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2015年04月13日01:52

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地下室のテープ

昨年の11月に発売された"The Basement Tapes Complete"のレヴュー。

"The Basement Tapes"は、1967年にディランとザ・バンドがウッドストックの片田舎にある、「ビッグピンク」と呼ばれるザ・バンドのメンバーが借りていたピンク色の家の地下室で録音した音源です。
(地下室とはいっても正確には半地下のガレージですし、ビッグピンク以外のディランの家や、67年の終わり頃にリヴォン・ヘルムとリック・ダンコが借りていた家での録音も含まれていますが、総じてこれらの音源は"The Basement Tapes"と呼ばれています)。
今回の"The Basement Tapes Complete"は、海賊盤で評価の高かったディランの過去の未発表音源を公式発表する、ブートレグ・シリーズのVol.11としてリリースされています。

ウッドストックはニューヨーク州にある避暑地で、NYシティを拠点に活動している多くの芸術家が住んでおり、ディランも64年頃からウッドストックにあるマネージャー=アルバート・グロスマンの別荘に住んでいました。
62年にデビューしてから一年余りでフォークのプリンセスと称賛されて、65年にはエレクトリック・ギターに持ち替えてバンドを従え、R&Rとフォーク、ブルーズに現代詩をミックスした新たな美の形態を作りだしキャリアの最高潮を迎えたディランですが、66年の短い夏休みにウッドストックでバイク事故を起こしてしまいます。
事故の後のディランのスケジュールはすべてキャンセルされて、「ディランは首を折って再起不能だ」、「ほんとは死んだらしい」、と様々な噂が流れましたが現在ではそれほど深刻な負傷ではなかったことが分かっています。敏腕マネージャーのグロスマンがスター作りのために鬼みたいに詰め込んだスケジュールを、ドラッグの力を借りてこなしていたディランですが、落ち着いた人間らしい生活を手に入れる転機にこの事故を利用したようです。
退院してしばらくはウッドストックの家で療養と子育てに専念していたディランも、傷が癒えるとさすがに何もしないわけにはいかず、リハビリも兼ねて当時のバックバンドだったザ・ホークス(後のザ・バンド)をウッドストックに呼び寄せて気軽なセッションを始めます。

ディランもザ・バンドの面々(ドラムのリヴォンは当時脱退中で67年末に復帰)もアメリカの音楽に造詣が深く、"The Basement Tapes Complete"にもオリジナル曲の他に多くのカヴァー曲が収録されています。お互いが好きな曲の話をして盛り上がったら演奏していたのでしょうが、おおまかにこのセッションでディランはザ・バンドにフォークとカントリーを、ザ・バンドはディランにR&Bを教えたようです。
ディランとザ・バンドがストレスから解放されてホーム・レコーディングを楽しんでいた1967年は、サマー・オブ・ラブの真っ只中。意識の変革が叫ばれ、タイダイを着たヒッピーたちが愛と平和を掲げて、ドラッグを媒介にしたサイケデリック・アートが時代の潮流でした。ディランは先鋭的な曲作りやパフォーマンスでその流れを主導していたのですが、その張本人が自分で作ったシーンに背を向け、田舎の地下室で発表する予定もない音楽を仲間と録音していたのです。その音楽性は革新より伝統に目が向けられ、R&R、ブルーズ、R&B、フォーク、カントリー、ゴスペル、テックスメクスといった広範なアメリカン・ミュージックの滋養を吸収した土の香りのするサウンドです。ディランの曲作りも変化して、都市のシュールな悪夢みたいな長い曲は鳴りを顰めて、コンパクトにまとまった楽曲に登場するのは田舎の隣人たち。ドラッグはアルコールに換わって、それまでのディランの曲に満ちていた超人的な怒りは、より人間らしいユーモアに取って代わっています。音響設備の良くない地下ではエレクトリック・ギターのヴォリュームを上げると音が割れてしまうので、自然に音を絞ったお互いの相互作用を大切にする音作りをするようになり、それが後にザ・バンドが独立してデビューした時に特徴になった、プレイヤーの音が有機的に絡んだ無駄のない演奏スタイルを生む切っ掛けとなりました。
このセッションが録音されたのは、グロスマンがディランにレコード作りもコンサートもする気がないなら、せめてディランが作った曲を売り込もうと考えたためで、テープは地下室から持ち出され多くのミュージシャンにコピーが配られました。当時のロック・シーンは、長時間スタジオに籠って多重録音にサウンドエフェクトを加えて凝りに凝った曲作りをして、ライブでは長いソロのインプロビゼーションを聴かせるのが主流でした。その真逆の簡素でリラックスした地下室のサウンドは、ミュージシャンたちに静かな、しかし大きな衝撃を与えます。マンフレッドマンやバーズ、ジュリー・ドリスコール,ブライアン・オーガー&ザ・トリニティたちは地下室の楽曲をカヴァーしてヒットさせて、ロック全体がアメリカの伝統や古い音楽を再評価するようになり、カントリー・ロックやスワンプ・ロック・ブームが生まれました。レイドバック、というフレーズが流行ったのもこの頃です。68年には、ザ・バンドがその名も” Music From Big Pink”でメジャー・デビューして高い評価を受けます。ディランは67年末に、カントリーの聖地ナッシュビルでレコーディングした”John Wesley Harding”をリリースしますが、このアルバムには地下室からの曲は何と、一曲も入っていません。この時代のディランの創作力は凄まじい。

当初、発表するつもりのなかった「地下室」のアセテート盤は、ブートレグ業者の手に渡り違法な形で巷に出回ることになって、海賊盤ブームも生むことにもなりました。地下室のセッションがあまりに有名になってしまったため、75年にはロビー・ロバートソンの編集で"The Basement Tapes"というタイトルの二枚組アルバムが公式リリースされます。が、後年「地下室」以外の場所でレコーディングされたザ・バンドのアウト・テイクが収録されていたり、オリジナルの2トラック・ステレオ音源がモノラルにされていたり、オーヴァーダビングが施されたり、アルバムに収録された曲が膨大なソースのごく一部で、おまけに’I Shall Be Released’や’The Mighty Quinn’といった「地下室」を代表する曲が入っていない、などロビーのオーヴァー・プロデュースにファンから不満の声がリリース以来長年ありました。

そこで今回の"The Basement Tapes Complete"は、長らく期待されていたオーヴァーダブなしのステレオ、しかも驚愕の全曲、全テイク収録のCD6枚組、本物の完全盤で登場です。いやあ、長い間待った甲斐がありました。(とは言ってもディランがヴォーカルの全曲ということで、ザ・バンドのみで演奏した数曲は、今回は一曲も入っていません。こちらはザ・バンド名義で一枚のアルバムにまとめてリリースして欲しいものです。中にはMG'Sのようなカッコいいインスト・ナンバーもあります)。

"The Basement Tapes Complete"をプレイヤーで再生して耳にして、オリジナル・テープの音源は最新技術で修復されていると聞いてはいたものの、どうせホーム・レコーディングだから大した向上は見込めないだろう、と高をくくっていたもので、思った以上のクリアな音にびっくり。ディランがキリスト教とゴスペルにはじめて接近した名曲、'Sign on the Cross'がやっと高音質で聴けるようになったのは嬉しいことです。カーティス・メイフィールドのようなロビーのギターが素晴らしい。
それと、想像してはいたのですがCD6枚を通して聴くと、雑多なしかし多様な、アメリカ音楽の原風景への長いトリップは、ローリング・ストーンズの名盤"Exile on Main St."やスティーブン・スティルスのこれまた傑作"Manassas"のアプローチにそっくり。(どちらも72年リリースなので、ディランとザ・バンドは5年先を行っていたのですが)。色んなアイディアの曲が満載の楽しいアルバムという点では、ビートルズの"White Album"にも似ているかもしれません。
正直、リヴォンがまだバンドに復帰していない時期の録音が多いのでドラムレスだったり、明らかに思いつきで作ったナンセンスな曲や未完成の曲があったり、演奏の完成度も高いとはいえないのですが、ディランとザ・バンドがレコードのセールスもお客さんの受けも考えず、ただただ純粋に音を楽しんでいる姿が目に浮かんでくるようで、ディランのキャリアでも一番楽しい作品群になっています。
ほとんど同じメンバーで66年に録音された、フォーク・ファンのブーイングを受けて鬼気迫るパフォーマンスを聴かせる"Royal Albert Hall"(実際はマンチェスター)コンサートに比べると、わずか一年の違いなのに180度変わっていて感慨深いです。67年のウッドストックの田舎町で音楽を楽しんだ日々は、ディランにとってもザ・バンドにとっても地獄をくぐり抜けた後の、穏やかで幸福なひと時だったのかもしれません。
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