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2015年03月05日21:52

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無知な馬鹿って、可哀想だなぁとつくづく思う。

「勇敢(かりぶ)」「雄(らいおん)」「響(りずむ)」…、なぜ「キラキラネーム」は生み出されるのか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=3303829

ここで突然ですが、野口英世クーイズ!!ジャジャン♪

「野口英世がイヌを連れて家の裏の畑に行ってみると、
そこにはシカがいました。さて、この中で人間は何人出て来た?」

ピンポーン♪「正解は、三人!常識ですね〜簡単過ぎましたね〜。
さて、次の問題!」

等と云う戯れ言はさておき。

ずらずらと長ったらしく書いているが、内容は「馬鹿」の一言。

まずは古代の(筆者云う処の)DQNネーム、として

「伊多知(いたち)、与呂志(よろし)、雷(いかづち)、
真虫(まむし)、談(かたる)」

等を挙げているが、これは別に当時のDQNネームなどでは「無い」。

例えば、中世頃までは「悪太郎」「悪之助」などという
名前が普通に付けられていたが、これは「悪」の字が
今と意味が異なり「畏怖される程強い」と云った意味で
ある事に由来している、なんて云うのは日本人なら
当然全員が知っているべき基礎教養だとは思うが。

現代の感覚で「この名前変だよね〜」などというのは
無知無学故の錯覚以外の何物でもないのだ。
この辺りで、文責者の知能のレヴェルは知れたもの、なのであるが。

まだまだ頭の痛い文言は続く。

「大正から昭和初期にかけて多かった名前は、千代(千代子)、久子。
全国に無医村がたくさんあり、子どもの死亡率が高い時代だった。
(中略)女の子のほうでは幸子、節子が人気の上位を占める。
女性にとくに求められていたのが節操や貞節、嫁いだ先での家族の
幸せだったことがわかる。」

阿呆。そんなのは常識なの。別に欠乏とかしてないの。
そして、何よりも明治の後半から庶民にも「〜子」という名前を
付ける事を許された、という事実の方が余程大きい。
ブームと云うのなら、「〜子」ブームだったのだ。
それは何かい?当時の日本には皇族が欠乏していたのか?

馬鹿が。

以降を一々あげつらう事はしないが、結局の処「ブームってそんなもん」
という一言で片がついてしまうものばかり。

真剣に、こんな駄文を読んで感心するような馬鹿にはなりたくない。

・・・あ、そんな馬鹿がDQNネーム付けるのか。

閑話休題。

DQNネームの歴史を紐解くなら、明治に森鴎外という
大物がいるだろうに、それも触れない程度の知識なのは
どうしようもないが、「親が抱える無力感や劣等感の代償行為」だの
「現代に生きる私たちへの警告」だのという大風呂敷には
溜め息を禁じ得ない。

馬鹿は、何時の時代も馬鹿だ、というだけのお話なのだ。
そして、結局最後に物を云うのは常識と教養、これだけ。

いずれか(乃至はいずれも)が欠如している手合いの
家に不幸にして生まれ落ちてしまった子供に、「DQNネーム」という
忌むべき贈り物が贈られるのだ。

そして、それを恥ずかしいと思い、なおかつ「子供にそのような
恥ずかしい思いや苦労をさせたくない」親としての良識を持つ
家庭には、DQNネームは原則存在しない。

結局の処、親が親たる自覚も良識もなく、
ペットに付けるように「所有の刻印」として捺すのが
「DQNネーム」という地獄の烙印なのだ、という事は
付ける人間たちのみが、「知らない」。

こういう時、「馬鹿って不幸だ」と思うのだ。

DQNネームを嬉々として付ける親も、付けられる子も。
そして、このような無知無学な記事を得意げに書いてしまう
馬鹿な文責者にも、ね。


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