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2015年02月19日13:58

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「大学」の教え

「大学」とは論語、孟子などと並ぶ四書五経の一つで、昔は四書五経の中でも最初に習うものとされました。
近江聖人といわれた中江藤樹は「大学」の中の文章「天子より以て庶人に至るまで、一にこれ皆身を修むるを以て本となす」の一句に深く感動して聖賢の道を志しました。
また、二宮尊徳が少年の頃、薪を背負いながらつねに読み続けていたのが「大学」でした。

「大学」とは「ほんものの人間=大人とは」、「人としての本当の道とは」、「それができるためには」について、孔子の「生き方の指導書」とも言えるものです(孔子の弟子・曹子著)。

人」になるための「問」ですから、「大学」という名前がついたのです。

そして、戦前、非常に大切にされていまいした。
以下の書を参考に、私なりの解説を試みてみました。
※伊与田覚「大学を素読する」(致知出版)、伊与田覚「己を修め人を修める道」(致知出版)、諸橋轍次「中国古典名言事典」(講談社学術文庫)、守屋洋「新訳 大学・中庸」(PHP)、金谷治「大学・中庸」(岩波文庫)、島田虔次「大学・中庸」(朝日文庫)、菅原兵治「大学味講」(東北振興研修所)を参考に「大学」を解説します。




大学の道は、明徳を明らかにするにあり、民に親たしむにあり、至善に止とどまるにあり


「大学」は人間が天から与えられている最高の徳性=明徳を明らかにすることである
・・・明徳。

その明徳が発揮されると、他と通じる心、他との一体感が生じてきて、誰とも親しむようになる・・・親民。

他との一体感が生じてくると、私心、私欲がなくなってくるので、いつも最高至善の、境地なり地位に止まることになる・・・至善。

この「明徳」、「親民」「至善」の三つの柱を「大学の三綱領」と言っています。
天から与えられた最高の徳もうっかりすると曇ったり、真黒になります。「大学」を読むことにより、少しでも本来の自分を見つけ出したいものです。

※「親民」について、ひとり己を磨きあげるのみならず、それを推し広めて、世の一般の人々をも、明徳を明らかにさせることだ、と解説している本もあります。明徳を明らかにした人は、それを自分だけのものにするのではなく、周りの人々へどんどんつたえていきなさい、というのです。

※「至善に止まる」とは、明徳を明らかにすること、民に親しむこと、この二つを実践するうえで、最高の状態に到達して、そこから一歩もあと戻りしないこと、です。




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