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2015年01月31日00:50

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中庸の言葉「を己に施して願わざれば、亦た人に施すこと勿かれ」


忠恕は道を違[さ]ること遠からず。諸(これ)を己に施して願わざれば、亦た人に施すこと勿かれ


現在の言葉にしますと、
「自分のまごころ、まことや、他を思いやる心は、道と離れたものではない。
自分の身に起って欲しくないことを、他の人にしてはいけない」となります。
だから、他人へこうして欲しいとか、いろいろ要求しますが、この要求するところのものが、人としての理想であり道だというのです。

だから、道というものがすべて自分の内にあるというのです。
それ故、他人にこうして欲しいという要求を、逆に自分に向けてみなさいというのです。これが自己を修めることだというのです。


そして、次のように続きます。

君子の道は四あり。丘、未だ一をも能くせず。子に求むる所、以て父に事うること、未だ能くせざるなり。臣に求むる所、以て君に事うること、未だ能くせざるなり。弟に求むる所、以て兄に事うること、未だ能くせざるなり。朋友に求むる所、先ずこれを施すこと、未だ能くせざるなり。庸徳をこれ行ない、庸言をこれ謹しみ、足らざる所あれば、敢えて勉めずんばあらず、余りあれば敢えて尽くさず。言は行を顧み、行は言を顧みる。君子胡んぞ慥慥爾(ぞうぞうじ)たらざらん


現代語にしますと、

君子の道は四つあるが、自分(孔子)は未だその一つをもよくすることはできない。
第一は、自分の子にこうして欲しいと望むことを、自分の父親に対してそのように未だよくできていない。
第二に、自分の家臣(部下)に対してこうして欲しいと望むことを、自分の君主に対してよくできていない。
第三に、弟にこうして欲しいと望むことを、兄に対してよくできていない。
第四に、友だちにこうして欲しいと望むことを、自分が先にできていない。

君子は特別のことをするのではなく、こうした日常の当たり前のなすべき徳を実行し、平凡な日常の言葉に注意し、慎重に、自分の徳に足らないところがあれば、それができるように努力する。

そして過ぎたるところがあれば、自分を抑制する。
そして、ものを言うときには、自分が実行できないようなことは言わない、そして、ことを行うときは、平素の言葉にかなっているかと注意する。そのように言行一致するよう、君子はいつも緊張して努めないではおかない、なんと篤実なものではないか。

<註>
庸徳・庸言=日常の当たり前の徳とか言葉。「庸」は常。子が親に孝を尽くすのは当然、常のことである。
慥慥爾=篤実のさま。

・・・・・以上。

自分にやって欲しいことを、先ず、他にやってみる。
自分にして欲しくないことを他にたしてしない。

子どもにして欲しいことを果たして、自分はやっていたか。やっているどころか、反対ばかりだった昔を反省させられます。
部下にやって欲しくないことを、上司にむきになってやってみたり、この「中庸」の言葉は実に平凡ですが、難しく私の心の急所を突かれた思いです。




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