まだハーレーを駆る前から、『VIBES』 という雑誌を毎月買っていた。
漫画を読む事もほとんどないし、定期的に買う雑誌というものもほとんど初めてに近かった。
首まで刺青の入ったハードコアなハーレー乗りが、手を加えられていない吊るしの単車を小馬鹿にするような路線で編集される傾向が強まりつつあるハーレー雑誌の世界でも、下品な色気全開のこの表紙の雑誌は、乗り手である 『人』 に注目する形で紙面を割いていった。
勿論、個々の意見は尊重しつつも、自分個人としては承服しかねる内容も無かった訳ではない。
それでもやはり、単車乗りたるもの 『かくありたい』 と思う自身の信念を形作るうえで大いに影響を受けたのは事実だと思う。
さて、そんな雑誌に携帯電話で撮った豪騎と単車の写真を送った。
倅と共にこの単車で走るんだと夢に見ていた憧れを、こうして実現できた記念にと送った1枚の写真だった。
すると後日、出版元のスタッフから電話が入った。
『記事を書いて頂けませんか』
かれこれ20年近く付き合ってきた雑誌から、僅かなスペースとはいえ自由に書いてみないかと手招きを受けた。
正直、とても嬉しかった。
かくしてその写真の情景をテーマに、目安として教えられた文字数に合わせて作文に取り掛かった。
とはいえ日本中のハーレー乗りの誰もが知る雑誌に、皆がお金を払って購入する雑誌に、他愛もない自分個人の寝言のような独り言を載せてしまって良いのだろうかと悩んだりもした。
そして結局、普段から思っていた事を定められた文字数に収めるという作業に集中した。
出来上がった文章は、まるで倅達へのメッセージになってしまった。
それでも出版元の担当者は快く受け取って下さり、一文字も足さず引かず、自分の書いたままに掲載してくれた。
ところが、この話には続きが…。
実は自分の記事は、本来先月号に掲載される予定だった。
ところが間際になって担当の方から電話が入り、『申し訳ないのですが、大人の都合で次号にずらしてもいいですか』 と尋ねられた。
正直に言えば嬉しくは無かったが、そこで 『何故ですか』 と尋ねてはなんとも情けない。
そこは堪えて 『もちろん大丈夫ですよ』 と答えた。
ほどなくして10月号が発売され、書店に向かった。
本来自分の記事が載るはずだったスペースには一体どんな記事が載ったのだろう…。
一人の男の写真と、その男の文章が載っていた。
愛する幼い子供達を残して、数ヶ月の後にはこの世を去らねばならない男の生き様と決意の文章だった。
こんなに熱い男が思いを託して去らねばならないなんて、と思うとどうにも耐えられない気持ちになった。
彼には時間がないと知った時、思わず担当の彼に電話をしてしまった。
そしてとうとう発売日の11日。
いつかこの記事を、豪騎や魁盛が読んでくれるかも知れない。
少し照れ臭いし、力み過ぎた反省もある。
けれど思いを届けられたら素直に嬉しい。
本日より第22回 VIBSE MEETING 開幕。
日本中の全ての単車乗りが無事に集い、無事に帰宅できますように。
以下 掲載記事 全文
思い出の浜へ……
『 あちらこちらを転々として過ごしたのに、生まれた町にも育った町にも海はなかった。成人してから暮らし始めたこの町は、遠州灘を臨む砂丘の町だった。
散々苦労して手に入れ育てたものの、自身の器が伴わずに2つの会社を手放した時も、ただ目の前に広がる砂の丘と、その先の広大な海を眺めながら静かに決断を下した。我が子と呼んで憚らない3頭のドーベルマン達を、自分の思い描く理想を追い求めて50キロを上回る頑強な警備犬に育てたのも、この浜での毎日の鍛錬だった。女房と出会い声を掛けたのもこの浜を抱く海洋公園だったし、最初のデートはこの海岸線の先にある伊良湖岬までのタンデムツーリングだった。
やがて、文字通り寝食を共に過ごした犬達が、それぞれ手の施しようの無い重い病に苦しみ、飼い主として己の無力さと不甲斐無さを激しく呪った時も、独りこの浜で悔しさと憤りを諌めた。3年間、毎年春を迎える度に、1頭ずつ別れが待っていた。抱えきれないくらいの思い出と共に彼らの亡き骸を埋葬したのも、同じこの浜になった。この浜から眺めるどこまでも続く水平線の彼方から昇る日の出は、それでも希望を与えてくれたし、夕日が沈む光景は何とも言えず寂しくもあり、心を落ち着けてもくれた。
『もう一度、単車に乗ろう』 と思った。
結婚したり子供が出来たり雇われて生活の糧を得るようになったりと、生活環境が大きく変わって単車乗りでなくなってしまった。文字通り四季の移り変わりを肌で感じながら温泉を目指し、地のものを頂いて腹を満たす生活が遠ざかってしまっていた。それでも倅には真に優しく力強い男らしい単車乗りになってもらいたいと、『豪騎』と名付けた。
単車はいい。孤独は感性を研ぎ澄ますし、四季を感じて日本に誇りを持てるようになる。トラブルに対処する術を身に付け、緊張感の中で自らをコントロールする方法を体得できる。豪騎と次男の魁盛が自分と女房のそれぞれのハーレーを受け継ぎ、単車好きな青年に育ってくれたらと思う。そんな思いから、じきに3歳を迎える豪騎とタンデムする為、ステンレスで専用の台座を作り、自転車用のチャイルドシートを取り付けた。仲間のガレージで単車の整備を始めた頃から、豪騎は『父ちゃんと単車に乗る』と言って保育園の先生にも話すくらい楽しみにしてくれていた。倅を後ろに乗せ最初に向かった先は、いつものあの浜だった。
エンジンを止め、嬉しそうな豪騎を降ろすと、ちょこんと腰かけて犬達の話をし始めた。生まれた時から犬に囲まれて過ごしたのだし、ここへ埋葬した時も一緒にいた。アロンゾ、モニカ、ピタ。それぞれの名前が挙がり、それぞれの話をした。帰り際には『また来るね』と言って、浜に向かって手を振っていた。
倅達に伝えたいことは沢山ある。男としての強さや逞しさは父親が教えるべきだと思うし、優しさや慈しみは母親から学んで欲しいと思う。そうやって人としての幅や奥行き、高さや深さを身に付けてもらえたらありがたい。言葉が無力なタンデムの時間、それでも心が通っているような感覚は、自分達親子にとってとても貴重なものだと感じた。同じ風を、同じ鼓動を感じながら同じ目的地までただ無言で向う。こういう時代だからこそ、スロットルを握る父親の背中越しの景色から、互いに思いを分け合えたら素晴らしいと思う。この日、浜に預けていた父親の思いを、豪騎は幼いながらも拾ったのだと思う。自分の単車は自分で面倒をみる。いつか魁盛も加え、男ばかりで油にまみれ、自分や女房の単車を整備できる日が訪れるかも知れない。今からそれが楽しみでならない。
倅達よ。生きていくのはそれだけで大変なことだ。抗い、そしてもがけ。人生には戦うだけの価値がある。それだけ素晴らしいものが人生だと、父さんは信じている。沢山ぶつかってこい。その先でやがて、父さんと母さんの見た景色と思い出ごと、お前達に託せる日が来る事を願っている。 』
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