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2015年02月19日18:24

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(再)中村天風先生について

「中村天風先生は500年に一度出るか出ないかという偉人と言われ、東郷平八郎、山本五十六、原敬首相、宇野千代、双葉山、松下幸之助、稲盛和夫氏など数多くの時代のリーダーが師事しました。

以前の日記で何度も取り上げましたが、次回の日記にその師の頭山満翁について述べたいので、再度、中村天風先生のプロフィールを紹介します。

中村天風先生の概略
明治9年東京生まれ。日清・日露戦争で軍事探偵として活躍する。30歳にて弄馬性肺結核発病。救いを求めて欧米に渡る。偶然知ったヨガの大聖人に教えを受け悟入転生の新天地を拓く。

帰国後、東京実業貯蔵銀行頭取はじめ実業界で活躍した。大正8年、43歳のとき一切の社会的地位、財産を放棄し、現在の「財団法人天風氏会」を創設。皇族、首相、大臣、実業家、俳優を始め、直接薫陶を受けた人は10万人を超える。昭和43年永眠。

中村天風先生は日清・日露戦争で軍事探偵として、言語に絶する危機の中で命を賭して活躍されました。勇気と胆力に加えて、古今東西の文化知識に関する造詣も深く、英語、中国語に精通、またコロンビア大学で医学博士の学位をとるというスーパーマンでもありました。

ところが当時、不治の病といわれた弄馬性肺結核に冒され、救いを求めてアメリカ、ヨーロッパ、インドなど、世界の3分の2の地域を遍歴しました。しかし、各地で教えを請うても、なんの救いも与えてくれませんでした。絶望の果てにあったとき、天風氏が出会ったのはヨガの哲人カリアッパ聖者でした。

彼についてヒマラヤの奥地カンチェンジュンガに入った天風氏は、谷底の激流の下にある巨岩の上で、最後の瞑想を続けました。そして辛苦の行の中から、天風氏は人間生命の根源をつかみとり、宇宙の神髄ともいうべき哲理を会得しました。

天風氏の教えは、彼自身の血が出るような努力の果てに、自ら体験し、悟った玄妙の境地から出たものです。

なお、大仏次郎の名作「鞍馬天狗」の主人公、天狗こと倉田典膳は、軍事探偵時代に神出鬼没の活躍を見せた天風氏をモデルにしたといわれます。

大道講話に出る
私が、天風氏を本当にすごいと思ったのは、鈴村進「中村天風先生・勝ちぐせのセオリー」の中の次の文章を読んだときです。
瀕死の難病を乗り越えた天風氏は帰国後、東京実業貯蓄銀行の頭取をはじめ、5つの会社の重役を務めました。その一つである大日本製粉は、後に正田家の経営する日清製粉と合併した会社です。

そのうち体調が怪しくなってきました。昼も夜もぜいたく三昧、道楽三昧、東京に家を5つも持ち、そのほかに江ノ島、葉山、大磯に別荘を持ち、自宅に帰るのは月に1度くらいでした。金を湯水のようにばら撒いて、人から見れば実に羨ましい身分でした。

しかし、本人はだんだん憂鬱になっていきました。何のために俺はこんなことを、と思えば思うほど、毎日が苦痛の連続になったのです。

そんなある時、夫人の従兄弟夫婦がノイローゼ気味なので、人生体験談とでもいうような話を聞かせてやってもらえないだろうかという依頼を受けました。
彼は気軽に引き受け、そのとき同席した数人の知人も加えて、みんなの前で「人生は、本人の心の持ち方次第で幸せになることができる」という話をしました。

聞いた人が非常に感動しました。天風氏の数奇な体験から生まれた強烈で、斬新で、しかも滋味あふれる人間本来の在り方を追求した講話に胸を打たれたのです。
彼らは是非もう一度聞きたいと頼み、5日ほど後に第2回目が開かれました。このときも聞いていた人は感銘しました。

ここで天風氏は気づいたのです。
「俺はみんなに頼まれてこうして話をしているのだが、みんながこんなに喜んでくれる。それを見ている俺のほうがもっと楽しい。心にも体にもまったく負担がない。宴会と違って少しも疲れない。こんな楽しいことが世の中にあったのだ!」

カネなんかいくら儲けたって面白くない。却って自分の心を傷つけ、命を縮めるだけではないか。そして彼はついに夫人に明かしました。
「オレ、会社や銀行の仕事やめるよ」
彼は自分の考えを詳しく説明しました。夫人は驚きましたが、最終的には夫の考えを理解し、温かく励ましました。

大正8年6月8日、焼きむすびを腰に下げ、わらじ履きの天風氏は、朝9時に上野の精養軒の前に立って、辺りを散歩している人に向かって話し始めました。

ここから彼の大道講話が始まったのでした。午後はどこにしようか。電車に乗って何となく芝公園で下車した彼は、増上寺の大隈重信の銅像の前に立って通行人を相手に話し始めたのです。

当時このような街頭演説などはなく、通りがかりの人たちは、気味悪そうに眺めるだけでした。結局、午前の話を聞いた人は10人、午後の聴衆は5人でした。

それでも天風氏は満足でした。それから雨の日も風の日も毎日ここへやって来て話し続けた。聴衆は少しずつ増えていきました。

人を喜ばせることが、自分の人生の楽しみになる。これは彼にとって最高の「楽しい欲望」だったのです。

誰でも人にやさしく、親切にしたい。それが相手に受け入れられれば嬉しい。人間は本来そういうやさしい存在である。人を喜ばせれば、自分も楽しい・・・・・・・。

自分の欲望を「人を喜ばせること」にすれば、そのまま楽しい欲望になります。これを自分の毎日の生活の上で実行してみるとき、あなたの人生は必ず楽しくなるはずです。

人から恵みを受けたときよりも、人に恵んだときのほうが何倍も楽しい。物乞いに恵むときには、恵む人がお礼をいうという習慣のあるところもあります。考えてみればまさにそのとおりかもしれません。

「あなたが私の施しを受けていただいて、お陰で私は楽しくさせてもらいました。ありがとう」

この気持ちは、施しに対する報いや報恩などはまったく求めない。相手から感謝されようとも思っていない。そういう完全なる一方通行です。だから尊い。だから純粋なのです。

もっと掘り下げて考えれば、単なる一方通行ではない。その何倍、何百倍もの恵みを必ず彼は天から還元されるのです。これを感謝しないわけにはいきません。
恵むことは恵まれること、施すことは施されることです。その時、欲望は完全に楽しいものになるのです。

鈴村進「中村天風先生―勝ちぐせのセオリー」三笠書房を参考にしました。




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