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2015年01月03日21:56

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ひょうげた器

私の好きな陶器に織部焼があります。


美濃焼の一種で古田織部さんが興したそうです。

邪馬台国の卑弥呼さんは
中国三国時代の魏の王様から貰った金印を
権力の後ろ楯に用いたそうですが、
時代を下って室町時代の頃から
書院造の今で云う床の間に
大陸から渡ってきた唐物を飾って愉しむと同時に
訪れた客人に権力を誇示したそうです。

今で云う、エルメスのバッグやパティックフィリップの時計を
100万個くらい持っているような感じでしょうか。

さて、織田信長さんの家来だった古田織部さんは
古株なので豊臣秀吉さんにも一目置かれ、
当時の数寄者の一人者、
侘び茶の開祖である千利休さんに弟子入りし
皆の真似では駄目ですよ。と諭されて、
伝来の唐物を愛でる唐物数寄ではなく
師匠と同様に自分でプロデュースして焼き物を焼かせたのでした。
これが織部焼です。

折目正しく内なる厳しさを湛える侘び数寄の利休好みと異なり
ひょうひょうとしながら、
並みならぬ凄みと落ち着きとを感じさせる印象です。
きっと、戦国武将の古田織部さんのお人柄なのでしょう。
これを「ひょうげたもの」と呼ぶそうです。


油絵の巨匠、ゴッホさんやモネさんが
江戸時代の浮世絵師、歌川広重さんの浮世絵を見て
カルチャーショックを受けて
印象派の躍進につながったそうですが、

ミロさんやピカソさんが織部を見たら
また違った展開があったかもしれません。

なお、織部文様は織部さん個人の創作と思いがちですが
美濃の陶芸家、加藤卓夫著「ペルシャ陶器」に依れば、
ペルシャ古陶の調査に於いて、
カスピ海南部にあるイラクの砂漠で発掘された陶片に
ふるさとの織部の梅鉢や市松の文様が絵付けされているのを見て目を疑った。
と云うことです。
織部焼(16〜17世紀)よりも古い13〜14世紀の陶片だそうで
古田織部さんもシルクロードを伝わって輸入された
ペルシャ陶器を見てピーンと来たのかもしれません。とても興味深いですね。


そんな、織部の催しがあります。
没後400年 古田織部展

http://www.matsuya.com/m_ginza/exhib_gal/details/20141230_furutaoribe_8es.html

これは行かなくては。

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