「大学」について今まで解説したところを、以下,まとめてみました。
【大学の道は、明徳を明らかにするにあり、民に親たしむにあり、至善に止とどまるにあり】
「大学」冒頭の文章です。
「大学」とは、人間が天から与えられている最高の徳性=明徳を明らかにすることである
・・・明徳。
その明徳が発揮されると、他と通じる心、他との一体感が生じてきて、誰とも親しむようになる・・・親民。
他との一体感が生じてくると、私心、私欲がなくなってくるので、いつも最高至善の、境地なり地位に止まることになる・・・至善。
この「明徳」、「親民」「至善」の三つの柱を「大学の三綱領」と言っています。
天から与えられた最高の徳もうっかりすると曇ったり、真黒になります。「大学」を読むことにより、少しでも本来の自分を見つけ出したいものです。
【止どまるを知りてのちに定まるあり】
この人生の目的をみつけることができると、心が定まり自分の心に動ずるものがなくなってくる。
【定まりて后(のち)よく静かなり。静かにして后(のち)よく安し。安くして后よく慮(おもんぱか)る。慮りて后よく得(う)】
人生の目的がきまり自分の心がしっかりと定まると、心に動ずるものがなくなり、どんな状態におかれても迷いがなくなり是非判断が正しく物事の実相がよく見えてくる。
【物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば則ち道に近し】
樹木の本(元)は根です。根がしっかりして、枝、葉が立派に育ちます。「徳性」が「本」で、知能・技能というものは「末」になるのです。
だから、徳性を涵養すること、すなわち「明徳を明らかにする」こと、これが一番大切なのです。根本をしっかりすると、結果は必ずともなってくるのです。この本末をよくわきまえることが必要です。
事には終始がある。たとえば時間というものは無始無終です。どこから始まって、どこに終わるかはわからない。しかし、この時間にもやっぱり初めと終わりがあるんです。
「この一瞬」、「この一瞬」も、これが終わりで、それは同時に始めとなるんです。それは同時的なもので、終わりから始まるわけです。
だから人生というものは、良き終わりを持つことが良き始まりにつながるのです。それは一瞬一瞬充実した生活をすればいい。これより他にありません。その始まりをよきものにしようとするならば、よき終わりを持とうと常に努力していくことが大切です。
「先後するところを知れば則ち道に近し」、ここで孔子のいう「道」というのは「人の道」という意味です。すなわち、いろいろやることがある中で、何を先にし、何を後にするか自ら判断して順序をつけて、それを実行する。そうすれば人の道から離れることはない、あるいは、人の道を踏み外すことはないということになります。
・・・・以上。
【古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む】
このように、昔の明徳を自分だけが明らかにするのではなく、天下に明らかにする、それによって天下を平安をもたらせようとした人は、それに先だって自分の国をしっかりと治めた。
【その国を治めんと欲する者はまずその家を斉(ととの)う】
自分の国を治めるには、その前に自分の家をしっかりとととのえるよう努めた。
昔の家というものは親族一同、下女、召使等、一軒の家に何十人も住んでいる場合もありますから、なかなか容易なことではありません。だから、国を治めようと思ったら、まず自分の家を斉えることだといっているわけです。
【その家を斉(ととの)えんと欲する者は、まずその身を修む】
家を斉えるためには、先ず徳性を高めるために自分の修養に務めた。
以下、主として伊与田覚先生「己を修め人を修める道」(致知出版)によります。
【その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しうす】
自分の身を修めようと思うものは、先ず内なる心を正すことである。
【その心を正しくせんと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠にす】
心というものは捉えることができませんが、それは喜怒哀楽という感情として表れてくるものです。そうした感情を正すということ、すなわち、喜ぶべきときに喜び、怒るべきときに怒り、悲しむべきときに悲しみ、楽しむべきときに楽しむということが大切である。それが、心が誠であり、正常であるというのです。
感情は一瞬一瞬変っていきます。怒りを三日も四日もためておくのは正常でないのです。
【その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す】
「知」というのは知恵の「知」であり、「致す」ということは「極める」ということです。我々が生れながらに与えられている「知」というものを極めていく。
ここで「知を致す」とは我々に与えられている良心という正常な鏡を澄ますことです。この良心という鏡は、うっかりすると曇ってしまいがちです。この自分に与えられている「知」をいつも正常に保つことが大切だというのです。
【知を致すは物を格(ただ)すに在り】
その「物」の一番根本になるものは何かというと、自分であります。自分も物の一つです。だから突き詰めていえば、「物を格す」とは「自己自身を正す」ことになります。
【古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む】より、ここまでをまとめると次のようになります。
天下に眼徳を明らかにすることによって、よく天下が治まる。
天下を安らかにするためには国をよく治めることだ。
国を治めるためには家をよく斉えることだ。
家を斉えるためには自分の身を修めることだ。
その自分の身を修めるためには、先ず内なる心を正すことだ。
心を正すためには、外に表れる意を正常にすることだ。
その意を誠にしようと思えば、我々に生来与えられた知を極めることだ。
その知を極めるためには、自分自身を正すことだ。
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