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2014年10月18日22:07

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丹波八木城・須知城攻城戦レポ(雲海も)

最近かなり冷え込んできましたね。
私の住む地域ではこの時期になると、かなりの霧が出ます。
今朝もかなり濃い霧が。
そのとき頭の中にある思いが。

「そうだ、山城を、攻めよう。」

今年の5月に丹波八木城を攻めた際、本丸跡から眺めて思ったこと、
「霧の出る季節に来たら、雲海が見れるかもなぁ。」
今こそ雲海を見れるかもしれない絶好のチャンス。
善は急げと城攻めへと出発。
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AM6:30丹波八木城登城口へ到着。城門風のこれは、高速道路の高架トンネル。
このセンス好きですw
丹波八木城は以前に攻略しているので、今回は雲海目当てで
一気に本丸へ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1928012464&owner_id=21015697
※5月の攻城戦レポ日記。
特に苦も無く7時前に本丸跡へ到着。
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期待通りの見事な雲海が眼前に!
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これは竹田城にも負けない雲海だ。
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しばし下界を覆う雲海を眺めていました。
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竹田城は有名になりすぎて人だらけになり風情も何も無くなってしまったけど、ここは私以外誰もいないのでこの絶景を全て独り占め。

ただ、7:30くらいになると、空気が暖められてきたのか霧がだんだん上がってきました。なので、ここらで撤退。

下山して見るとまだ霧が晴れていない。
「・・・もう1つの山城を攻めてみるか。」

向かったのは、京丹波町にある須知城。
京丹波IC近くにある山城で、近くには琴滝という名勝もあります。
実は去年の5月に攻略済みなので、2度目の攻略ですが、
今回須知城からの雲海を見たいのと、何と言ってももう一度アレを
見たかったので。

須知城は南北朝時代に地元領主の須知氏によって築城されたのが最初と言われ、戦国時代末期の天正7年に明智光秀によって攻められ落城し、
そのすぐ後に光秀によって石垣を築く改修がされました。
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他サイト様から拝借した須知城の鳥瞰図。
左側の西の曲輪から侵入します。
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麓から約30分急峻な山道を登ると突然目の前に広い区画が。
西の曲輪と呼ばれているところです。
かなりの広さから建物があった可能性があります。
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西の曲輪の横に巡る帯曲輪。西の曲輪の防御ラインだけでなく、
城内の通路としても使用されていたのでしょう。
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西の曲輪を進むと切岸(人工の崖)にぶつかりさらに奥には石垣が。
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切岸横にある虎口(出入り口)を上がると石垣がありました。
ここは、三の曲輪と呼ばれる場所。いわゆる三の丸ですかね。
石垣は明智光秀が改修したものでしょう。石垣というより石塁と呼ぶ方が
適切かな。
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石垣の横には虎口が残ってます。石垣で固められた堅固なもの。
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虎口を上がるとまた平坦な場所が。ここが二の曲輪。いわゆる二の丸。
曲輪奥にも石垣がありますがだいぶ崩れてますね…
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この石垣の脇にも虎口があり、ここを通ると本丸である主郭に到達します。
主郭虎口は石塁で固められ、枡形という鉤状に折られ、敵がまっすぐ侵入できないようにしています。
だいぶ崩れてしまっているので分かりづらいですが、よく観察すると当時の状態が見えてきます。
かつてはもっと高く1mくらいはあったはず。もしかしたら門があったかも。
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先ほどの本丸虎口を抜けると広い平坦地が。
ここが本丸である主郭部分。城内でも一番重要な中心地であり、一番広い場所。当時は建物が建っていたのでしょう。
そして・・・
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正直期待はしてなかったけど、ここでも雲海を見れて感激。
丹波八木城に上った時間と同じ時間に来たら、もっと見事な雲海が見れたかもしれませんね。
主郭の奥には高い土塁が巡っています。主郭から見たらただの土塁ですが、
下へ回ってみると…
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立派な石垣が。高さ5m長さ30mあまりの高石垣は迫力があります。
明智光秀が須知城を落とした後に前線基地として使用するため
築かせたこの石垣。須知氏が守っていた頃の土だけの城とは違い
堅固な石垣をこの山の上に作らせるその力はさすが織田の家臣といったところでしょうか。
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光秀が造らせたこの高石垣は400年以上の風雪に耐え現在もその威容を見せつけてくれますが、所々外側へせり出している個所があり、上の木を切ったり修復しないといつか崩落する恐れも。
光秀が手掛けた城で光秀時代の石垣が残るのは京北町の周山城や福知山市の福知山城とここ須知城くらいしか残って無いだけに貴重な遺構。
これからもずっとこの迫力のある姿を残してほしいものですが…
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石垣の下には堀切があり、さらに奥にも曲輪や土塁がありますが、
今回はパス。去年は見に行きましたが。
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城跡探索中に遺物を発見。すり鉢の破片ですが、櫛目の本数や入り方から
光秀改修時に城内で使用された頃のものと推定。恐らく備前焼でしょう。
「備前すり鉢投げても割れぬ」と謳われたように備前焼のすり鉢は鎌倉時代からその丈夫さで全国各地で使われました。焼き物の製品は時代によって形が変化するので、時代ごとに並べると編年を追うことができ、それによって時代が判別できるのです。
すり鉢の内側は使用された形跡がありつるつるに摩耗していました。
どんな人が使っていたのだろう・・・
遺物は文化財保護法と須知城に敬意を表して元の場所へ。

須知城は1時間ほど滞在して下山。雲海も見れたし素晴らしい城攻めとなりました。
ただ、さすがに比高差200mの山城を一度に2つ攻略はちょっと疲れましたがw
でもまた雲海を見に登城したいですね。

さて、次はどこの山城を攻めようか。

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