は海が見える小高い丘で、1841年にイギリス軍が香港に上陸した時に、香港島を占領した証にユニオンジャックを掲げた場所である。
香港のイギリスの植民地としての歴史が始まった場所で、歴史的に重要な場所である。
現在は中国式の公園になっており、まっきーが行ったときには、近所のおっちゃんやおばちゃんが太極拳や体操をしたり、子供が遊んでいたりしていたけどね。

荷李活道公園を出て、普仁街を山手に上がると、右手にあるのが、


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  ■東華醫院。(D)

東華醫院とは廣東華人醫院という意味で、1872年に建てられた香港で一番古い病院である。富裕層の香港人が寄付をして作られ、貧困な人々に無料で医療を提供したそうだ。
香港一級歴史建築に指定されている。

東華醫院から荷李活道に戻る途中にあるのが、


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  ■太平山街。

香港島がイギリスに割譲された後、多くの中国人が移り住んだが、人口増加に伴い犯罪が増え、治安が悪化した。そのためイギリスは、この地に警察署と兵舎を作って治安の回復に努めた。その結果、この一帯の治安は回復し、太平山と呼ばれるようになった。その太平山のメインストリートが太平山街なのである。

その太平山街にあるのが、

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  ■百姓廟とも呼ばれる廣福義祠。(E)

百姓と言っても、日本のお百姓さんという意味ではなく、中国では人々・人民といった意味だそうだ。
1850年代に建てられ、中国大陸から香港に働きに来て、亡くなった人々の位牌を祀っるための小さな廟だったそうだ。そのうち、ここに身寄りのない移民や貧窮者、病人が集まってきたのだ。すると、当然、そこはスラム化するわけで・・・
近隣の住民の苦情で、1869年に時の政府はこの廟を閉鎖する。
ただ、その後の貧窮した病人への対応は、先に紹介した東華醫院にゆだねられることになるのである。

鉄の階段を上って、中に入ってみた。


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  ■日本式だがお詣りはしとこう。


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  ■香港ではお約束の渦巻き線香。

ちょうど、おっちゃん二人がつるされた渦巻き線香を棒でひっかけて下していた。まっきーが写真を撮ろうとしたら手を止める。そのまま、続けてくれてもいいんだけど。
なんか、邪魔になっているような気がしたので、早々に撤収する。
後から調べたら、9時から17時までは中に入ることができるのだが、まっきーが入ったのは8時半くらいだった・汗
おっちゃん、仕事の邪魔してごめんね。

廣福義祠を越えて、階段を上ったところに公園がある。


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  ■卜公花園。

1849年に、この一帯にペストが大流行し、多くの住民が亡くなった。そこで政府はこの一帯を閉鎖し、平地にして消毒したそうだ。そして、その跡地が卜公花園になっている。
公園の一角に、「1894年鼠疫災區遺址紀念牌」という紀念牌がある・・・はずなんだけど。あれ〜?、いくら探しても見つからない・涙
いいかげん、探し疲れて諦めて次に向かおうとしたところ、


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  ■公園の外側に、894年鼠疫災區遺址紀念牌はありました・涙 (F)

太平山街から来れば、すぐわかったんだろうけど、普慶坊から公園に入ったのでわからなかったのだ。

今、名前が出たけど、卜公花園の山側にある、


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  ■普慶坊。

という小道には、中国本土から香港に逃亡してきた革命党員の隠れ家「招待所」と呼ばれる施設がかってあった。


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  ■同盟會招待所舊址。(G)

招待所があった場所には、このような写真付きの看板が立っている。

普慶坊から石段を上ると、


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  ■舊病理學院(香港醫學博物館)。(H)

1906年に建てられた赤レンガの建物。病理學院では、当時流行ったペストの研究を行っていたそうだ。
1990年に法定古蹟に指定されている。
今は、香港醫學博物館として使用されている。

舊病理學院の前の石段を下りて、


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  ■必列者士街に出ると、


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  ■香港中華基督教青年會がある。(I)

基督教青年會とはYMCAのことだ。1901年にアメリカから来た宣教師によって香港中華基督教青年會は創設された。この建物は1918年に作られている。
2009年に香港一級歴史建築に指定されている。

香港中華基督教青年會を過ぎて左に曲がると、


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  ■急な石段が。

この石段を下りて、荷李活道にでると、


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  ■文武廟がある。(J)

過去にも来たことがあるけど、ここは香港最古の寺院といわれている。
法定古蹟に指定されたのが2010年と、意外に最近であることにビックリした。


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  ■賽銭を払ってお詣りした。2HK$だけど。


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  ■お約束の渦巻き線香。

ここは、ツアーのコースにもなっているので、日本人団体観光客もバスで乗り付けてきている。どこかの会社の慰安旅行のようで、「昨夜はかなり飲んだなあ〜」って会話をしている。それだけだったらいいんだが、

「あの後、○○○に行って、そこのお姉ちゃんが○○で、それでまた・・・」

ん〜文武廟にふさわしくないお下劣な会話だ。
日本語がわからないと思っているのだろうか?でも、ここにわかる人間がいるぞ。
てか、周りにたくさん日本人女性の観光客もいるんですが・・・

ゴミ箱の上にカメラを置いて、セルフタイマーで集合写真を撮ろうとしていた日本人の女の子グループがいたので、まっきーが撮ってあげた。
社員旅行の団体との対比もあって、好感度がかなりアップしたと思われる。
きっと、お姉ちゃんたちに、「お礼にお茶でも。」と誘われるだろう。

「ありがとうございました。」

あれ?、それだけ?

まだまだ修行がたりないようだ。そして、まだまだ上環街歩きは続くのである・涙







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