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2014年12月21日08:13

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精神百倍、徳積みに励みたいものです


孔子の教えを説く「大学」の中の一文です。
以下、菅原兵治「大学味講」を参考にしました。

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小人(しょうじん)間居して不善をなす、至らざる所なし。
君子を見てのち厭然(あんぜん)として、その不善を揜(おお)いてその善を著(あ)らわす。 人の己(おのれ)を視みること、その肺肝(はいかん)を見るがごとく然れば、すなわち何の益(えき)かあらん。 これを中に誠(まこと)あれば外に形(あらわる)という。 故に君子は必ずその独(ひとり)慎(つつし)むなり。
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★厭然 … おおいかくすこと。

小人(普通の人)は、ひまでぶらぶらしていると、ろくなことを考えず、よからぬことをしたい放題にするものである。

そこに君子(立派な徳のある人)が来ると、にわかに不善をおおいかくして、善いことをしていたふりをする、というのであるが、これは誰でも思い当たることがあるでしょう。

しかし、君子が人を視るのは、腹の中の肺臓や肝臓まで見るように、よく見抜くものであるから、いくら隠しても、何の益もないものであります。

これを「これを中に誠(まこと)あれば外に形(あらわる)という」――内なる心が誠になっておれば、それは形となって外に現れるものである。これを裏返しにいえば、心が誠でなければ、その醜い姿が形となって外に現れるものである――というのであります。



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曾子曰く、「十目の視るところ、十手(じっしゅ)の指さすところ、それ厳なるかな」と。
富は屋(おく)を潤(う)るおし、徳は身を潤す。心広く体胖(ゆたか)なり。
故に君子は必ずその意を誠にす。
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多くの人の目や、多くの人が指差すところのものは、実に厳しく正しいものである。
ゴマカシのできるものではない。正真正銘の本物のであってこそ、世間は立派な人だと見るのです。

それはあたかも、その家に富が生じてくると、自然にその家屋に「潤い」を生じてくるように、人間も内に徳が積まれてくると、その人となりに自然と貫録というか「潤い」を生じてくるものです。



昔、NHKテレビで、101歳になるという京都の清水寺貫主を見たのであるが、それを見た者のひとしく痛感したことは(アナウンサーもそういっていたのだが)、その顔にも手にも「つや」があることであり、その声にも、そして、その声で語られる言葉の内容にも、何と若々しい「潤い」のあるということでありました。

それは、内なる誠が外に表れて、自然にそうなるものでありますから、格別の作為もなく、偽飾もなく、無理も虚勢もない、最も自然の姿なのであります。この状態を大学では「心広く体胖(ゆたか)なり」というのです。「潤い」というゆかしさは、この「心広く、体胖か」な人柄から自然に滲み出てくるものでしょう。

これは、一朝一夕にして出来ることではありません。そこで、大学では、この節の結びとして「故に君子は、必ずその意を誠にす」といっているのです。ここでいう「誠」とは、「明徳」のことですから、何事につけても、行住坐臥、明徳を明らかにする努力を積み、その明徳にしたがって行動し、その普段の精進が、積まれた結果として、自然に滲み出てくるのでしょう。

・・・・・・・・・以上。


もうすぐ87回目の新年を迎えます。

「末路晩年、君子宜しく精神百倍すべし」、
精神百倍、徳積みに励みたいものです。



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