つまらない人間に謗(そし)り罵(ののし)られても、彼らに媚び諂(へつら)われることはないように。上に立つ立派な人間に責め立てられても、彼らに大目に見られることがないように。
寧ろ小人の忌毀(きき)せらるるも、小人の媚悦せらるることなかれ。
寧ろ君子の責修(せきしゅう)せらるるも、君子の包容せらるることなか れ ・・・前集189
以下、以下、「野村克也の菜根譚」(宝島社)より。
つまらない人間からは嫌われたほうがよい。媚びへつらわれることはないほうがいい。立派な人間からは、叱られたほうがよい。見放されて寛大に扱われないほうがいい。
まるで管理職の心得のような一節である。前段は部下に対して、後段は上司に対しての接し方だと考えれば分かりやすい。
つまらない部下には、むしろ嫌われてでも自分の信念を遂行すべきだ。それを曲げて、部下に甘えられたとしたら、仕事でよい結果は残せないだろう。
一方で立派な上司だ、付いていって損はない、と思えるような人であれば、叱られたことに素直に耳を傾けて、叱られた原因や責任を明らかにして反省し、今後の発奮材料にすればいい。何もせずに見放されて、かえって寛大に扱われるのは、相手は自分自身のことを有用な人材と思っていない証拠である。
もう一つ、自分の経験でいえば、自分に媚びてくるような部下には見込みがない。監督である私を嫌ってくれても構わないが、ひねくれたり僻んだりするのではなく、「野村を見返してやる」と反発して奮起してくれる選手の方が見込みがある。
私が厳しく接するのは、そんな選手であった。たとえば楽天の監督時代、岩隈久志には、「ガラスの肩だから、自分でマウンドを降りると言ってばかりだ」とあえて公言して、発奮を促したこともあった。
ログインしてコメントを確認・投稿する