ここのところ仕事で考古学の専門家と会う機会が多くなりました。
学者ではなく実務家と言う感じですが、
中学時代から考古学の好きだった僕は、彼らと話をするのが楽しいですし、
色々な事を教わっています。
中学の時だったか高校の時だったか、どうも記憶があやふやなのですが、
県立図書館で行われた講座に参加した事があり、県内の遺跡も案内してもらいました。
その時教えてくれたのがO先生と言う方でした。
栃木県の考古学の草分け的な存在の方で、多くの遺跡を発掘され、
当時は教育委員会に在籍されていたのだと思います。
先日、専門家と会った時に、最近淡路島で銅鐸が発見された事が話題になって、
僕が
「そう言えば、O先生は銅鐸ほど、どこに埋まっているか分からないものはなく、
銅鐸を掘ると言うのはあてがないと言う事だと言っていました。」と話しました。
そうしたら、その専門家が驚いて、どうしてO先生を知っているのかと訊かれました。
そこで、僕が受けた講座の話をしたのですが、
その専門家の方は直接会った事がないそうですが、
語り継がれるような存在だったとの事でした。
O先生は請われて栃木県に来られ、その後他県に移られたそうですが、
O先生がいなければ、栃木県の考古学はかなり遅れていただろうとの事でした。
何回の講座だったかも覚えていませんし、遺跡巡りも1日だったような気がします。
本当に短い期間の事でしたが、
考古学の話をしていると、O先生から教えられた事をどんどん思い出します。
例えば、大谷寺の遺跡から発掘された縄文時代の人骨については、
上下の前歯が揃っているのが縄文人の特徴だとか、
下野薬師寺の発掘現場では、古代人の方向感覚は現代人よりも優れていたとか、
道鏡が下野薬師寺に左遷されて来た時、
都のスーパースターが来たと、近くにある国分尼寺の尼さん達が騒いだろうなど、
その他にも色々あります。
僕が好きだった事もありますが、良い指導者に教えられた事は、
記憶に残るものなのですね。
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