mixiユーザー(id:8306745)

2014年11月16日14:05

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むしろ、全てのプロレスファンのために(剽窃)。

『ギガントマキア』三浦建太郎著 読了。

『ベルセルク』の続きも書かんで何やっとんねん、と
本屋で見掛けた時は思い、中身をパラパラと
覗いてみると、「巨人物かよ!」と
二匹目の何とやら感に辟易したりしたものの、
その圧倒的画力は無論健在であり、とりあえず
査収してみる。

で、風呂に入りながら読んだのだが。

うっわ、面白い。

「巨人」というキィワードだけで例の『進撃〜』を
引き合いに出して「パクリだ」何だと騒ぐ馬鹿な
ガキは現れるだろうが、そんな白痴は当然無視してよい。

つうか、これって80、90年代に人格形成期を迎えた
奴にとっての「好きな物の詰め合わせ」だ。

文明が進み過ぎたが故の崩壊、なんて枚挙に暇がないし、
ブレーンタイプと格闘タイプのコンビ、なんてのも然り。
主人公が変身(変形?)するフォルムなんて、『進撃〜』よりも
『ガイバー』だろう。視点を変えて、迫害される昆虫民族の
危機の土壇場で現れる巨人、なんて『大魔神』を連想したしね。

ま、ロリだの聖水プレイだの、自分の守備範囲外の
くすぐりも多いが、圧倒的にこの物語で心に残るのは、
その「健全さ」だ。

主人公は、闘技場で娯楽の為の戦闘を強いられて来た者であり、
それが故に虐げられてきた者たちの心を汲む。

その表出として、選ばれたのが何とプロレス。

昆虫族随一の勇者との戦いに勝利を収めた後、
主人公泥労守(デロス)は云う。

「堪えて叩いて己も敵も人々も活かす
それが”烈爽(レッソー)”
やってのけるのが”烈修羅(レスラ)”だって」

と。

いやぁ、これほど美しくプロレスを定義してくれたら、
ファンとしては感涙で御座いますよ。

プロレスという競技が内包する「受ける」という事への
構造的な矛盾は、しばしばこうした作品で採り上げられて来た。
「受ける」為には「意思」が無いと出来ないからだ。

ある漫画で、アントニオ猪木をイメジしたキャラは云った。

「秒殺なんて楽なもんだ」

と。

「受ける」という事はそれが既に意味を孕む。
だからこそ、ひねくれ者たちはプロレスに熱狂してきたのだ。

そして、この作品において「受ける」という事は、
凄まじいまでのシンプルさで、その「意味」を提示する。

この、シンプルさに。

プロレスファンならばやられてしまうだろう。

プロレスという異形の格闘技を愛する全ての人に。

読んでもらいたいなぁ、と思う。


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