最終章.4−3
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▽ ▽
エピローグ
「神戸、華岡青洲の事だが」
「え?!もしかして大河内さん調べたんですか?」
いつものワインバーにて。
尊は思いがけず飛び出した、強面の年上の友人の言葉に目を丸くする。
今日はこの事について呼び出されたのだろうか?しかしそれならいつものように、監察室に呼び出せば良いことである。
「さっき調書を見た。華岡青洲の母親は、曼陀羅華を飲んで死んではいないぞ」
「大丈夫です。あれからちゃんと訂正しましたから」
確かに尊は金山の手首を掴んだ時、江戸時代の医学者の華岡青洲は、麻酔薬の実際の際に母親はそれによって死んだ。と、言ったが、その後に、
「と、言われたらどうする?」
と、付け加えた。
「実際に死んだのは犬や猫で、だけど妻は本当に失明した。その時姑になる彼の母が、私の方が死ねば良かった。と叫んだのは、きっとフィクションではなくて事実だと思うよ」
チョウセンアサガオの毒には習慣性はない。しかし、毒性のあるものを、ましてや麻酔に使われるようなものを遊びで使うのは言語道断だ。
麻酔薬の量を少し間違えて、目が覚めないままそのまま亡くなった事例などいくらでもある。
「君は毒を甘く見ている。死ななかっただけマシだと思ってないか?」
その言葉に金山はひっ!と悲鳴を上げた。
つまり、それが事実だった。
「それでも下手をすれば脅しになるギリギリだな」
と、大河内は眉間に皺を寄せる。
「だったらそれも、帰ってきたら杉下さんに言ってください」
「そうか。あの人は休職中で、連絡さえもつかないんだな・・・」
「ええ・・・」
そう答えると、尊は急にワイングラスをじっと見つめたまま思いつめたように黙り込む。
大河内が尊をここに呼び出したのは、他でもないこれが理由だった。その様子に、大河内はおもむろに口を開く。
「神戸、お前杉下さんがいなくなったのは、自分のせいだと思っていないか?」
「え?!」
その言葉に、驚いてグラスから顔を上げた尊の目は、案の定揺らいでいた。
「あの人の“絶対的正義”って、一体何なんでしょう?」
それは反発しながらも杉下右京に憧れ、近づきたいとも思う尊が、常に自分に問い続けてきているものだった。
しかしふいに、いつもの『杉下さん』の部分が『あの人』に変わっていることに、大河内は引っ掛かった。
「あの人は、官房長が最期に僕に言ったように『絶対的な正義』を信じる人であるはずなんです。でもあの人は、赤いカナリアの大幹部だった本多篤人の事を彼の娘の前で“ヒーロー”だと言いました。改心していても、起こした罪は消えないはずなのに・・・。それが僕には分からないんです」
ああ、そこか・・・。
それは当然、大河内にも思い当たった。
「それは私にも分からない」
「え?!」
「お前に比べれば、俺はずっとあの人に歳は近いはずだ、しかし俺にも分からないんだ。あの人は1人殺せば殺人だが、100人殺せば英雄と言う考えは持たないはずだ。だが、官房長もそうであったが、その世代そのものの特徴なのかもしれないな・・・」
大河内も、それはそう納得するしかなかった。
「世代・・・ですか?」
「ああ、杉下さんは最後の・・・」
それは俗に言われる『団塊の世代』と言うものだろう。そして杉下右京はその最後の世代だ。その世代の15%の人間が、何らかの形で学生運動や過激派行為に関わっている。
考えてもみれば、常に犯罪に関して厳しいはずの右京が唯一甘い面を見せるのは、いわゆる学生運動がらみの世代の犯罪だ。
神戸尊が時々、特に子供や老人に甘い面を見せるように・・・。
尊のそれが人間的な優しさを感じさせるのに対し、それは彼らにも、彼らなりの正義と信念があったからなのだろうか?
大河内にもそれは全く別のものに見えるが、しかし一種狂気じみているのは共通する。
そして大河内は焦点の定まらない尊の目を見据えた。
「神戸、だからお前が杉下さんになる必要はない。あの人が突然いなくなるのは、いつものことだろ」
「そうなんですが・・・。もう、ここには帰って来ないような気がするんです」
そう言って情けなく笑う。本当にこの男は、杉下右京を愛してやまないのだ。だから覚悟を決めたように大河内もこの言葉を吐く。
「それがあの人なりの正義なんじゃないのか?」
「それって絶対的な?」
「本多篤人が内戦地帯の最前線に身を寄せたように」
「つまり、絶対的正義を探す旅。ですか?」
「だから責めるな。お前のせいではないんだ。神戸・・・」
そう言って、大河内は泣きそうになる彼の髪をそっと撫でた。
そして尊はそれに委ねるように、うつむいたまま顔を上げようとしない。
沈黙・・・。
そして大河内は尊の頭に手をやりながら、それまでの事を思い出してふと思う。
そうだ。彼は聞こえてしまうのかもしれない。死んでいった者や、その周りにいた者の深い部分が。
だから、オフィスビルを爆弾で吹き飛ばし多数の死者やけが人を出させた者を、例え改心していたとしても、その行為をヒーローなどと讚美する行為は、彼にとって耐えられないのだろう。
ましてやそれが尊敬する者だった場合。
そして大河内は思い出したように尊に質問する。
「そう言えばお前のその格好、きっかけは杉下さんに被らないようになんじゃないのか?」
今まで当たり前のように見ていたが、ふと杉下右京がいない今、尊のそのノーネクタイの姿は『神戸尊自身を誇示するためのトレードマーク』のように思えた。
現に彼は特命係に配属されるまで、常に今のようなダークカラーのスーツとシャツではあったがネクタイ姿であり、今も普段はしていないだけで常備している。
その問いに、尊ははっとした表情をみせると、ふと瞼を伏せた。
「もしかしたら、そうなのかもしれませんね。杉下さんに憧れているのに、飲まれないようにしている。おかしな話ですよね」
そう言ってまた涙で潤んだ目を細めて無理矢理笑う。
『愛してやまないあなたに裏切られた』
ストレートに言ってしまえば、そんなところなのだろう。
「愛着があるからだろうな」
「え?」
「以前杉下さんから留守を預かった時は、お前はそんなんじゃなかった」
そう言えばそうだ。配属早々主は休暇で長期留守にして、その時自分はもっと好き勝手やっていた。そして杉下右京を負かす。と息巻いてもいた。
「以前俺は、お前は杉下右京にはなれない、って言ったよな」
「ええ」
「それと同じだ。お前はお前なんだ。神戸。そしてその先もずっと、お前はお前のままでいればいい。どうあがいても神戸尊でしかないんだ。お前は」
その言葉に、尊は少し複雑な表情を向けてそれを返す。
「この前も、同じことを言われました」
「そうか・・・」
「・・・そのとおりですよね」
そう呟くと、少し間を置き尊は決心したように、グラスの中のワインを一気に飲み干した。
▽
次の日、尊はいきなり半休してきた。
当然ながら、特命係の昔からの留守宅の主は自分で入れたコーヒーを飲みながら呆れ顔である。
「おはようございます」
「おはようってもう昼だろ」
いつものように、女性職員がうっとりとしてしまうような、とびきりの笑顔をつけて挨拶をする尊に、角田は壁の時計を指差して返す。
それに「ははは」と、苦笑しながら、尊はいつものように出欠の木札をぱちんと黒字に反す。
「なに、また夜遊びかい?」
以前は遅刻するたびに女遊びとからかわれていたが、完全否定されたために今は『夜遊び』に変わっているが。それでも飲み歩いているのが知れている角田の目の前に、尊は紙袋で視界を遮った。
「お店って10時に開くでしょう?だから遅くなりました」
「何これ」
「嫌ですねえいつものですよ。いつもモカばかりだったでしょう?たまには違うものって思って、今日はエメラルドマウンテンにしてみました。いつもお世話になっていますんで」
紙袋の中身はコーヒー豆である。つまりこの前の捜査資料のお礼と言う訳だ。
「それだけで半休取るか?」
ますます呆れる角田に、尊はまたにこりと笑顔を見せながら、いつものあのセリフを向ける。
「いいじゃないですか。特命係は暇なんですから」
http://www.youtube.com/watch?v=jHOkZzyuUOc
神戸尊の事件簿.1 『季節外れのリコリス』終わり
※華岡青洲のエピソードについては『華岡青洲の妻』を参考にしました。
あとがき
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まとめURL日記
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『神戸尊の事件簿』シリーズURL保管庫
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