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2015年03月14日16:54

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ハーン,サロネン&フィルハーモニア

【プログラム】
シベリウス: 交響詩「トゥオネラの白鳥」,「レンミンカイネン」組曲Op.22より第2曲
ブラームス: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77
     〜〜〜休憩〜〜〜
シベリウス: 交響曲第5番 変ホ長調 Op.82

≪アンコール≫
J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006から「ジーク」
シベリウス: 悲しきワルツ

ヒラリー・ハーン(Vn)
フィルハーモニア・オーケストラ
エサ=ペッカ・サロネン(指揮)

2015年3月4日(水),19:00〜,サントリーホール


この演奏会のお目当ては,ヒラリー・ハーンが弾くブラームスのヴァイオリン協奏曲。彼女のリサイタルを聴いて以来,ヴァイオリン・コンチェルトはぜひとも聴かねばと心に決めていた。シベリウスのコンチェルトであれば申し分なかったのだが,ブラームスでも致し方ない。それと,サロネンが振るシベリウスも面白そうだった。

まずは,サロネン&フィルハーモニアによるシベリウスから。「トゥオネラの白鳥」は以前聴いたことがあるはずだが,この日の演奏を聴いていても全く思い出さない。暗く陰鬱な気配が濃厚に漂う作品で,幻想的な雰囲気が全体を支配している音楽だ。1年のうち半分がほぼ闇に閉ざされる北欧に生活する人々が伝承してきた叙事詩の風情にふさわしい演奏のように感じた。

シベリウスの交響曲第5番は,先月,札幌交響楽団の定期演奏会で聴いたばかり。率直に言って,尾高&札響による演奏の方が格段に面白い。サロネン&フィルハーモニアの演奏には,尾高&札響によるシベリウスの第5番ほど強いインパクトがない。それどころか,この日の演奏については,指揮者の解釈とオーケストラの姿勢に強い違和感を覚えた。

今回この作品を演奏するにあたって,サロネンはていねいにスコアを読み返したのか疑わしくなるような演奏だった。ありていに言えば,白紙の状態からイメージを作り上げる譜読みのプロセスを省略してしまったような気がしてならない。ロマン派の作品を演奏するときの枠組みをシベリウスの交響曲第5番にも単純に当てはめたような,ぞんざいな解釈と表現である。何が原因かは判然としないが,作品と謙虚に向き合う努力を怠ったことが演奏に如実に表れている。この点,尾高忠明は時間をかけて丹念にスコアを読み込み,この作品の民族性や革新性をすくい取った。その差は歴然としているように思う。

フィルハーモニア管は,元来,明るく煌びやかで,線の細い軽いサウンドが身上のオーケストラなので,シベリウスの作品との相性が必ずしも好いとは考えていなかった。だが,それ以上に,真摯さに欠ける粗雑な演奏が気に障った。たしかに,下手なオーケストラではないが,アンサンブルはつねに乱れ気味だ。音量が大きくなる箇所に差し掛かると,音が割れてしまい,ただ騒々しいだけの演奏に堕してしまう。2月に聴いた札響の演奏は,この交響曲,さらにはシベリウスの音楽の核心に肉薄しようとする意欲にあふれた演奏であり,この作品が内包する巨大なエネルギーを表現することに成功していた。

さて,ヒラリー・ハーンを独奏者に迎えたブラームスのヴァイオリン協奏曲は,御多分に洩れずソリストの唖然とするほど確かな演奏技術に裏打ちされたユニークな演奏だった。

ヒラリー・ハーンを取り巻く空間が,周囲とは別の重力圏を作りだしているようだった。他の空間よりも密度が高く,より大きな質量とエネルギーを内包しているかのようである。ヒラリー・ハーンが尋常ではない強烈なオーラを放っていたと言い換えてもいい。内に秘めた測り知れない音楽的エネルギーが圧倒的な存在感を生んでいるのだろう。協奏曲の独奏者として,ヒラリー・ハーンはロストロポーヴィッチに匹敵する存在感を示していたのではないだろうか。この2人のようなカリスマ性を備えている演奏家のみが,数の上で圧倒的なオーケストラを相手に,協奏曲を演奏することが許される,そのような気持ちになる。

ヒラリー・ハーンのヴァイオリン独奏は,キュビズムの絵画のように,雄渾な筆致の直線で構成され,ブラームスの音楽が持つ堅牢さに的を絞ったスケールの大きい造形が特徴だ。明るく軽いオーケストラと重量感がある骨太のヴァイオリンのコントラストは,晴れ渡った春の空を背景に,緑の芝生の上に立つ,焦げ茶色の鉄製の彫刻のようでもある。その彫刻は直線で構成された抽象彫刻であり,その特異な質感が異彩を放つ。

そして,コンテンポラリー・アートにも通ずるブラームスは,彼女の比類のない才能と卓越したテクニックに支えられている。オーケストラに対抗する必要上,リサイタルのときに比べて,弓を弦により強く押し付けているため,ヴァイオリンの音色はやや濁り気味だ。だが,この演奏はプロポーションとディテールが見事にバランスし,両者が混然一体となって融け合っている。これほど楽曲の細部を精緻に彫琢しつつ,全体の見通しを失うことのない演奏は,よほど才能に恵まれていない限り不可能だろう。

サロネン&フィルハーモニアによる伴奏は,あまり印象に残っていない。ヒラリー・ハーンの独奏の妨げになる演奏でなかったことは確かだ。ときおり浮かび上がってくるように響いてきた,ブラームス特有の美しい木管楽器のソロが記憶に残っている。

アンコールに応えて演奏された無伴奏パルティータ第3番「ジーク」は,シャープでクリアーなサウンド。この演奏でも,現代的なセンスあふれる幾何学的造形は健在。このまま,無伴奏ソナタ&パルティータ全曲を聴かせてくれないかと,あらぬことを考えてしまうくらい魅力的なバッハだった。
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