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2015年03月13日20:21

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「特定アジア」の問題は抜きにして考える「難民問題」。

■日本の難民認定、5000人中11人と先進国中最低 「島国は言い訳にならない」海外から批判
(NewSphere - 03月13日 12:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=196&from=diary&id=3317431

まずは前提の確認。

「移民と難民はどう違うのか?」

【移民】
通常の意味でいわれる移民とは,自由意思に基づき平和的に
生活の場を外国に移し定住する人のことであり,
英語ではこれを,受入れる側から immigrant (入移民) ,
出る側から emigrant (出移民) と呼んでいる。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

【難民】
「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に
属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは
迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人々と定義されている。
今日、難民とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを
逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになっている。
(「難民の地位に関する条約」1951年)

少なくとも移民には国際法的な定義はなく、
解釈が様々なので、字義的な解釈を採り、
難民に関しては条約の文言の解釈を採用した。

ここまでが大前提。

ヨーロッパの多くの国が、これまで移民を受け入れる政策を
実施してきた事は、今更説明する必要も無い。

そして、それが非常に大きな失敗に終わってしまった事も。
宗教的・文化的背景が大きく異なるムスリムの移民が
ヨーロッパにおける移民問題の象徴、ではあろうが
東欧系移民への地元民の反感も強まっている。
主に人道的観点から受け入れが進められて来た
移民は、そもそもが旧植民地国の人間が旧宗主国を頼る、という
「それは断れねーべ」という構図も見受けられてきた
(ドイツにはトルコ、フランスは北アフリカ諸国、
イギリスにはパキスタン、インドといった国からの移民が多い)。

しかし、これらは宥和、統合が進んでいるとは到底云えない。
2005年のフランス暴動、2015年フランス紙襲撃事件、
イタリアでは東欧移民があまりに増加したために不動産価格の
上昇・土地の不法占拠などの問題が深刻化、スイスでは移民超過の結果、
教育システムや交通、公的医療システムの負荷を「誰が」受け持つかに
議論が為されている。

そして、これらの結果として。

各国首脳はこう述べる。

チェコ大統領ミロシュ・ゼマン
「欧州の規範を守れないような移民は彼らの本国の
文化や慣習のなかで生活するべきであり、
それら移民を本国へ送還するべき」

フランス首相マニュエル・ヴァルス
「フランスにおけるイスラム教徒の割合は欧州一であり、
ジハーディスト・イスラム原理主義やテロリストとの戦争状態にある」

ドイツ首相メルケル
「多文化主義は失敗」

スイス国民党代表トニー・ブルンナー
「(移民規制強化への賛成が過半数を占めた国民投票の結果を受けて)
この国民投票の結果はスイスの移民政策のターニングポイント」

これらは、「血を流した」言葉だ。
別に彼らはレイシストでも人種差別主義者でもない。
人道と宥和精神に基づいて移民を受け入れ、その結果としての
これらの発現であった、という事実は重い。

そもそも「移民の国」として成り立ったアメリカは上記事情とは
様相が異なるのであるが、これはキリスト教国家からの移民を
中心に受け入れている為に宗教的アイデンティティの抑圧が
薄い、という事情もあろうからこうした声明は出されないが、
他の見過ごせない問題も、アメリカは抱えているのは自明である。

こうした結果を受けて、「移民」の積極的受け入れは
どの国も行えないのが現状である。
「排斥運動」まで発展してしまうと国の屋台骨に関わる、
と近代民主主義国家なら誰もが思うからだ。

そして、これらの流入が防がれた「移民問題」は。

「難民問題」にシフトしていった。

「移民」問題は先ほども例示したように、「旧植民地」問題を
背後に大きく背負ったものであった、という事。
それ故に「受け入れ・制限」という振り幅は、その国の
裁量次第、という処もある。

だが、「難民」問題が極めて難しいのは当たり前の話であるが、
「人道」の問題なのである。
「受け入れられなければ死ぬ」くらいの紛争難民は世界中で
何百万人もいる(経済難民はとりあえず置いておく。これは
更に定義が難しいし、日本は専らこの人達に「立証責任」を
科しているので在ろう事は記事中からも推測出来る)。


しかし、受け入れる側にとっては、やはり「口の付いた生き物」である事は
移民も難民も変わりはしない。「移民問題」で解決出来なかった事が、
更にハードに積み重なって行く事は自明なのだ。

このせめぎ合いに俗にいう「西側諸国」は苦しんでいるのだ。

記事中で、「ドイツメディア『ドイチェ・ヴェレ』(DW)は、
「人権よりも経済成長を優先してきた結果だ」などと批判」が
書かれているが、この批判がどうにもピントのずれたもので
ある事は上記事情を全て鑑みれば、即座に理解が出来る。

ドイツは、現在移民・難民受け入れのトップランカである。
これは「ナチス」という余りに重い十字架が齎したもの、と
意地悪く云う事も出来るが、やはりEU諸国の中で唯一と云っても
いいくらいに経済が安定している、という背景はあろう。

そして、その澱は刻々と溜まってきている。

このドイチェ・ヴェレの批判はある意味では「悲鳴」なのだ。
それはそうだろう。他が受け入れてくれないと、ドイツに
来ちゃうんだから。

「皆で持ってくれよ、重いものは」という訳だ。
それはEU諸国には云えないし(結局ドイツがケツを拭く事になる)、
アメリカは別次元。

日本に云うしかない、のだろう。

日本の事情、心象は当然理解しえない。というよりも
「難民問題」はそんな場所で決められる問題ではない、という
のが粗方の受け入れを行っている国の意見であろう。

だが、上記したように、「紛争難民」「経済難民」は
明白に異なるし、それをごっちゃにするのはある意味では
「作為」であろう。

「<シリア難民>初認定 東京入管、一昨年来日の3人」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3317682

というニュースも上がってきていたが、このような対応は
日本は益々拡充していかなければならなくなる。

だがしかし。

「移民問題」が抱えた不満、不逞、不平等の問題は
結局何処の国も解決が出来ないまま、棚上げされた。

「難民問題」もそれと同じ事が、必ず起こる。
国境線を挟んですぐ隣同士の国々でも、こうした問題は
起きたし、そこに宗教的イデオロギィが絡んだら、
更に問題は複雑化、悪化する事は見えている。

これからの先進諸国は「難民排斥」という欲望と戦わなければ
ならないのだ。

それは、国民の願いと容易になり得るが故に、政治家、国家は
斥ける事が難しい問題となろう。
極右政党が支持を伸ばす要因ともなり得る。
そしてそれは、ヨーロッパが既に体現しているのだ。

日本は、その時。

どのような対応を見せられるのだろうか?
「移民」以上に生活のバックボーンが存在しない
難民をこの国が受け入れ、抱えて就労させて、
生活の基盤が作れるように支援していく。

言葉にすれば、簡単だ。

だが、紛争難民であれば、当然様々な言語が
対応の為には必要となり、要求される(故に、
そうした移民、難民は「旧宗主国」へ行ったのだ。
そこには、言葉の障壁が低い、という理由が
相当に強い)。

これ一つとって見ても、日本の「受け入れ態勢」は
あまりに脆弱であろう。

そして、結局は狭いコミュニティが現出し、治安の悪化、
税制上の不平等、インフラサーヴィスの劣化、と云った
「移民問題」の悪夢が再来する。

個人的見解を述べる。

矢張り、安易な「人道的見地」からの難民受け入れは、
非常に難しい、と思う。
移民すら受け入れられない(個人的には移民受け入れは反対)
島国に、どのような力があるのか、と云う見地から、である。

結局、受け入れて放置し、上記経過を辿って挙げ句が
「排斥運動」になるのであれば、最初から「受け入れない」方が
余程マシだ。だが、ここが移民と難民で異なるのは、
難民の場合は「生命の存続」に直結している問題がある、という事。

すると、「大規模には受け入れられないが、数を絞ってなら」という
東京入管の姿勢と同じ、という事となってしまう。

高税率高福祉、を謳って作り上げられて来た国家が
次々に疲弊に喘ぐ中、日本も事情は殆ど変わらない。

だが、まずこれらの問題を改善させていかないことには、
移民も難民もへったくれも無いだろうな、とは思う。





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