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2015年06月01日16:00

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それは神の御業なのか?

(ぶっちゃけ、番号が付いているところは超長い前振りです。飛ばして頂いて結構です)

1.人間の本能(あるいは本能からの逸脱)
 他の動物と異なり、ヒトは自分の生存には不要の時間空間まで思考を及ばすことができる。一方、渡り鳥は平均的なヒト(現代人も含む)を凌駕する距離を移動できる種もいるが、異常気象などの外圧なしに本能により規定されたコースを逸脱することは滅多にない。大型のゾウガメは個体としてはヒトの約2倍の寿命を持つが、子に対して「寿命」の成果を何ら残さずして死を迎える(それどころか産み放しで子育てもしない)。
2.人間の思考(なぜ・なんで)
 「あの山の向こうに何があるのか」「親の親の親のさらに親の前は誰だったのか」「自分が死んだらどうなるのか」…満足な道具も文字もない時代のヒトが頼れるのは想像力だけである。幸いにもそれに耐え得る脳はヒト「科」としては一段階前(「旧人」)で既に獲得していた。…逆に言えば能力に対して過剰な想像力によりヒトは常に苦しめられていたのかもしれない。
3.宗教の発生
 一方、当時としては理不尽としか思えない自然の脅威(雷・地震・山火事・疫病など)が断片的であった「未知の時空」を説明する媒介となり、畏怖すべき存在となっていく。後にこれらが「神」と呼ばれるようになる。ここで氷河期がもう一回来ていたら、ヒトの都市化・集住は発生せずに、各地で細々とアミニズムが継承されていったと考えられる。
4.宗教の組織化
 ところが実際には都市化は進み、その過程で偶然に文字が発明されたことにより教義は猛スピードで整理されて行き、神の権威の極大化(都市化や農業が進んでも自然現象の殆どはコントロール出来ないままなので)、ヒトの神への畏怖を確実・永続化させていくための専業の「敬う/祈る人」こと教団・聖職者の発生が促された。現在健在であろうが死滅していようが宗教というのは、かつて「知る手段がなかった未知」への回答であり(だらこそどの宗教も創世神話・死後の世界・世界図を三点セットで備えている)、教祖とその弟子たちが当時しては最先端の合理的な思考の限りをつくしたものである。したがって、「宗教は非合理」と断じるのは典型的な現代人の「驕り」と断じて構わないだろう。
(合理的な現代人様が核問題や麻薬問題等々を創出しているのだから…いつ解決する?)
5.動揺する宗教
 一方で思わぬ伏兵が現れることになる。暦法・灌漑技術・農具などの技術改良が蓄積されていった結果10世紀頃のイスラーム世界で「(応用)科学」が(殆ど突然に)体系化された。。
科学は、
・従来の宗教のような観念論ではなくて(古代ギリシャにおいては観念だったが)、実験と再現性を最重視し、原則として誰でも共有できるようになった。
(古代宗教の教典のように学習どころか朗唱するのにも一生かかるという、ある特定の階級が複数の世代をかけないと習熟できないような特異性が消えた)
・ヨーロッパとの角逐の中で軍事に応用され、すぐさま敵方のヨーロッパも生存を賭けて柔軟に利用・改良したため、前例のないスピードで発達していった。
(本当は科学の発祥地は中国なのだが、全面戦争といえる騒乱が相対的に少ないため、個々の技術革新に甘んじることに。火砲を発明したのは中国だが5世紀後にはポルトガルから大砲を輸入している)
結果、科学は技術のみならず宗教の各分野(特に地理歴史)にも侵食をしていき、19世紀後半(の西欧)に宗教に残されたのは科学が元から説明を放棄している「天地創造以前」「死後」程度になってしまった。
6.滅しない宗教
 しかし、人間にとって特に「死後」は生きている限り無視しきれない問題であり、また核兵器や公害に見られるように科学が逆に生存を脅かす事例も多々あることが判明したため(あと、素粒子論などの先端科学は平均的な教育を受けただけではとても理解できないということもあり)、ヒトは改めて倫理を宗教に委ねるようにした。このようにして宗教は生き延びるのに成功する。(宗教壊滅の実験はソ連などの自称・社会主義国家で無残に失敗している)
 世界中の現代人の殆どが、冠婚葬祭など宗教儀式に参加しつつ自動車に乗り携帯電話で話をするという、ライフスタイルを送っている(ISですら近代兵器を利用している)のは上記1.〜6.の過程を経た結果である。
※但し、科学は未知の現象について「わからない」ではなく「存在しない」という回答を一応は用意しており、少数ながらもこれを選択して無宗教となった現代人も存在する。
(珍しく無宗教が多数派を占める事例としては、「チェコ共和国の6割」が挙げられる)

長〜い前振りでしたが、要は「宗教」はヒトが今の機能を備えた種になってから20万年間もの間付き合ってきた概念であって、根っこに本能(というか肥大した脳)があるから是非を云々するべきものではないということです。
昨今の宗派宗教紛争、テロ、今回のバカとしか言い様のない事件などについて「だから宗教はいけない」としたり顔で仰る方も多いと思うが、
・派閥抗争 政治家も企業も暴力団も抗争の旗印に「神」の名を掲げて行うか?
・金権腐敗 お布施以外は横領されないものなのか?
・非合理主義 ジンクスも「験」も占いも一切信じないヒトはどれだけいる?
→つまるところ、「宗教」がなくても集団や文化、あるいは未知への畏怖さえあればどれ
でも人が「やらかす」ことができるものばかりです。

世界史上「宗教」の名の下に行われた蛮行の殆どはその実ヒト自身の欲望と誤謬による蛮行であり、「宗教」は発端ではなくて熱狂・狂信化のためにくべられた薪に過ぎない。そして20世紀の大戦から一目瞭然のとおり、宗教がなくてもヒトは「欲望と誤謬」にもとづき際限なき蛮行と殺戮を繰り広げることができる。
宗教紛争とは、つまるところ
「お前のかーちゃん(=神)デーベーソー」
であり、罵っても先方の奥方が乗り込んでくることが滅多にないのと同様、神はヒトの争いには感知しない。だからこそ対等なヒト同士で繰り広げられる紛争は容易に決着がつかず(子供のケンカが仲裁なきまま延々と続き)厄介なのである。

とっくに気づかれている方も多いはずだが、今回の事件での「蛮行」で責められるべきは文化財の冒涜への言い訳に「宗教」を持ちだした卑劣さである。ではなぜ「油を蒔くことの正統性」について被害者と事前に論争をし、折伏させられてから堂々行わなかったのか?
犯人像が現時点では曖昧だが、コソコソ隠れて行った時点で宗教者としての「正統性」を自ら放棄しており、自ら「宗教的行為」を「刑事犯罪」に貶めていることにも気づいていない大馬鹿者であることは間違いない。
容疑者が宗教団体を名乗る集団であるからと「これだから宗教って…」と目眩ましされてはいけない。宗教の衣を被った愚行など幾らでもあるのは上に述べたとおりだ(むしろ純粋に宗教を発端とする愚行を探すのが面倒)。

大手マスコミが「報道しない権利」を行使しているせいか、容疑者の素性は今のところ不明確だが、Blogレベルの情報によると犯行は民族的動機とのこと。民族主義なぞたかだか生誕200年間、宗教の1000分の1しかない甚だ未熟かつ欠陥だらけのイデオロギーである。
もし「民族的動機」が事実としたら、最低でも「20万年÷信者数」だけ禁錮して、ヒトの本質について身を以て勉強しなおしてもらいたいものである。
(どうせいくら時間があってもわからないから死ぬまで牢屋に居てくれて結構)

■寺社に油事件、宗教団体幹部に逮捕状 「お清め」と証言
(朝日新聞デジタル - 06月01日 03:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3443752

なお、小生は無神論者です。不可知を知ろうとするヒトの貪欲さに少々呆れ気味なので。
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