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2014年10月17日19:43

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秋桜。

仕事からの帰宅は、
雨降り以外は一駅歩く事にしている。
ただ歩くのも詰まらないので、歩く為用の
プレイリストをiPodに作り、その時以外は決して聴かない、
という自分ルールを設ける。こういうのを作るのが寧ろ楽しいのかも。

内容は、完全に歌謡曲、演歌、昔好きだったアイドルソングなどなど。
正直、今更ジョグダイヤル回して、きちんと
聴く機会など無い物が多い。そういうのって、
大概一歌手一曲なんで、あっという間に終わっちゃうしね。

で、そんな青春はね心の痣的な曲をこれでもか!と
取り揃えると、これはこれで楽しい。
つうか、嫌いな曲なんて入れて無い訳だし。
もう、血管の中を流れている、くらいの歌ばかりだ。
昨日などは、日も落ちた少し古い住宅街を歩きながら
、大槻ケンヂのソロカヴァー「天使たちのシーン」が
掛かったタイミングで、危うく落涙しそいになってしまった(莫迦)。

そして今日。同じ道を歩いている時、「秋桜」が流れた。
百恵オリジナルではなく、明菜のカヴァー。

昔、遠い昔のガキの頃、この曲が苦手だった。
ま、裕次郎も森山良子も高田みずえも軒並み
暗く感じられたんだが(歌詞が重いんだよ、どいつもこいつも。
今はどなたも大好物ですが)、明菜ヴァージョンの
物悲しさは尋常では無いが。

ふいに、その昔を思い出した。

母親と二人で、恐らくは眼科に通う道すがら、だったか。

カーステレオに入りっぱなしのテープから、
この曲が聞こえてきた。

この曲が嫌いだ、と云ったんだろう。
母親が怪訝な顔をした。その顔に、悲しい曲だからだ、
と重ねた。それに母親は、笑いながら、
「幸せな曲なのに」と答えた。好きな曲だったのかもしれない。

で、今。

そんな事を思い返しながら、「秋桜」を聴いていると。

あの時の自分が、ふいに分かった。

確かに、嫁入り前夜の幸せな歌だ。
若干の寂寞は、それだからこそ、と云える。
だがしかし。

自分は、それを誤解したのではなかった。

この歌で出てくる、「老い」に、
意味の分からない恐怖を覚えたのだ。
そしてそれは、恐らく「死」が垣間見えるからだろう。
それを背に負っている、と云ってもいい。

だからこそ、恐れたのだ。

成る程、これを小学生だった自分は言語化出来なかったのか。

無論、大傑作の歌だ。
嫌いな訳がない。
ただ、少し霧が晴れたような、気がした。

ああ、あの、矢鱈と自分から遠かったからこそ、
恐ろしかった死や老いへの怯えは。

今でもよく分かる。
だが、それと同じベクトルで。

それを良いもの、として理解するようになった今。

ひどく、「秋桜」は、染みた。

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