「致知」(2006年9月号)より、以下、伊與田覺先生(論語普及会学監)と渡邉五郎三郎先生(福島新樹会代表幹事)のお話です。
http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/5e6bdcc039046331065a592de9c9fbf6
世の中には、組織の上下関係以前に人間的上下関係がある、という。きょうは、『孟子』にある「天爵を修めて、人爵がこれに従う」を学んでみることにします。
ここで急にサミュエル・スマイルズの言葉が浮かんできました。スマイルズは、「向上心」のなかで、人格は最も高尚な財産である、と語っています。
【伊與田】
「上」という意味が人によって取り方が違うと思いますね。福沢諭吉翁の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という考え方もあるし、人間関係における組織の上下関係という解し方もある。
しかし僕は、それを超えた人間的上下があると思う。安岡正篤先生は無位無冠の人でした。だがどこに行っても常に上になるのです。これは不思議でしたね。大阪でも地元を代表する大会社のトップが先生と会われましたが、どんなに貫禄ある経営者でもしばらく話をするうちに先生がいつの間にか上になっている。
【渡 邉】
戦争中でも八代太郎大将や大蔵大臣、日銀総裁を務めた結城豊太郎という錚々(そうそう)たる人たちが安岡先生に師事されていた。それが人間の格、品性というものなのでしょうね。
【伊與田】
『孟子』に次のような一節があります。
孟子曰く、天爵なる者あり、人爵なる者あり。仁義忠信、善を楽しみて倦(う)まざるは、此れ天爵なり。公卿大夫(こうけいたいふ)は、此れ人爵なり。
古の人は、其の天爵を脩(おさ)めて、人爵之に従えり。今の人は、其の天爵を脩めて、以て人爵を要(もと)む。
この世には天爵(天の地位)、人爵(人から与えられた地位)というものがある。仁義忠信や善の実践を楽しんで倦まない方は天爵。公や卿、大夫などの位は人爵である。昔の人は自分に与えられた天爵を修めて、人爵がそれに伴っていたが、いまの人たちは人爵にありつく手段として天爵を修める。つまり俺はこれだけのことをしたのだから、これこれの地位を与えられて当然だというわけです。
【渡邉】
天爵を修めて、人爵がこれに従う。これが上に立つ者の姿なのでしょうね。
・・・・・以上。
モラロジー(道徳科学)の提唱者・広池千九郎氏も「人爵でなく、天爵を修めよ」と言われます。以下、転載。
http://ameblo.jp/hitomiepac72/entry-11521478034.html
これは私の尊敬する広池千九郎先生の語録にも注釈がありますが
以下先生はこう書かれています。
最高道徳を実行せんとするに当たりて、その根本原理及び根本精神を表現する主要条件の総括的方法は、まず天爵を修めて、しこうして自然に人爵の加わり来たることを待つのであります。
かくてその天爵を修むると申すことは人類発達の原理に一致するところの純粋正統の学問・知識及び高き品性を具備することであって、すなわち神の心に一致する品性を有するように修養することであります。
かくのごとき品性を有する人は自然に名誉・利益・財産・社会の高き地位もしくは成功を獲得することが出来るのであります。
これすなわちいわゆる天爵を修めて人爵これに従うたのであります。
人間、ひとたび、かくのごとき方法をもって人爵を得たならば、その基礎甚だ堅固にして天変・地災もしくは人禍のために容易に亡ぶることはないのであります。
ですからまずは、神の心に一致するような高い品性を追究し持ち合わせて、また、そのような境地に至れば自然に名誉や社会的地位も得られるであろう。
しかし、現代は、人爵を求める事を優先し、結果として品性の向上どころか人間にももとる行いをしている者が多数いる。
まずは天爵を修めなさい。
そうすれば、
「天変地災,もしくは人禍の為に滅ぶ事はないと」。
しかし、まさに滅ぼうとしているではありませんか。私達は今こそ天爵を修める事を優先したいものです。
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