「こんなところで死にたくねえよ」
最近ウェブニュースで読んだ、火災現場である男が叫んだという言葉が気になっていた。自分だったら、いったいどんなところなら、死んでもいいと思えるのだろう。わからなかった。
そんなことを考えながら近所の鮮魚店の前を通りかかると、彼(彼女かもしれないが、便宜上彼ということにする)がいたのだ。発泡スチロールの、体がぎりぎり入るだけのスペースしかないところに。
ちょうど考えていたことにつながっているような光景が現出したので、思わず立ち止まってしまったのだ。そうしてしばらく彼をじっと眺めていると、その声が聞こえてきたのだ。ちいさな、片言のたどたどしいつぶやきが。
「・・・そんでどーも、「いるか」ちう魚は、棒で叩いたりするだけでも怒られるんだと。イチバのおっさんがゆっとったもんね。ほんでもオラふしぎだな。オラも魚だけども、棒どころか生きたままぶったぎられてさ、食べられるちうだもんね。おんなし魚でもいろいろだなー。オラふしぎだな。ふしぎだな」
彼の言うことを聞いて、思わずぼくは話しかけてしまった(「イルカは魚じゃないこと」は、とりあえず黙っておくことにした。だってそんなこと、こんなたいせつな話の腰を折るほどじゃない。「町田市は神奈川県である」というのと同じような、よくある誤謬というだけだ)
「ねえ君、そんな風に感じながら、まだ生きてるのってどんな気分なんだい。 あ、でもごめん、今それどころじゃないだろうし、もし君がぼくにかまって、今よりなお不愉快に感じるのだったら答えなくっていいからね」
たっぷり3分が過ぎた。彼は普通の魚に見えたし、聞こえるのは店の奥にある生簀(そこには彼よりすこしだけ猶予があって、高級なやつらが入れられている)のモーター音と水流のごぼごぼいう音だけだった。それからまた突然声が聞こえてきた。
「まーこーゆーのはよ、『ジゴクワイチジョースミカゾカシ』ってゆーだよおっさん。オトトオキナのじじいがゆっとっただもん」
「なんだいそりゃ」
彼はごぶりごぶりと盛大にあぶくを吹いた。どうやら笑っているらしい。
「オラもわかんね。オッサンたちヒレナガ族でゆったら、それは『ジャズスル』ってことだ、ってじじいがゆってたよ」
「そうか。ジャズするか」
「まーまた会おうよねヒレナガのおっさん。こうみえてオラ、けっこういそがしいだから」
「わかった。どうもありがとう。じゃまた」
立ち去る前に振り返ってみると、尾ひれがひらひらと揺れていた。
DATA:Pentax LX SMC Pentax-M 50/1.7 Fuji 業務用400 f5.6 AE
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