mixiユーザー(id:34710023)

2015年02月02日16:11

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三年間

で、ノートを一冊終え、新しいノートを用意する。
ノートたちの引き継ぎ?をするために、古い方をぱらぱらとめくっていて、久しぶりに最初のページに貼っておいた「信徒の友」からの切り抜き(青森松原教会の願念 望牧師)を読み直した。
『ある夜、当時幼稚園生の末娘が、突然「お父さんは、どうして牧師先生になったの?」と尋ねてきました。不意を突かれて、主から召命を受けたからで自分からなろうと思ったわけではないことを、どうわかりやすく話そうとか考えていると、目を輝かせて言いました。「イエス様のお話をいっぱい聞けるから?」と。(中略)
牧師は説教者として語る者である前に、まず、主の御言葉を聴くものです。そのような聴くことに仕えるつとめには、すぐに聴き取ることができない自らの弱さや罪深さゆえの労苦があります。しかし、弱さのうちに共に働き罪深い者を赦して用いてくださる、情けの深い主の恵みがあるので支えられます。何よりみことばに養われていく喜びがあるのです。』
今朝の金剛山。
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