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2015年03月25日23:29

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『相棒 Season13』第19話「ダークナイト」鑑賞。

甲斐享になってから露骨に関心の無くなった『相棒』で御座いますが。

ま、やっぱ卒業となったら見ますわな。
映画、スペシャル、卒業エピソードで
悉く滑る(ここ最近に富みに顕著)『相棒』だから、
全然期待はしなかったものの。

まさか、あそこまで駄目だとは思わなんだ。

「失敗に終わった成長物語」はありだし、
「万能と思われたキャラの失敗(特に名探偵物は
これが好まれたりする)」は構わない。
身内(つうか主人公)が犯人、ってのもよしだ。
だが、どうにもこうにも『相棒』には
座りが悪いのだ。

これは、シーズンを13も重ねて来て、
杉下右京というキャラクタがあまりにも
「完璧」になり過ぎてしまった為、であろう。

彼が、安っぽい熱に浮かされて正義という美名の元に
暴力行為を繰り返す馬鹿の行動や言動の引き出すであろう
「変化」を気付かない筈がない。

杉下右京とて、人間。見過ごしもあるだろうしミスもある。

なんて思えるようには、最早我々視聴者はなれないのだ。
それが、長い付き合いであればあるほど(ネットの評判などを
読んでいて評価が別れるのは、この辺りに原因があろう。
ファン歴が長いほど、今回のエピソードに失望しているようだ)、
「あり得ない」と思えてしまう。
甲斐が右京を出し抜ける程の知能犯であれば、
ラストの空港での幼稚極まりない告白のような
結果には至らなかったろうし、もし右京が
「その程度」であるのであれば、また甲斐は
右京にプレッシャを感じて、「別の正義」という
誘惑には絡めとられなかったであろう。

だからこそ、このエピソードは不出来であるし、
構造的に矛盾があるのだ。

もし例えば。

甲斐が友人の妹の復讐を契機とした
暴行事件を犯していたのが特命係に
引っ張られる以前(出来れば警察官になる前が
望ましい)であれば、「自分の信じた正義」が
結果としてネットで祭り上げられるだけの
「ダークナイト」として消化される事に
嫌悪して、真の正義の実現の為(そして同時に
父親越えというテーマも持てる。ドラマでの
甲斐の描かれ方は単なる反抗期にしか見えない)に
警察官となるというバックボーンがあり。

それから右京に見出されて特命入りして、
様々な「正義」の在り様に甲斐が日々成長していくなか、
突如「ダークナイト」の復活がネットで喧伝される。
甲斐は当然、何も知らない。しかしダークナイトは
次々と犯行を繰り返し、殺人すらも辞さない凶悪性を
発揮していく・・・。

遂に右京と甲斐が追いつめた犯人は、
妹を殺害された甲斐の友人だった。
妹の復讐は遂げたものの、同種の事件が
後を絶たない世に絶望した彼は、
再び「ダークナイト」としての仮面を
被り、「彼の正義」を体現しようとしていたのであった。
甲斐と友との「正義」は完全に形を違えていたのである。

親友に手錠を嵌めた甲斐は、右京に
自分も逮捕してくれるよう懇願する。

過去を認め、自分の犯した罪を償う事で
「父の呪縛」を越え、「杉下右京の真の相棒」に
相応しい人間である為には、という決断であった。

「僕は、君に手錠を掛ける為に特命係に呼んだ訳ではありませんよ」
と云う右京に、
「俺のやった事はまだ時効を迎えていません。俺が、
償わなくてはならない罪なんです。俺、右京さんの
相棒ですから」
甲斐はふっ切った笑顔で云った。

という展開であれば、甲斐の苦悩と成長、「父親の超克」という
課題に綺麗に決着を付けられ、更には
「相棒である為に相棒を辞めなければならない」という
苦さもまた、「『相棒』らしい」という結果になったであろう。

繰り返す。

「相棒が犯人」なのはいい。
だが、それには単なる「喝采が欲しかった」だの
「なんでなのかよくわからない」だのという
大馬鹿もの極まりない動機では、「相棒に相応しい相棒」では
あり得なくなってしまう。
薫は世を半ば拗ねていた右京を正面から受け止め、支え。
神戸は自分も「罪」を背負いつつも右京との活動の末に
「昇華」した事で真の相棒となる成長を見せた。

甲斐だけは、後退してしまったのだ。
しかも、最後に父親が尻拭い(乃至は八つ当たり)をするという
反抗期のガキにしても最高に格好悪い形で。

物語自体が不具合があったり、詰まらなかったり、というのは
仕方が無い。
だが、「精神性」が喪われてしまう事は、頂けない。
それを、ファンは悲しみ、怒っているのだから。

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