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2015年07月04日14:40

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ベートーヴェン チェロ・ソナタ全曲演奏会

【プログラム】
 ベートーヴェン
1 チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 Op.5−1
2 チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.5−2
     〜〜〜休 憩〜〜〜
3 チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 Op.69
     〜〜〜休 憩〜〜〜
4 チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 Op.102−1
5 チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 Op.102−2

《アンコール》
ベートーヴェン: 「モーツァルトの『魔笛』の『恋を知る男たちは』の主題による7つの変奏曲」変ホ長調より第6変奏(アダージョ)

ミハル・カニュカ(Vc)
三輪 郁(Pf)

2015年6月24日(水),19:00〜,札幌コンサートホールKitara(小ホール)


ミハル・カニュカは,プラハ生まれのチェリスト。ソリストとして活動するかたわら,プラジャーク弦楽四重奏団のメンバーでもある。札幌コンサートホールは,オープン以来プラジャーク弦楽四重奏団を頻繁に招いている。その縁で,カニュカがベートーヴェンのチェロ・ソナタのツィクルスを行うことになったのだろう。

ピアノ伴奏の三輪郁は,桐朋女子高等学校音楽科を卒業後,ウィーン国立音楽大学・大学院で学び首席で卒業。おもに国内のオーケストラと共演するほか,室内楽のアンサンブル・ピアニストおよびソリストとして活動している。

どういう訳か,「ツィクルス」という言葉に弱い。「全曲演奏会」と聞くと血が騒いで,矢も楯もたまらずチケットを買ってしまう。J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」の全曲演奏会と比べて,開催される機会が格段に少ないベートーヴェンの「チェロ・ソナタ」のツィクルスとなればなおさらだ。

このリサイタルでは,チェロ・ソナタの第1番から第5番まで順番に演奏している。だが,リサイタルを実際に聴いてみると,2回の休憩の挟み方も含めて,この曲順が予想以上に多くのことを語っていることがわかる。5曲のソナタは,20代半ばで書いた作品5の2曲,30代半ばで作曲した作品69,40代半ばに仕上げた作品102の2曲と,2度の休憩で隔てられた3つのブロックに分かれている。そして,それぞれのグループは,ベートーヴェンの初期,中期,後期に対応していて,シンメトリーの中心である第3番がクライマックスでもあることを示唆しているようだ。

ベートーヴェンがソナタ形式で書いた他のジャンル,交響曲,弦楽四重奏曲,ピアノ・ソナタ(おそらく,ヴァイオリン・ソナタも)の初期,中期,後期の作品群がもつイメージとは少し異なる印象をチェロ・ソナタから受ける。他のジャンルでは後期に最高傑作が書かれたが,チェロ・ソナタの分野では,中期の第3番を超える作品を後期で作曲されることはなかったように思う。チェロ・ソナタの場合,弦楽四重奏曲でいうと「ハープ」や「セリオーソ」の水準にとどまったままで,弦楽四重奏曲第12番から第16番や大フーガに匹敵する傑作を生みだしていない。

この日,5曲のチェロ・ソナタを一度に聴いて,第3番がベートーヴェンのチェロ・ソナタのなかで一番の傑作であると同時にベートーヴェン中期の傑作であるばかりでなく,チェロ・ソナタの分野の最高傑作であるとの確信を深めた。チェロのための作品としては,J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」と肩を並べ得る唯一の作品といえるのではないだろうか。もちろん,本を読んだりCDなどを聴くなどして従来からそのように思っていたのだが,やはり5曲を生演奏で一挙に聴いたときのインパクトには,文字や録音とは違うレベルの鮮烈さがある。

実は,このツィクルスを聴いて第4番と第5番の魅力を理解できるかも知れないと期待していた。しかし,ベートーヴェンの中期から後期へ移行する時期の作品につきものの試行錯誤の跡が残る中途半端な作品という印象がより鮮明になった。中期の力感にあふれた作風から後期の深遠な世界での精神的な自由を表現する境地に,チェロ・ソナタでは到達することがなかったことを再確認する結果に終わった。それ以上に,ベートーヴェンといえども中期から後期へと至るには想像を絶するような苦闘を重ねたことが生々しく伝わってくることに感じ入った。

とはいえ,もしチェロ独奏がミハル・カニュカでなければ,第4番と第5番に異なる印象を抱いた余地もないわけではない。率直にいって,このチェリストにベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲の最高の名演を期待するのは無理だろう。カニュカにはプラジャーク弦楽四重奏団のチェリストという役割がふさわしいように思う。ソリストとして求められるチェロの響きの凝集度や音楽の造形力の点で,ベートーヴェンのチェロ・ソナタを弾いて深い感銘を与えうる音楽性がやや不足気味であることは否めない。テクニックもさることながら,独奏者としての力量の問題なのではないだろうか。このチェリストは,やや難解なところのある第4番と第5番を説得力十分に演奏する底力に恵まれていない。

三輪郁のピアノは,拡散的で薄い響きのカニュカのチェロとは対照的に,粒の揃った美しい響きの俊敏な演奏だった。惜しむらくは,彼女のピアノはどちらかといえばモーツァルト向きで,ベートーヴェンの音楽を表現するには若干線が細いように感じた。スケール感だとか力強さを別にすれば,好感のもてるピアノ演奏だった。

このリサイタルを聴いていて,統計で使われる正規分布のベル・カーブを連想した。縦軸に音楽のレベル,横軸に作品番号をとると,第3番を頂点にしたベル・カーブを思い浮かべてしまう。もちろん,第2番より第1番が劣るわけではなく,第5番が第4番より出来が悪いわけではないので,ベル・カーブではないのだが。チェロ・ソナタ第3番の音楽作品としての完成度が群を抜いている,そのような印象を受けたツィクルスだった。

第3番が最高傑作であることは間違いないにしても,第4番と第5番に関しては,この日の演奏をもって最終判断とすることは保留する必要があるように思う。これはたんなる勘にすぎないのだが,第4番と第5番にはもう少し何かがあるように感じる。

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