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2014年12月10日19:56

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手記を読んで

文藝春秋新年号を図書館で見た。
94ページから100ページまで記載されている。
骨子を書く。
「 諸行無常。12歳で戦争に負けた。就職難で大学の先生からノースウエスト、
高島屋などの有名企業を紹介して頂いた。自分の性格にはどうも合わない。新芸プロのマネイジャー見習いにおうぼした。隣の席にいた東映牧野光雄専務に偶然見られ俳優にスカウトされた。月給5000円で俳優座養成所に入った。
パントマイムもできず見学してくださいと言われた。初演が主役でドーランを塗られたとき、親には勘当されたこともありああ本当に人生が変わったとぽろーと一筋涙が伝わった。
一年18本もの映画に出演した。数十日間、ストライクで逃げた。お滝を受けたいと申し出したら、酒井雄哉阿闍梨を紹介してもらった。南極物語出演で迷っていたとき阿闍梨から、行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなしの言葉をもらった。
八甲田山は三年間かかった。
俳優四人が脱走し、青森駅で確保された。宿舎から現場まで毎日仲間とともに延々と歩くことになった。京都三千院近くの土地、ハワイのマンション売却して凌いだ。
ロケ中、安宿で森谷監督が酔っ払って、どうしてそんなに強いのか、
と抱きついてきた。生きるのに必死ですからよ。合掌」
沢木耕太郎が、交友を交えた追悼文を書きていた。
私が最も知りたかった江利チエミとの離婚後の交友が載っている。
読んでいて、胸が熱くなった。
チエミは、アメリカ在住の高倉健が可愛がっていた弟分林にテープレコーダーで、歌を残している。高倉健が弟分を訪ねることを承知だと思う。
曲は9曲だ。全て童謡である。叱られて、月の砂漠、〜赤とんぼなど。アカペラ。
高倉健は、チエミの歌を弟分から聞いたのは間違いなかろう。
どんな思いだったろうか。

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