最終章.4
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もちろん薫とて、ただこうして奴らの言いなりになっている訳ではなかった。
『閉じ込められている』の文字通り、この部屋には窓が天井近くの細長いものと、目張りのされた強化ガラスの小さな窓しかない。
おそらく元々は納戸か何かだったのかもしれない。そのためここからの脱出は、扉以外からは不可能なのである。
しかも、コミュニティスペースのあんな大勢の中、いくら体力に自信があっても一人が敵うはずもなく、予想通りドアの隙間から煙が向こう側の明かりに照らされて、こちらに流れ込んで来るのが分かった。
この扉も何かで破壊する事も出来るが、その場合この得体の知れない煙をマトモに浴びる事にもなる。
その場合、こちらの命の保証もないし、そのまま向こうの計画より前に死ぬのも癪だった。
とりあえずこの煙から少しでも逃れるために、薫は閉じていた目を開き、天井近くの窓を開ける。
温められた空気は軽くなるから、煙が充満した部屋では酸素を確保するために、身を屈めて逃げるのは基本中の基本である。
それから、暗闇の中のためあまり時間の感覚が無いが、時間的にしばらく経ってからだろうか。
扉の向こうから聞こえる大音量の音楽に外の気配まで遮断された中、天井近くの窓を開けているせいか、にわかに空気がざわめき始めたのを感じた。
そしてわずかにキィン!と言うハウリングの音が聞こえた。
「小原学!聞こえるか!!」
『え?!!』
3年前まで、そして帰国して今日まであまりにも聞き慣れたその声に、薫は驚きを隠しきれずにいる。
「小原学!!そこにいるのは分かっている」
拡声器で響く凄味のある声に、今まで隣で奇声を上げていた者たちも悲鳴へと移り、ここから逃げようと言う判断も出来なくなったか、壁に何かを打ち付ける音、そして食器などが割れる音が聞こえている。
ガン!
と、言う音ともに、この角部屋が煌々とした人工的な強烈な光に照らされ、天井近くの細長い窓と、強化ガラスの小さな窓からも差し込んでいる。
小さな窓から外を伺うと、盾を持った警官隊と、後ろには警察車両と刑事たちがずらりと包囲しているのが分かった。
いつの間に・・・。
との驚きが途端に沸き上がるが、隣の大音量の音楽と狂喜乱舞に紛れ、このような警官隊を用意した事には、さすがの薫もこの状況を見て納得がいった。
そして、オバラとモヤシが熟睡し、薫が拘束されている間に感じた人々の気配は、この為に住人たちを避難させていた刑事たちだったことに気づく。
だから何となく騒がしかったのだ。
『だったら、騒ぎを嗅ぎ付けられないようにマスコミの連中を別の場所に追っ払って、警官隊をつかせたのは・・・』
杉下右京でさえ官房長あってのこの方法を、それ無しでやってしまえるような人間を、薫は今のところ一人しか知らない。
『まさか、尊?!』
「大人しくしねえか!」
と、相変わらずの伊丹の怒鳴り声に、拡声器の横からあの、しっかり男性の声ではあるが伊丹よりもいくぶんか高めで、刑事にしては少し細めの声が入り込んだ。
「伊丹さん、代わってくれませんか?」
『あ!やっぱり』
「オバラ・シュウさん。こちらの方がやっぱり聞き慣れているでしょうか?」
優しそうでありながら刺すような尊の言葉に、隣の部屋から聞こえていた多数の声は一瞬ぴたりとおさまった。
が、一瞬間を置きながら再び悲鳴へと変わったそれらの声は、なだれるように出口へと向かい、バン!と、慌てて開けられた扉の音と共にドタドタと足音を立てて廊下へと飛び出す。
「よし!一人残らずそこから出すな!その中に殺害の実行犯も紛れているはずだ」
と、伊丹は今度は警察無線で『一期一会』の隣の部屋に潜んでいた、ガスマスク着用の捜査一課特殊捜査班、『SIT』と、一緒に紛れている警官隊に指示する。
「角部屋にした事が、見込み違いだったな」
そして照らされる部屋を見ながらそうぼそりと呟き、隣に立っている尊をちらりと視線を送り、彼もそれに応えてにこりと口角を上げた。
▽
絶体絶命を感じ取ったオバラ・シュウは、今まで閉めきっていたスペースの窓を開ける。
すると、今まで籠っていたアルカロイドと思われる煙が、開いた玄関によるものか、流れが出来た事により大音量の音楽と共に窓から一斉に溢れだした。
途端に、葉を燻した独特のにおいと、甘い匂いが混ざりあったような奇妙なにおいが、わずかにこちらにも漂っている。
そして、ドラッグパーティーを盛り上げた音楽が切られると、途端に周囲は今までとは違った緊張感に包まれていった。
静けさの中、5分ほど過ぎたところで尊の携帯電話が鳴った。
一斉に視線が尊に向かう中、着信を示す画面には『亀山薫』の文字が表示されている。
「亀吉の奴か?」
「いえ、オバラからでしょう。亀山さんのものはオバラたちに取り上げられているでしょうし、これは確実に僕にかかりますから」
そう応えると、尊は「はい、神戸です」と電話の向こうの主に返事をする。
『ああ、マジで神戸さんにかかった』
と、オバラと思われる男は嬉しそうな声を上げた。
「オバラ・シュウさんで良いよね?」
『そうだよ。今この携帯を使えるのはオレだけだし、大袈裟な事やってくれるよね?』
そう言ってなにやら「ぷっ」と吹き出す。
電話の向こうでは先ほどのやかましい音楽とは打ってかわり、なにやらクラシックのような曲がかかっていた。
ちょうどクリスマスにちょうど良いような、美しいボーイソプラノの歌の入った曲だった。
“Pie Jesu(ピエ・イエズ)”
が、それは全く違うものであると、尊はこのフレーズで悟る。
違う。これはクリスマスに似合う曲ではない。フォーレの『レクイエム』だ。
「それ、レクイエムだよね?」
『ふーん、よく知っているね』
「それくらい知っているよ。有名だもの」
その言葉に、オバラは一つ鼻を鳴らした。そして『しょせんあんたもその程度か』と、呟いた。
この電話はスピーカーフォンで、周りの人間にも聞こえるようになっており、すぐ後ろにいる、いつもは特命係に対して良い顔をしないSIT隊長の吉岡も、苦々しくそれを聞いている。
尊がいなければ、犯人と交渉が出来ないと判断したからだろう。
そしてオバラも当然、尊が電話の内容をスピーカーフォンにしている事も分かっているだろう。
そしてライトに照らされながら、警官隊の先頭にいる『はぐれ刑事にしては年若い』尊の姿をオバラは開いた窓からその目に写すと、「ふう」と息を吐きこう続ける。
『ねえ、神戸さん。クリスマスにレクイエムは似合わないって思っているでしょう?だけど、クリスマスは楽しい日だって誰が決めたの?クリスマスの日だけ戦争をしていても休戦だなんて、ナンセンスだと思わない?だからちょうど良いと思うんだけれど』
「はあ?何言ってるんだこいつ」と、思わず伊丹の口から漏れた悪態に、尊は「静かに!黙って!」と、小声で制した。
「だから君は、クリスマスを滅茶苦茶にしようと考えてるんだ」
『そうだよ。悪いかい?』
しかしオバラはまるで会話を楽しむように、尊の質問に素直に答える。
「ねえ、時々自分以外の他人が楽しそうに笑っているところを見て、憎々しいと思う人がいるけど、どうして?」
『そんなの、そうやっても戦争がなくならないからじゃないか。だから平和ボケの人間を見ていると、ムカムカしてくるんだよ』
「それとこれとはだいぶ話が違うと思うけど」
『だったら、どうして世界中の同じ日に12月25日はやってくるの?どうして同じ日に1月1日はやってくるの?』
「太陰暦を使っているところは違う日になるけどね」
『そう。だからだろ?他の国は皆同じ日なのに、その日だけは国境が無いように振舞うんだ。国境なんてものがあるから戦争になるのに』
「君、頭良さそうにしているけど、現代史分かっていないでしょう。実はその逆だって事」
『ふーん、国民の命を守ることが警察の仕事。だろ?結局あんたもそうなんだ。おめでたいね』
フォーレのレクイエムの中でも“Pie Jesu”は短い。会話の間にも曲は次の楽章に移っている。
近代国家において、国家が自国民を殺す事は普通では考えられない。国どおしの戦争よりも、内戦の方が多いのがこの理由からだ。
しかしそれがあり得たのが中国、カンボジア、イラク、アフガニスタン、スーダン。ソ連、ルーマニア、北朝鮮、そしてサルウィンである。
『しがらみは人を殺しあう』と言う考えは、そこから生まれている。
「そうだよ。僕は日本の警察官だもの。日本国籍を持つ人間が傷つけられるのなら、君の言う理想を持つ者よりも、今傷つけられようとしている在外の日本人の方を取るよ」
『テロリストとでも言いたそうだね。だったらここは本来は公安部の出番で、あんたたち刑事部の出番ではないんじゃないの?所詮は殺されるのは在外邦人だから、公安部はいつも大目に見てくれているのに』
その声を聞くと、尊はその瞳を優しげに変える。
しかし、その奥には冷たく燃え盛る焔が見える。これこそが尊の戦闘モードであり、その恐ろしさを捜査一課7係の誰もが知っている。
「生憎、君は過激派が作ったNPOの代表ではあるけれど、ただの資金集めの開拓のために殺人を犯したブローカーでしかないから・・・」
まさに右京と尊の違いはここにある。
理論的ではあるが、最終的には感情論に持っていく右京であれば、『警察官』だとは名乗っても「僕は日本の警察官だから」とは言わないだろうし、ここで「あなたはテロリストだ」と憤慨するだろう。
そう、この電話の向こうには己のミスのせいで、右京が愛してやまない亀山薫が人質となっているのだから・・・。
その事実を飲み込んで、尊はふっと瞼を伏せた。
「ねえ、オバラさん、人質は元気?」
『人質じゃないよ。客といってくれないか?』
尊に公安部が出るには取るに足らない。と、きっぱりと否定されたオバラは苛立ちを含んでこう答えたが、それは尊の口角を上げる事になる。
「んふ、やっぱりそこにいるんだ」
その言葉に、小原はちっと一つ舌打ちをした。
「お客さんなら、当然電話にもでられるよね?ちょっと替わってくれないかな?あ!もちろんこっちは知り合いなんだから“店員”を出されても意味無いから。あと、君たち色々と枝葉を広げてるけど、痕跡は必ず何処かに残っているもんなんだ。君たちから見れば、“チェーン店”なんでしょう?」
『クソが・・・』
と、オバラは意味なく悪態をつく。
そして今、尊にとって急務なことは薫がどのような状態にあるのか、とにかく彼から聞き出し分析しなければならない。
最終的には突入することになるが、吉岡はその判断を尊に押し付けてきた。
そもそもこれは自分のミスではあるが、元特命係の巻き込まれジンクスを持つ男。こちらも巻き込まれるのはごめんだと言うことなのだろう。
これが失敗した際は人質を危険に晒すのは当然だが、薫は復讐に使うための交渉の道具であり、尊はその標的でもあり、警察と言う『日本国』へ対しての標的でもあるのだ。
が、こうした思想を持つ者は意外に多くいるもので、オバラも言うなれば行動を起こしたら、たまたま犯罪行為として警察の目に留まったに過ぎない。
そうなれば『国家と戦う民間ヒーロー』と言う、マスコミ受けの良い構図の出来上がりだ。
しかし、国家と言う機能あって自分は守られている事に、こうした個人は気がついていないのだ。
『国境をなくす』と、言うのも『侵略』と言う行為を聞こえやすくしたにすぎない。
安易な相手であれば、次に考えられる事は、自分を向こう側に引き入れるように甘言をささやくだろうが、今のオバラにはその選択肢は無いだろう。
「ねえ、君の事は君も分かっていると思うけど、等に調べがついているんだよ。それに、ご丁寧に俺の情報を紹介しちゃっている常連客は、君の事も色々書いちゃっているしね」
『失礼だな。それってプライバシーの侵害だろ。職権濫用って言うんじゃない?』
「それだけの事を君はやっているって事さ。それは一部の人間から見れば、ヒーローのようにも見えるかもしれない」
その言葉に俄にざわつく周囲を尊は右手で制した。
「けれど、君が壊したいそれを破壊した時、君をこうして生かす時間さえも無くなってしまう事を君は理解している?そしてそれは、君が守りたいと思っている人をも滅ぼすって事を」
その問いにオバラは口ごもる。
かつて稀代の革命思想家と呼ばれたテロリスト本多篤人(ほんだ・あつんど)は、『国家を破壊する』と言う行為がどのような事であるかを、内戦地域の最前線で56歳にてようやくそれを理解した。
しかし、あくまで『罪』と、そうでないか否かの天秤しかないはずの杉下さん(あの人)が、『ヒーロー』と称したそれを、どこまで理解していたか今となっては確認しようにない。
ただ分かることは、『国家、国民を守る事』が本来の仕事であるはずの、自分を含めた『官僚』と言う生き物を、杉下さん(あの人)は嫌っていた。と、言うことだろう。
「君のばら撒いたそれも、人を幸せにするものじゃない。それは得体の知れないだけの毒ガスだ。それで君はその国の人たちが、幸せになるとでも思っているのかい?」
それで実際に人が死んでいるのだ。その国の人間が。
『でもそう言うの、あんたたち“大局的正義”って言うんだろ?最大限の犠牲を防ぐために、最低限の犠牲を払う。オレの親父だってそうだったんだよ』
「貴様あ!」
その言葉に、尊の後ろで耐えかねていた芹沢がブチンと切れて前に出、オバラと繋がっているスマートフォンに掴みかかろうとした。が、「芹沢さん!落ち着いて!!」と周りの刑事と尊に肩を抑えられて、息を荒く吐く事になる。
「それが君の大局的正義?宝石輸出に紛れて、脱法ドラッグで外貨稼ぎと言う汚名をつけられてもかい?」
そして再び、オバラは返事が出来なくなる。
「どちらにしろこれ以上踏み込んだら、近いうちに君たちはもっと大きな力に殺される事になるんだよ?過激派の名前で、盾になっていると思っていたかい?」
“そんなの、僕たちが来た時点で分かりきっているだろ?”
尊はあえて、この言葉を口にはしなかった。『公安部』の名前が出た時点で、それは等に分かっていることだと踏んだからだ。
「亀山さんを、解放してください」
そしてその言葉に、窓辺で携帯電話を手にするオバラが、一瞬ゆらりと動揺を見せた。
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フォーレ 『レクイエム“Pie Jesu”』
https://www.youtube.com/watch?v=EKFYDZShkRc
最終章.6に続く
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=1883219&id=1884816271
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