続きました。
【エスケープ フロム 丹沢】
これからどう行動するか、急ぎ検討を行う(自分は肩が痛くて実際はほとんど会話に参加していない)。とにかく時間がない、日没は間近だ。雨がぱらついてるが、これから本降りになる可能性が高い。基本、救助要請はしない。歩ける以上、可能な限り自力下山を試みるべき、ということで全員意見が一致した。そして問題はルート。このまま山神経路を進み、小沢を渡って第八隧道先の林道に出るか、それとも最短距離でここモチノキ沢を下るか。HGさんは山神経路の場合、小沢の手前にある大崩壊地の存在を懸念している。しかし時間を焦って安易に沢を下るのは危険だ。右腕が使えない自分は沢で立体的な動きは出来ない。途中まで下り、進めなかった場合戻ることも難しくなってしまう。逆に経路はどうか？ここはゆるい下りで標高差はほとんどない。進めなくなったら、最悪モチノキ沢まで戻りビバークするという選択肢も取れる。
「トランシーバーをOG原さんに渡して下さい。ここからは僕がピッタリくっついてサポートしますので、無線は自分・OG原さん・HGさんの3人で持ちましょう。で、OG原さんとHGさんは可能な限り先行して下さい。林道に出たら車に向かい、とにかく電波の取れる場所に移動して下山報告と宿への連絡、近辺の病院を探して下さい。時間がないので行きましょう、お願いします！」
そうだ、蒼の山荘。どう考えても間に合わない。連絡来てるだろうな、この時間だと。連絡無しの当日キャンセル、最悪だ。せめて今日中に連絡を取りたい。など、この時は宿のことばかり考えていた。関係者間で大騒ぎになっているなど、知る由もなかった。我々は山神経路の最終セクションを無事突破して生還できるのだろうか。日没までに大崩壊地を通過できるかが最大のキモだ。
17:45、モチノキ沢を出発。
荒れた経路を進む。普段なら何てことの無い道が殊の他厳しい。理由は単純だ。進行方向の右側が山、左側が谷。右腕はシュリンゲで身体に固定しており、全く使い物にならない。つまりよろけたりした場合、とっさに右腕で山側を掴むことが出来ないのだ。左手には一本だけ回収したポールを伸ばして持っている。これも地面があれば役に立つが、朽ちかけた木橋の通過時などほとんど役に立たない。よってちょっとした危険箇所は後ろ向きで通過した。コータロくんから指示を出してもらい、一歩一歩ゆっくりと危険箇所を通過する。首が全く動かないので足下確認ができず、かなり苦労した。先行しているOG原さんの「うわ！」という声が聞こえた。HGさんもいる。二人で追いついた。目の前の景色に唖然とする。
「うはあ、マジか、これ！」
出た、小沢手前の大崩壊地！山神経路には二つの大崩壊地があることは事前情報で把握していた。しかし我々は蛇小屋沢の方ばかり気にしており、小沢の方はなぜか軽く考えていた。蛇小屋沢手前の大崩壊地を突破した段階で、なぜかもう全行程をクリアした気になっていたのだ。それにしても大きい。先の大崩壊地と違ってここには土が無い。完全な白ザレの崩壊地だ。距離は長く、桟道の残り部分までもかなりの高さがある。とてもではないが後ろ向きで歩いて通過など、出来るわけがない。時刻は18時。完全に日が落ちるまで、時間は残りわずかしかない。ここで引き返した場合、時間的に別ルートでの脱出はありえず、そのままビバークとなる。雨が降り出しているので出来ればビバークは避けたい。通過しようとして滑落するリスクはどうか。白ザレの急な滑り台だ。下は沢に繋がっており、もし誰かが滑落した場合、この時間ではセルフレスキューは無理だろう。万事休す。どうするか。
するとOG原さんが歩き出した。
「あれ、ここ。意外と足元しっかりしてますよ！大丈夫、行けそうです！」
コータロくんが後に続く。
「本当だ、慎重に行けば大丈夫ですね！」
山側の急斜面に手をつき、OG原さんが桟道の残骸まで登り切った。コータロくんが続く。自分もゆっくり後を追う。確かに足元がしっかりしているが、これは本当に偶然としか言いようがない。理由は雨なのだ。乾燥した状態でも水を吸い過ぎた状態でも、白ザレの足場は力を加えれば崩れる。ぱらつく雨でほんのり湿った状態。これが絶妙な堅さを出していたのである。慎重にバランスを取りながら崩壊地の中間点を越え、桟道の下まできた。ここからは急斜面を上がるが、足場が安定しているとはいえ、もしもバランスを崩したらひとたまりもない。丈夫そうな手すりの柱をアンカーにして、ビレイしてもらうことにした。下から見上げると断崖に桟道が浮いてるように見えるが、意外と強度がありそうとの報告だ。カラビナをつけたザイルを投げてもらい、ハーネスに連結。これで最悪スリップしても谷底まで落ちることはない。が、桟道の下はほとんど垂直の崖だ。もし吊る下がってしまったら片腕で這い上がることはできない。引き上げが可能なセットをしてあるのか不安だが、ここはもう行くしかない。
足元は白ザレにしてはしっかりしているが、左手のポールを突いて体を支えられるほどの強度があるわけではない。そして山側の斜面に手をついてバランスを取ることは出来ないのだ。たかだか数メートルの登りだが、とてつもなく長い綱渡りに思えた。左側は斜度70度くらい、体感的には絶壁のような崩落地だ。ほんのちょっと体勢を崩しただけで滑落するだろう。恐怖の綱渡り。
集中してバランス感覚を研ぎ澄ます。失敗したら死ぬ。緊張で手汗が止まらない。そーっと、そーっと、斜面を上がる。桟道までもう少しだ。やった！バランスを崩すことなく無事桟道の残骸に登り着くことができた。この雨の絶妙なさじ加減、早すぎても遅すぎてもダメだった。これはもう、幸運としか言い様がない！そしてもう一つ。ザックを持ってもらっており、空身で総重量が軽くなったのも幸いしたと思う。もしザックを背負った重量だったら足場が崩れていたかも知れない。
大崩壊地は突破したが、まだまだ油断は出来ない。危険箇所はこの後も連続するだろう。真っ暗闇になる前に少しでも難所を通過しなくては！安堵の時間もそこそこに、すぐに移動を開始した。何しろ片腕が死んでいるのでちょっとした数メートルの高巻きも難儀する。木の根を掴んで急斜面を上がるような箇所は、三点支持が出来ない自分はサポート無しでは越えられないからだ。
いくつかの難所を越え18時半を過ぎた頃、完全に日が沈み真っ暗闇が訪れた。本当に真っ暗だ。雨がぱらついているので空に月明かりや星明りは勿論無い。4つのヘッドランプの明かりのみだ。最後尾にいるコータロくんが叫んだ。
「OG原さん、待って！先行かないで、止まって下さい！」
先頭を切ろうとしていたOG原さんが止まって後ろを振り返る。
「予定変更です。ここからは隊列を組んで行きましょう！完全に日が落ちたので、パーティーの分断は絶対に避けたいと思います。それぞれが明かりの無い所を照らせば、単独で歩くよりも周りが明るくなり安全です。先頭も最後尾も、歩きやすくなります。4人揃って下山することを最優先事項としましょう！」
今回の山行のリーダーは自分である。計画したのも自分だ。装備的にもスキル的にも(例えばパーティーの中でファーストエイドの資格を持っているのは自分だけ、ロープ類も自分が用意)自分は「助ける側」を自負していた。それがまさかの滑落・負傷、一気に要救助者の立場になってしまった。今回のパーティーでコータロくんは最年少だが、的確な判断で指示を出し、立派にリーダーを務めている。滑落以降、自分を救助してくれて、ザックも背負ってくれ、付きっきりでサポートしてくれている。感謝してもしきれない。自分の中では「リアル三歩」として映る。
※これは後日、本人から聞いた話だが、元ワンゲルの彼は学生時代の山行でパーティーメンバーの死亡事故に立ち会っている。「自分は決して特別な技術を持っているわけではないです。ただ、あの時の経験から、事故が起きた時は動ける者がやれることをやる。これを実践しただけなので、そんなに気にしないで下さい。」と語った。自分が滑落した直後、OG原さんとHG さんからは「震えて何もできなかった」とコメントがあった。
19時を回った。先頭のOG原さんが振り返り何やら歓声を上げている。ライトは道標を照らしている。みんなで道標を覗き込む。道標には「この先登山道が崩落しているため通行できません」と書かれている。
「ってことはさ、この先もう難所や崩壊地はないってことだよね？そうだよね！」
OG原さんが声を上げる。理屈で言えば確かにそうだ。逆ルートで来てこの標識を越えると、自分達がいままで越えてきた沢山の崩壊地に出っくわす。反対側から来たのだから、もう難所は無いと判断してよいだろう。距離的にも時間的にも林道はもうすぐのはずだ。
「まだ林道に着いたわけではないし、見える距離でもないです。油断しないで隊列を崩さず進みましょう。」
辺りは真っ暗で本当に何も見えない。雨脚がだいぶ強くなってきた。しばらく歩きやすい林道を進むと、急に開けた場所に出た。落ち葉が沢山堆積している。斜面のずっと向こうにグレーの線が見えるが、定かではない。しかし、そこが森が切れて空が見えている場所に違いない。この広い斜面を降りれば林道だ！4人でライトの明かりを集中し、落ち葉の上にうっすらと残る踏み後を探し慎重にトレースして行く。何度か九十九折を繰り返すと、見えた！玄倉林道だ！時刻は19:10。さっきの道標からは歩いて10分の距離だった。我々パーティーは一人も欠けることなく、無事林道にたどり着いた。
【生還】
あまりの安堵感に一同、脱力して声も出ない。雨が本降りになってきたので、すぐ左の第八隧道に入る。ここまで来たらもう10分20分の差は関係ない。よく考えたらモチノキ沢を出発してから水の一滴すら飲んでいない。朝から行動し続けて11時間が経過した。疲労もピークに近い。雨宿りを兼ね、トンネル内で小休止を取ることにした。水を飲み、行動食を食べる。ここまで自分のザックはコータロくんがダブルザックで背負ってきてくれたが、ここからはOG原さんが背負ってくれる。雨脚が強くなってきた。林道に脱出できて安心しているが、実はここから車を止めたゲート前まではまだ6km以上もあるのだ。まだだ、まだ終わっていない。全員でレインウェアを着る。自分は腕が使えないのでOG原さんにストームクルーザーを出してもらい、かつ着させてもらう。ザックカバーも装着する。ヘッドランプをはめたヘルメットの上からレインウェアのフードを被り、第八隧道を離脱。一路、玄倉のゲートを目指し歩き出す。右肩が痛い。右手がグローブの様にパンパンに腫れ上がっている。右肘も痛い。
先頭はOG原さん。続いてコータロくん、自分、最後尾にHGさんと続く。一同無言だ。誰も一言もしゃべらない。雨の降りしきる玄倉林道を黙々と歩き続ける。真っ暗だ。本当に真っ暗。人工物の明かりがどこにもない。右手には玄倉川。雨で増水したのか、ゴーゴーと音を立てている。本来であればこの道は遅くとも16時台に歩いている予定だった。玄倉ダムが近づいてきた。この暗闇ではあの美しいユーシンブルーも見ることはできない。
隊列がだいぶ縦に伸びてきたので先頭にストップをかける。HGさんが遅れている。追いつくのを待ち、歩き出す。境隧道が近づいてきた。今日の出来事は全てこのトンネル出口の脇道から始まったのだ。時刻は20時半を回った。12時間以上動き続けている。負傷はしているが、足は動く。疲労はあるが、まだ動ける。サバイバルな状況下では最後にものを言うのは体力なんだな、と一人実感しながらトンネルを抜けた。
21時ちょうど。ゲートが見えた。車にたどり着いた。雨はもう止んでいる。一刻も早く連絡を入れないといけない。HG号(ステップワゴン)に取り合えず荷物を押し込み、コータロくんにキーを渡して運転してもらい、先に出発する。
林道を進むと赤灯が見えた。パトカーだ。すれ違いポイントで止まり窓を開けると名前を聞かれた。やっぱり来てしまったか。実は境隧道を抜けてしばらくした所でOG原さんが電波を拾い(やはりdocomoは強い、auとSBは完全に圏外)、くりぼうさんに下山報告を入れたのだが、この時既に通報済みであることを聞かされた。
「事情を聞きたいのでビジターセンターのバス停で待っているように」
パトカーはそのままゲート方面に向かった。
電波を拾ったスマホに一気に不在通知やメールが入り始めた。まあそりゃそうだろうなあ。ビジターセンター前で急ぎ自宅に電話を入れる。色々とまくし立てられるが、パトカーが戻ってきたのでこれから事情聴取がある旨を伝え、一回電話を切る。まとめると以下の通りである。
・16:20、OG原さんからくりぼうさんに電話。電波が途切れ途切れで、自分が滑落したことだけが伝わる。
・事故の情報はくりぼうさんからだーたかさんへ。
・20時を過ぎても下山連絡がないため、だーたかさんが秦野署へ通報、管轄違いとのことで松田署の連絡先を確認。
・だーたかさんからうちの弟君経由でかみさんに入電。「事故があったらしいが安否は不明、未だ下山連絡無し。松田署に連絡するように。」
・同時刻より前から、蒼の山荘より「18時を過ぎているがまだ来ない。連絡も取れない。どうなっているのか？」と自宅に入電ありかみさんが応対。
・かみさんが松田署に連絡。急ぎ登山計画書をFAXするよう指示が出たので、自分の実家にFAXを借りに出向き、両親と弟君に状況を説明。
下山予定時刻を過ぎてから「滑落事故発生」の情報のみが一人歩きして大騒ぎになってしまった。実家では自分は死んだと思われ、葬式の準備をするところだったと後日聞かされる。HG号の到着を待って一人一人個別に事情聴取を受ける。警官の話では、先のかみさんとのやり取り以降、まずは登山ポストに入っている届けとFAXのものが同一かどうかの確認、同じナンバーの車がゲート前にまだ駐車中かの確認、のためにパトカーを出したとのこと。もし車がそのまま止めてあったら、翌朝捜索隊が出る予定だったそうだ(だーたかさんが通報したタイミングでは、この時間からヘリは出せない、と言われたそう)。
※「ニシタン安全登山協力会」という、長野県でいうところの遭対協のようなボランティア団体があるのだが、4/26(日)付けのFBに「前日、雨山方面で遭難の可能性ありとの未確認情報が入るも21時頃、無事下山」との記述があった。
応対した若い警官も滑落経験があると言っていたので、山をやっている人なのだろう。地図のコピーを渡し、詳細の状況説明を行った(この時、間違ってモチノキ沢ではなく板小屋沢と伝えてしまったが、「雨山方面」と大雑把に括られてしまったので特に問題はないかと思われる)。病院に行ったら診断結果を電話連絡するように、と言われる。今回は全くお咎め無し。注意を受けるどころかむしろ褒められた。しっかりと計画が立てられていたこと、装備も問題なかったこと、パーティーのスキルも問題ないこと(危険エリアに初心者を連れて行ったりしていないという意味)、その上で事故が起きるのは山をやる以上仕方が無い、生還できてよかったですね、と。軽装で危険箇所に入って何かあるとタクシー感覚ですぐに救助要請をする登山者が増えている中、救助要請をせずに自力下山したことを褒められた。本件に関しては親族・会社関係、どこからも非難轟々で、後にも先にも褒めてくれたのはこの聴取に当たった警官だけである。あの言葉にどれだけ心が救われたことか・・・。ただ、確認したところ、もし救助要請をしていたら立ち入り禁止の危険エリアに足を踏み入れているので確実にニュースや新聞に出ていただろう、とも言われた。テレビの取材で「申し訳ありませんでした！」と頭を下げ、ネットで叩かれまくる様を思い浮かべ自力下山できて本当によかった、と思いを噛みしめる。
せっかく褒められたのに、これ以上手間をかけるわけにはいかぬ、との気持ちから救急車は断り近くの病院の情報だけ調べてもらい、パトカーは去った。我々も出発しようと思っていると、一台の車がやって来た。何と！うちのかみさんから事情を聞いた「蒼の山荘」のご主人が心配して駆けつけてくれたのだ！まずは連絡無しの当日キャンセルを詫び、宿代は全額払う意向を伝えると、
「今回は事情が事情なので、御代は結構です。その代わり、元気になったら別の日程で泊りに来て下さいね。」
と言って帰っていった。何という神対応！回復したら絶対に泊りに行きます！！
「蒼の山荘」↓
http://tabier02.sakura.ne.jp/aono/
21:40、丹沢湖ビジターセンターを出発。長い長い1日が終わった。
※ホントはこの後、整形外科の当直がいないとかで病院難民となり、結局横浜に戻ってから救急外来を探し、診察を受けたのが夜中の3時とかで全然終わってはいなかったのですが・・・。
【滑落⇒生還、その後】へ続く。
■写真解説
�ゞ寡櫃旅謀呂蝓�写真はコータロくんがビレイの準備をしているところ。今回のような切羽詰った状況でなければ、とても真似できることではない。滑落で死ぬ死なないはこれはもう運だと思うので仕方ないが、今回はこの重傷を負った状態でよくこの大崩壊地をはじめいくつもの難所を越えて自力下山が出来たとつくづく思う。それも日没後の雨の中で。こちらの方が奇跡に近い。
��大崩壊地を越えたあとも、こういう場所が何回も出てくる。負傷していなければ何てことはないが、片腕が使えないと途端に難儀する。この写真の部分は自分だけ石垣の上を高巻いた。勿論一人では石垣に登れないので、下からサポートしてもらう。降りるのはポールがあるので、身体を支えて自力で何とか降りることができた。
�４袷瓦貌�が暮れ、真っ暗になった経路を進む。この後もまだ傾いた木橋などが出てくるので気が抜けない。
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