TVで、『バットマン・ビギンズ』やってたので、ひさびさに見る。
ハリウッドではアメコミの映画化が人気のようで、色々なヒーロー物が作れられているが(メタなアメコミヒーロー物である『ウォッチメン』を例外とすれば)、わたしが一番好きなのは、バットマン。
バットマンが他のアメコミヒーローと違うのは、他のヒーローはパワーが常人離れしていたり、目からレーザービーム出したり、空を飛べたり、体の一部が武器になったり、ほとんど不死身だったり、超能力者またはサイボーグなのですが、正統アメコミヒーローではバットマンだけ、特殊能力ゼロ。
ただの人なのです。
(『キック・アス』もただの人がヒーローやってますが、あれはアメコミのパロディーと捉えるのが妥当でしょう)。
少年の頃にティム・バートン版『バットマン』の映画が公開されて、ティム・バートン特有のダークでユーモラスな世界観と、ジャック・ニコルソンが演じた宿敵ジョーカーの存在感が秀逸で好きになりました。
その時、特に惹かれたのがバットマンがただの人だ、という設定で、そうブルース・ウェインという過去に両親を暴漢に殺されたトラウマ持った若い富豪が、金の力にモノを言わせて最新技術で作ったコスチュームと武器、マシンで武装して勝手にヒーローやってんです。
つまりバットマンって、コスプレした非合法の自警市民という、ただのヤバイ人なんですよ。
そしておなじみのジョーカーやキャットウーマンといった、バットマンの敵キャラも、おなじくコスプレして犯罪してる頭のいかれた人たちです。
ヒーロー物というと半神のごとき人間の尺度を超えた存在が活躍するから、常軌を逸した言動も許されて、すんなり受け入れられるのですが、バットマンは訓練をしただけの人なので、ヒーロー物のお約束が「え?それって現実社会ではどうなの?」と至極まっとうな人間の視点にまで下されて検証し直されてしまう。
その揺らぎこそ、バットマンの最大の魅力であり、おかげでコミックスも映画もどんどん現実の問題を吸い上げてシビアな作風が加速してゆき、クリストファー・ノーラン監督のいわゆる『ダークナイト』三部作は、腐敗した現代社会で人がヒーローとしての高潔さを持って生きることをテーマにした、一つの到達点だったと思います。
バットマンは闇から現れて闇に消えるもの。
それは現代社会の闇なのかもしれないし、君の心の暗闇なのかもしれない、な〜んてね。
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