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2015年03月17日20:31

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トータルしてみると、「大人」だって事だなぁ。

マツコはなぜ人気なのか?毒舌でも炎上しない“納得の理由”
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=3322599


実はこの人、そんなに「毒舌」などではない。

彼女(トランスセクシャリティに敬意を)は
「自」と「他」の距離を知り、その「差」を計測出来る。

「常識を知っている」という事だ。

だから、彼女の吐く言葉、人に聞かせる話しは
「説教・説諭」に近い。
そして、それが柄で無いという自己認識(此処に
トランスセクシャリティが大きく係わる)が故に、
且つ又、自他の差分から自分自身まで俎上に乗せられるのだ。

本来的に、人は「説教」には臭みを覚える。
それをしている人間が無謬である「筈がない」事を
本能的に知っているからだ。
そういった反感を彼女は(結果として)巧妙に迂回するのだ。

例えば細木数子、島田紳助といった大所高所からものを
云う人間が常に晒された毀誉褒貶から彼女が自由である
理由はそこにある(ミッツとの差も此処にあると云えよう。
彼女は「大所高所から語る言葉」を手に入れつつあり、
待つのは凡百なテレヴィコメンテータ、という安全で凡庸な身分だ)。

自分の位置を忘れないが故に、対象との距離、
座標を確認出来、それに相応しい言葉が吐ける。
これはテレヴィ芸者数々あれど、極めて珍しい。
セクシャルマイノリティの故、という差別スレスレ
(つうか差別)の思い込みは他のおネェ系、
といわれるお歴々を見れば容易に分かる。

その突出した言語能力は、芸能史にも稀であろう。

また、彼女の他に見られない変異性として、
「疑似家族性」が挙げられる。

彼女がフロントに立つ番組の多くに見られる特徴として、
「少人数でのトーク」「ゲストの希少性」がある。
「自」と「他」の可分性を十分に認識している彼女は、
それ故に「孤独」であり(それは剰りにも屡々言及される)、
上記した「クローズドな」番組に、奇妙な「疑似家族」を現出させる。

これは例えば欽ちゃんファミリーのような「家父長制度のパロディ」
ではなく、またヘキサゴンファミリーのような「権力者とその奴隷」
のような、醜悪なヒエラルキィの開陳とも違う、
奇妙な「理想の家族像」すらも実現している。

往々にして、彼女とスイングする共演者は毒舌であったりするので、
矢張り「孤独」を内包しているのかも知れないが、
その共演者たちの他の仕事を俯瞰しても、そのような
「家族性」は見受けられない。
故にこれは彼女こそが引力の中心にある、と云えるであろう。

「自」と「他」が明白であるが故に、不必要な「他」
(この場合はゲスト)を必要とせず、手の合う共演者たちと
ゆっくりと「場」を作っていく。

昨今の小忙しいテレヴィにそのような余裕は、ついぞ失われている。

既に「家族」に理想を求める、などと云う有り様は、消え去った。

「説教」をキチンと出来る「大人」も、子供が空騒ぎするこの国には居なくなった。

それを、彼女は一人、体現して見せているのだ。
これが特異で無くてなんであろうか?

彼女が芸名に奇しくも選択した「デラックス」という言葉。
これは、体格の事でも、ラグジュアリの意でも無い。

「既に無い」「喪われた」事どもの体現であり、その希少性故のもの、
と云うべき事なのである。

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