人間千々よろずのまよひ、みな私よりおこれり。わたくしは、我身をわが物と思うよりおこれり,孝はその私をやぶりすつる主人公なるゆへに、孝徳の本然ホを、さとり得ざるときは、博学多才なりとも真実の儒者にあらず。
・・・・『翁問答』
以下、中江彰「中江藤樹人生百訓」(致知出版)の解説によります。
私利私欲の心、自分自身の言行が、人としての迷いを引き起こす。
その「わたくし」は、わが身をわがものと思うところから起因する、と藤樹は説く。
しかし、私利私欲のない生き方とは、具体的にどういう状態をいうのであろうか。それを見つける手立てとして、すぐれた先儒の著書から発見するという方法がある。そこで藤樹の33,3歳のときに講じた『小学』のなかにみられる例話を紹介しよう。
――唐のころ、董召南(とうしょうなん)はいまだ仕官することなく田舎で暮らしていた。
土地の長官は、彼の人物を知らず、天子にもその名声が届かず、管禄を受ける機会もなかった。彼は朝に出て耕し、陽が落ちて帰宅、古人の書物を読むという毎日であった。
また山でたきぎを取り、川で魚を取り、台所にはいって親のために食事をつくり、親の部屋にいてご機嫌を問われた。
親は憂えることなく。妻子もまた悲しむことなどなかった。こうした召南を知るのは、天帝(上帝)ただひとりであった、と。――
・・・・・以上。
董召南は知識人なのに仕官せず野にいるが、正義や忠義を心の中に持っていて、自らの行いを正して淡々と過ごしている。自分の姿勢を正すとともに、自分の力を宣伝することもない。
「大学」に「君子は必ずその独りを慎む」とあります。
君子は人が見ていようが見ていまいがそんな事は関係なく、常に自分の行動を正し律する態度をとります。
「天知る、地知る、我知る、人知る」、これを四知といいます。
独りだからといって間違ったことをすれば、他人には知られなくても、自分は知っている。他人はだませても、自分はだませないということです。
人間は、人の見ぬところでは、つい自分にルーズになりがちで、自分に有利になるよううごきやすい。
たとえばゴルフです。ゴルフのスコアーは自分で申告するために、ごまかそうとすれば、ごまかせないことはない。しかし、分からないと思って自分のスコア―をよくするためにごまかす人がある、これなども、「君子は必ずその独りを慎む」でないのです。
京大大学院薬学研究科元教授・辻本豪三被告の物品購入汚職、徳島大病院汚職:森川准教授の収賄疑惑、人に知られぬだろうという思いで、「必ずその独りを慎む」と反対に不正をしたのです。
私たちも必ずその独りを慎みたいものです。
★『翁問答』は藤樹晩年の作品。
この書は弟子であり岡山藩、池田光政の重臣として治績をあげた熊沢蕃山に影響を与えた。六代将軍徳川家宣や七代将軍徳川家継を補佐したことで知られる新井白石(1654〜1725)も、この書物によって儒学に開眼したといわれている。
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