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2015年02月21日17:34

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中村天風先生と頭山満翁


一昨日の日記で中村天風先生のことを紹介しました。
中村天風先生の師が頭山満翁です。その翁についての記事がインターネットにありました。 以下、その記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/jngwk691/51398961.html

頭山満翁は中村天風の師匠です。だから、天風先生の本には頻繁に頭山翁の話が出てくる。


とにかく、頭山満という人の人となりは、天衣無縫という言葉がそのまま当てはまるような人だったらしい。

天風先生のご本、「心に成功の炎を」という本の中で、頭山満翁について、天風先生は次のように言っている。

「ところが、あの頭山満という人、ひとたび眦(まなじり)を決せば、支那四百余州を震撼せしめるというぐらいの偉大な英雄(頭山満翁は、孫文が起こした、中国辛亥革命の黒幕であったと言われている)であっても、しょっちゅう、にこにこ笑ってますわ。腹立てたこと見たことないもん。」

「男子いったん眦(まなじり)を決するのは、こと国家に関係する時だけだ。くだらないことでもってまなじりを決するなんてのは男の恥だぜ。私は家にいて、家庭でほかの者がどんなしくじりをしても、けっして小言を言わない。腹が立たないもん、私。こういう人々を養っている私が一番の養い手だと思えば、責任はこっちにある。男が、くだらねえことで怒るようだったら、だめだぜ」。

また、天風先生は、「盛大な人生」という本の中でも、頭山満翁のことを、「哲人、赤子のごとし」と評し、次のようにも言っている。

「私がまだ二十二、三歳の時、頭山満先生に会いたいという人を、孫文が連れてきた。連れてこられた人間は日本人です。孫文が頭山さんのことを非常にほめるもんだから、いっぺん会ってみたい、というのでやってきた。大きな請負師の親方だった。今でいうと暴力団の親分みたいなもんだ。」

「頭山さんと一緒に飯を食って、二三時間過ごしてから、頭山先生が、『一緒に送ってやれ』と言うもんだから、それで孫文と私(天風先生)と二人で、その人間を送っていって、その人の宿に着いたところで、孫文が『どうでした、長年会いたいと思っていた頭山さんに会って、今の、お気持ちは?』と言ったら、その請負師が、『なーんだ、ただの爺(じじい)じゃねえか。

何の変哲もね、ただのじじいじゃねか。話していることはくだらねえことばかりで、何か大変いいことを聞かしてくれるかと思いきや、女の話ばかりして、なんだ、あんなもん』こう言ったら、

孫文が『あれが偉いんだ』『どこが偉いんだ?』『あれだけポーッとしていながら、あの人の言うことはだれでも聞いて、あの人の為ならすぐ命を捨てようとする者が幾人もいるんだ。普通の人間には、あれはできないんだ』
それを私、脇で聞いていて、ああ、やっぱり、俺が思っていた通り偉いんだ、あの先生は、とこう思ったことがある。」


その当時、頭山さんの周囲には、総理大臣のような立派な人物から、食い詰めた浪人者、それに、ヤクザの親分のような者まで、有象無象、いっぱい集まって来ていたらしい。

一説によると、頭山さんは、やくざの親分達から、ヤクザ総連合会長、のような役を頼まれて、断った、とかいう話もある。

それかあらぬか、以前のヤクザの親分の家の床の間には、大抵、頭山さんの写真が飾られていた、という話も聞いている。

今、こういう豪傑は、ほとんど、見られなくなったが、当時は、こういう輩がゴロゴロ日本国中を闊歩して歩いていたのであろう。

天国から、現下の日本を見下ろして、頭山さんが、「日本人も、随分、スケールが小さくなったもんだ」と、嘆いているようにも思える。

数多くの日本を動かした東郷平八郎、山本五十六、原敬首相、宇野千代、双葉山、松下幸之助、稲盛和夫氏が師事されたという、500年に一度と言われる中村天風先生の先生というから、頭山満先生という方は、どれだけ超大物であるか言えないくらいの人物だと思います。
・・・・以上。

ただ、この超大物の頭山満先生が、全然大物ぶらないため、ただのじじいじと見られて平然としていたというのです。スゴイ人物が、戦前、日本にいたのですね。


※長尾剛「話し言葉で読める 西郷南洲遺訓」(PHP)の「まえがき」に、頭山満先生について、次のように書いてあります。
「じつは、大正14年に『西郷南洲遺訓』という『遺訓』本文に解説を付け加えた本が出版され、これが戦前までは、とてもよく読まれていました。この解説を担当したのが頭山満という、かつて西郷と盟友だった人物です。福岡藩の出身です。

頭山は、「西南の役」より“一足早い反乱”に参加して投獄されてしまっていたため(「萩の乱」)、西南の役に加われず、最後とともに死ぬことが出来なかったのです。
後に自由民権運動に参加するなど、在野にあって反権力の立場で終生を過ごしました。典型的な“幕末の武士”の気概を持った人でした。

頭山は、『西郷南洲遺訓』の解説でわざわざ久坂玄瑞の言葉(「無事は有事のごとく、有事は無事のごとく」)を取り上げて、これこそ西郷の教えに通ずる信条だと述べています。彼も久坂が好きだったようです。
・・・・以上。





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