mixiユーザー(id:1417947)

2015年05月10日21:15

369 view

山縣有朋記念館へ・・・

 今回のゴールデンウイーク、どこにも出掛けられませんでした。
 そんな事もあり、今日は天気が良いとの予報でもあったので、
 矢板市にある山縣有朋記念館に行って来ました。
 ここは10年ほど前に行った事がありますが、
 近くに個人の美術館も出来たとの事でもあったので、改めて出掛けました。

 自宅を朝8時45分に出て、宇都宮市から塩谷町を通って矢板市に行きました。
 塩谷町は、福島第一原子力発電所の事故による放射能に汚染された廃棄物の
 最終処分場の建設の候補地となり、
 強烈な反対運動が起こって、全国的なニュースになっている所です。
 塩谷町に入った途端、道路の両側に処分場反対の看板などが多数見られ、
 運転しながらも、問題が深刻である事を肌で感じました。

 山縣有朋記念館に行く前に、矢板市の郷土資料館に寄りました。
 ここは、廃校になった上伊佐野小学校を改修して開かれた所です。
 元の校庭では、近所の高齢者がグラウンドゴルフをやっていました。
 最初、ゲートボールかと思い、珍しいと思ったのですが、違いました。
 資料館の中では、県立博物館の移動博物館として、
 栃木県内の鉱物の企画展をやっていました。

 そこから山縣有朋記念館に向かいました。
 栃木県に何故山縣有朋記念館があるのかと不思議に感じる方もいるかも知れませんが、
 栃木県北部の地域には、明治の元勲達の農場が何箇所か開かれました。
 先日日記に書いた青木周蔵をはじめ、松方正義、大山巌、西郷従道、品川弥次郎などです。
 山縣有朋も矢板市に農場を開きました。
 この農場内に山縣有朋別邸があります。
 この別邸は、元々は小田原の有朋の別荘古稀庵の中にありましたが、
 1923年(大正12年)の関東大震災で崩壊したため、
 有朋の長男伊三郎の手によって、この地に移築されたものです。
 1909年(明治42年)、伊東忠太の設計によって建設されたもので、
 小さな建物ですが、意匠など素晴らしい建物だと思います。
 東日本大震災では、ほとんど被害はなかったとの事でした。

 この別邸に山縣家が所有している遺品などが展示されています。
 長州奇兵隊の名簿に山縣狂助の名前もありましたし、
 日清戦争で日本海軍に鹵獲された清国の戦艦鎮遠の船内の鐘、
 清国から贈られた狛犬、
 日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬中佐が乗っていた福井丸の砲弾、
 その他明治天皇、昭憲皇太后からの御下賜品や元帥徽章など貴重な物がありました。
 特に西南戦争の際に、山縣有朋から西郷隆盛に宛てた手紙もあり、
 全文を印刷して希望者に分けてくれていました。
 貰って来て帰ってから読みましたが、山縣の切々たる思いが綴られた名文です。
 入館料700円は割高な感じですが、最後にコーヒーを出してくれます。
 この値段もコーヒーも10年前と変わりませんねと言ったら、
 案内の女性が私の給料も変わりませんと言っていました^^

 山縣農場の敷地内に住友ミュージーアムと言う個人の方がやっている美術館があります。
 琳派のコレクションが有名との事だったので行こうと思っていました。
 山縣有朋記念館との共通入館券も売っていたので、それを購入して行ったのですが、
 何と開いていませんでした。
 仕方なく、山縣有朋記念館に戻って差額を払い戻してもらいました。

 矢板市の中心部に戻って、那須野が原開拓に大きな貢献をした、
 矢板武の記念館に行きました。
 記念館の前で、地域の軽トラ市が開催されていて、大変賑わっていました。
 矢板武記念館は、矢板武の邸宅を公開しているものです。
 勝海舟や品川弥次郎、渋沢栄一の書が残っていましたし、
 三条実美が宿泊した事があったとの事で、
 矢板武の交友関係の広さが分かりました。

 本当は矢板市内でお昼をと思ったのですが、
 混雑していたので、そのまま帰る事にして、途中で美味しい蕎麦を食べて来ました。
 今日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708


8 17

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年05月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る