mixiユーザー(id:5416651)

2014年12月22日01:16

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「役に立つ」とは何か

この人は、

>明治の富国強兵を目的に始まった現在の教育システムは、既におかしいのじゃないかな?

と批判していますが、
この人の「役立つ」という発想は(明治よりは若干進んでいるものの)終戦直後のものです。
終戦直後には、「生活単元学習」というのが幅をきかせました。
形を変えて、現在の生活科として復活しましたが、
小学校低学年向けに、「生活の身近なところから題材を拾い、そこから発展させる」というものです。
生活に直接関わっていないと「役に立たない」という発想が、
この記事から読み取れます。

>物理や化学、使います?
>数学の公式、使います?
>間接的には学問に興味を持ったとか、学ぶ面白さを知ったとか、根性がついたとか

顕在的カリキュラムも潜在的カリキュラムもわかっていないようです。
まぁ教育が専門なのではなくて、医者ですから・・・・

顕在的カリキュラムという点においては、
たとえば、統計(平均や偏差など)の基本がわかってないと、
記事などの数値で騙されてしまいます。
平均貯蓄額、平均給与など、その母集団が何かを考えないで、数値だけを見たら騙されます。
為政者が“もの知らぬ民”を騙すのに、これほど有益なものはないでしょう。
歴史を知るということは、昔から現在までの“ベクトル”を知るということです。
多くの学問で、その歴史(経済史、美術史など)は、基礎教育に組み込まれています。

潜在的カリキュラムという点においては、
「学問に興味を持った」など、この人の言うようなものではなくて、思考方法などです。
考える力、考える方法などを学ぶ為のカリキュラムを、
学校以外では用意できないでしょう。

それを今の学校がきちんと教育できているかどうかというのは、話が別です。
“ゆとり教育”というと批判の対象になってしまいますが、
ゆとり教育が悪かったのではありません。
“ゆとり”といって、教育内容を減らしたものの、
それ以上に学習時間を減らしてしまった(学校五日制)ために、
一つの単元にかける時間が少なくなり、
減らした教育内容ですら身につけさせられなくなってしまったことに原因があります。
潜在的カリキュラムにおいても、
   「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」(教育基本法第1条)
を育成しなければならない学校が、
たとえば、規則違反の処分に控訴権がなく、弁護人もなく、
処分を決める会議において発言することすらできないなど、
教師の権威を押しつけ、民主主義と反することをしているため、
「長いものに巻かれろ」という意識を形成してしまったり、
規則を改正することを認めないため、裏で行うようになってしまうなど、
いろいろな問題があります。

>これは社会が決めたルールだ。参加者にルールは変えられない。
>つべこべ言わずに、一気に集中してこんなものいち早くやり遂げて

これなどは、悪い影響を与える潜在的カリキュラムを含んでいる言葉です。
参加者(選挙権を持つ人)になれば、ルールを変えられます。
その自覚がないから、衆議院選挙の投票率が約半分なんてことになるのです。


>それを、全ての先進国でやっているわけ

なぜ、すべての先進国でやっているのか、それも解ってません。
有用なものでなければ、廃れているはずです。
すべての先進国が行っていて、後進国支援の大きな柱の一つが初等教育であるのは、
そういうシステムが必要だからでしょう。


少し前に「努力は報われる」という言葉について、
「“報われる”の定義が近視眼的になってきていないか」、と、日記に書きましたが、
   意味が違うし・・・・(笑)
      http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936507553&owner_id=5416651
この筆者の「役に立つ」も、かなり近視眼的なものであるようです。



「学校の教育は役に立つのか?」と子どもに聞かれたら、大人はどう答えるべきか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=3195875
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