mixiユーザー(id:5089039)

2015年01月15日08:35

1241 view

亡己利他



以下、中野東禅氏「名僧の一言」(三笠書房)を参考にしました。

日本仏教の基礎を築いた天台宗の開祖、最澄は、
己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり.
と教えています。

「好ましくないことは自分で引き受け、好ましいことは人に振り向け、自分を忘れて人のためになることこそ、慈悲の究極の在り方である」という意味です。

最澄は、自分も幸せになり人も幸せにする「自利利他」をさらに発展させ、自分の幸せを忘れて人や世の中を幸せにする「亡(ぼう)己(こ)利他(りた)」の教えを求めました。

私たちは、同僚や友人、家族が困っていたら手を差しのべます。ただ、見ず知らずの他人が困っていたら、ついつい見逃してしまいます。最澄は、「それではダメだ。見ず知らずの人でもわけへだてせずに助けなさい」というのです。

たとえ、敵対する宗教の人であっても、敵対する政党であっても、イヤな上司であっても関係なく、他者の喜びをわが喜びとし、他者の痛みをわが痛みとする=「無縁の慈悲」を実践してこそ本物の利他だというのです。

「無縁の慈悲」とは、赤の他人のことです。これが「亡己利他」です。

例えば、仕事の出張先でちょっと珍しいものがあったら、お土産を買ってきて、周りに配る人がいますが、いつも買ってくる人と絶対買ってこない人等いろいろあります。

もちろん、買ってくる人の動機には、いつも世話になっているからとか、この前いただいたから等、損得の理由があって買う場合が多いようです。
だから、貰ってばかりの人がいると内心面白くないかもしれません。

ただ、「皆に喜びを分けてあげたい」と思う心が本物であれば、貰ってばかりの人がいても、気にならないはずです。

損得の心になっていないか、皆さんはどうですか?

(以上)



「損得の心」・・・、正直にみて、思い当たることだらけです。

確かに私たちは他の人の祝い事や喜び事を喜ぶ気持ちがあり、遭難事故で無事帰還したと知って、全く他人のことながら自分のことのように喜べる面もあります。

しかし、思いやり、譲り合う心、他を思うというような利他の心がある一面、自分の損得、利害に少しでも関係してくると、とたんに別人のようになるのも事実です。

バーゲンで先を争い人を押しのけわれ勝ちに品を選ぶというように、他を押しのけてでも、自分が少しでも得をしたという気持ち・・・、よく見られる普通の風景です。

皆と一緒に仕事をする時、つい楽な方を選びがちな自分・・・、思い当たることばかりです。

昇任試験で早く出世知った時の同期のものへの妬み、思い白くないという感情からのいやがらせをするというのを、会社生活でよくみました。


最澄の「無縁の慈悲」、「亡己利他」の教えは本当にスゴイことだと思います。


5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する