■子供の“直訴”で守られた古墳 大津
(産経新聞 - 05月17日 09:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=3420236
古墳の調査はかつて、宮内庁から横槍が入って許可がおりませんでした。
有名な仁徳天皇陵などと一昔前まで呼ばれて教科書にも載っていた古墳は、じつは江戸時代に水戸学の尊王思想が普及して、「歴代将軍の墓が明らかなのに、天皇の墓が定かでないのはけしからん」と当時の学者たちが、根拠もないのにこれは何なに天皇陵といいかげんに割り振ったのをずっとそのままにしてきたのです。
江戸時代にはすでに千年以上前の古墳がどの天皇の物なのか、資料も残っていないし知っている人もいないし、それまでみんな大昔の墓に関心がなった。
近現代に入っても神聖にして犯すべからずで、学術調査は認められず立ち入り禁止、結局古墳は誰の墓なのか未だに良く分かっていないのが実情です。
古墳の調査が認められないのは、現在も子孫の残っている皇室の墓を暴くのはどうかという宗教的な問題、出土品や遺跡の保全問題など、様々な理由がありますが、その出土品から天皇家のルーツが中国大陸や朝鮮半島と同じだと分かるかもしれないことへの危惧もあるようです。
ユダヤ人を憎むキリスト教徒に「イエスはユダヤ人だ」と言うと怒るように、朝鮮人を蔑む右翼に「天皇は朝鮮人だ」と言うとやはり怒る。
そういう国が国民に刷り込んでいる物語が崩れる、政治的な事情も背後にあるのは確かです。
ただし、もし天皇家が大陸や半島からの渡来系の血筋であったとしても、その一族が日本列島に渡って来た時代には、日本という国も韓国という国も北朝鮮という国もなかったのです。
そういう環日本海、環東シナ海の文明の推移で捉えるほうが、より真実に近いのではないでしょうか。
(もちろん日本海、東シナ海という呼称も当時はないですけども)。
2005年にやっと、宮内庁も調査を部分的にですが許可して、これから学術研究の範囲が広がることを期待しています。
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