平成25年6月28日(金)。
今日の丸美先生は月末の支払いで、郵便局、銀行を巡る。
宝くじ売場を見ると、外れ券を入れているプラスチック・ケースがある。
「外れ券の収集も面白そうだな」
何よりも、お金が掛からないのがいい。
考えておく。
日の長い季節である。
丸美先生は、近くの旧街道の、昨日の続きを歩く事にする。
その後、その旧街道については、インターネットで調べておいた。
役所の観光案内の類はなく、好事家先生のページが役に立った。
川を渡り、私鉄の駅近くに行き、昨日とは逆方向の、南に向かって歩く。
車もすれ違えないような道を行く。
左の広い駐車場の片隅にお稲荷様が2つ並び、フェンスで囲まれていた。
2つなどと数えてはいけないね。
1座とか1社とか、数えるらしい。
豪農の敷地をつぶして、お稲荷様だけが残されたのか。
お稲荷様の周りの樹木も残されている。
場所が場所なので、畑を潰したらしい新興住宅地が多いが、武家屋敷のような門の屋敷もある。
三叉路の中心に石仏があったりもする。
その石仏の写真を写していると、その前の豪農には門かぶりの松があったので、それも写す。
思えば、僅か数百メートル西の、川沿いの自転車専用道は良く歩くのである。
こんな近くに、こんな歴史ある道があったとは知らなかった。
昨日も書いたように、かつては、現在の新幹線や高速道路の役目を担った重要な道である。
けれども、旧・東海道にしろ重要な役目を担った道は、世が移るにつれ、平行する新幹線や高速道路が通じて行くものだが、この道については時代が変わってしまい、平行する国道さえもない。
政権交代は、大昔にもあったのだ。
草に覆われた建物がある。
農機具会社のようだった。
道が鍵型に曲がると、その前の豪農にも、門かぶりの松があった。
交通量の多い県道と交差する。
角にはこの地の名を付けた、お蕎麦屋さんがあった。
立ち食いだったが、近くなので、今度、食べに来よう。
交差点から先は起伏の大きい土地で、高級住宅地の趣になる。
左手に石でできた立派な鳥居がある。
覗き込むと、石段のはるか上にお稲荷様があった。
その右手の石垣の上に、紫陽花が咲く住宅があったので、一緒に写す。
また、道が、鍵型に曲がる。
車がすれ違えないような道なので、運転者どうしが喧嘩をしていた。
どちらかが引き返さないと、どうにもならない。
こんな道でも、馬が充分すれ違う幅として整備されていたのだから、当時は、現在の6車線道路ぐらいの印象だったのだろう。
高級住宅地が終わり、左手に、紫陽花が咲くお寺があった。
右手の民家に小さなお稲荷様があったが、赤い鳥居は、不似合いに大きかった。
左手に神社があったものの、改築中だった。
また、三叉路の中心に石仏があった。
ここは少し広く、木もあって、小さな公園みたいである。
農家交じりの住宅の中を行く。
山を潰した新興住宅地の縁となり、右側には、蔵がある豪農が連なる。
新興住宅地に挟まれるように、左の階段の上にお稲荷様があったが、階段があり、樹木が生える、幅数メートルの所だけが、昔の雰囲気を残していた。
4車線もある街道と交差する。
かつては細道だったが、時代につれて出世したのだ。
新道から外れて昔の雰囲気を残す区間もある。
インターネットで調べると、この街道の愛好者もいるようだ。
「何にでも愛好者がいるのだな」
と、改めて思う。
丸美先生も、一部区間だけ歩いた事がある。
角にはお寺があり、女将さん、と呼ぶのかはしらないが、庭掃除をしていた。
お辞儀をする。
交差点から先も、農家交じりの住宅の中を行く。
新興住宅地の中にもなる。
歩いていて、初めて車がすれ違える道になる。
といっても、だだの住宅街の中の道で、交通量もない。
ラーメン店やファミリー・レストランがある。
この道のためではなく、交差する県道のためである。
ラーメン店がしょぼい店だったので食べたかったが、近くなので、また来る事にする。
二度と来れない地を歩いている気持ちになっているけど、地図を見ると、通っていた小学校の、すぐそばのようである。
役所の有線放送が、聞き慣れた音楽とともに地域情報を流していた。
インターネット情報によると、旧街道は、ここで消滅しているらしい。
紫陽花が咲く、かつては、どぶ川だったみたいな川の左側に沿って歩く。
堤防は垂直だが、降りる所があるらしく、ちびっこが底で遊んでいる。
川の向こうには団地がある。
こちらは山になり緑が茂っているが、向こうには学校があり、運動場がある。
やがて、どちらも人家がなくなる。
整地はされたものの放ったままで、赤土に雑草が茂ったような殺風景な所にも出る。
川が離れ、農家が現れたあたりからが旧街道らしい。
狭い道だというのに、半分がガード・レールで区切られ、歩道になっている所に出る。
歩道の部分は農業用水で、蓋がされている。
農業用水の移動につれ、歩道は右に行ったり左に行ったりする。
左には農家が並び、右には水田が広がる。
この辺りは、一度、歩いた事がある。
その頃は、まだ、農業用水の蓋はなかったと思った。
休館時間のようだが、左手に郷土資料館があった。
特に農家を流用した建物ではないようだ。
右手には新興住宅が並んでいる。
前に歩いた時は、水田だったと思った。
右手に公営団地が広がる。
旧街道は、団地の縁に沿った、道路脇の遊歩道となる。
団地のお客さんを当てにしているらしい飲食店もあるが、近頃の住人層を反映して、アジア系の文字ばかりだ。
今回の旅は、このぐらいに、しておこう。
バス停横に、ショッピング・センターがあった。
二昔前の団地の施設なので、長方形の一階建ての白い建物の中に、申し訳程度の店が並んでいるだけである。
さほど遅い時間でないのに、シャッターが目立つ。
入り口近くに酒屋さんと米屋さんが並んでいるが、壁に掛かった時計にピンと来た。
プロ野球、横浜:DeNAベイスターズのマスコット、ホッシーの図柄だったのだ。
この店は、酒屋さんと米屋さんにしか見えないが、実は、神奈川県ローカルのコンビニエンス・ストア、ベイスターズ・マートだったのだ。
こんな形態の店があったとは。
でも、これが本来のベイスターズ(ホエールズ)・マートの姿で、コンビニエンス・ストア型は、進化型なのかもしれない。
シャッターの一つはラーメン店のようだが、ガム・テープが貼られ、入り口は表ですと筆記されていた。
表に回ると建物に扉があり、白衣の社長がいた。
聞くと、営業中との事だが、どう見ても裏口で、厨房の中を歩かされた。
客席に行けば、何事もない居酒屋風だった。
どうしてシャッター側を開けないのか分からない。
ラーメンを注文する。
お寿司屋さん風のカウンターや座敷席もある。
壁には一面に、社長が釣ったらしい魚拓や、演歌歌手のポスターが貼られていた。
この公営団地には、かつて知人が住んでいて、良く来ていた。
私鉄の駅まで歩く。
この駅を利用するのは、昨年(平成24年)、4月10日(火)の桜見物以来だと思った。
改築以来初めて来た、駅前の大型スーパーで休憩する。
電車で帰る。
文化放送(1134kHz)・受信記録(20:35〜21:10))。プロ野球(ファイターズ対ライオンズ(札幌ドーム))。実況解説(土井元選手、ほか)。提供(西武鉄道。司法書司法人新宿事務所、ほか)。SINPO=44444。
フェイス・ブックを開くと、知人が、プロ野球、ベイスターズ対ドラゴンズ(横浜スタジアム)の観戦に行っているらしい。
ベイスターズは負けたものの、ドラゴンズの山井投手による、無安打無得点試合を生で見たようだ。
ラジオ韓国(1170kHz)・受信記録(21:10〜22:00)。玄界灘(韓国には大熊猫がいない、ほか)。座談会(韓中問題)。SINPO=33333。
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