最終章.3−3
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▽
「警部補殿、まだ帰っていなかったんですか?」
特命係の部屋の入り口から聞こえるその声に、尊はふと我にかえる。
気が付くとそこにいたはずの角田の姿はもう無く、代わりに立っていたのは伊丹だった。
「杉下さんみたいな事、言われちゃいました」
「ふん、あの女に心ん中見透かされてたってか」
そう言って、一段と静かになった部屋の中を見回す。
そしてすぐ横にある、いつもは見慣れない赤字の木札に目が留まった。
「本当に居ねぇんだな警部殿」
「あの人が突然いなくなるのは、いつもの事です」
そう笑いながら、しかし今はそれを完璧に作れずにいる。
こいつはいつも辛いときに笑ってしまうのだ。そんな笑顔見せても、こっちにはただ痛々しく突き刺さるだけなのに。
「あんなのはよくある悪あがきだ」
「でも・・・実際少なくとも俺が関わって、人が1人亡くなっていますから・・・。だから・・・」
「でも今あんたは、それを防いだろ。あんたがいなけりゃまた同じことになってた」
その言葉に、尊はぶんぶんと顔を横に振り、鋭い目で伊丹を見据えたが、それは声ではなく、目がそう語っていた。
『もう誰も失いたくないんです・・・』
「だから警部殿がどっかでくたばってるかって?んなわけねーだろ。あの警部殿なら墓穴からも蘇って来るだろうよ」
「見えていませんね」
「あん?」
「あの人は、伊丹さんたちが思っているよりも、ずっと弱いんです」
そう言って尊は伊丹を睨み返す。そしてその目に伊丹はギクリとする。
そう言うことなんだな。つまりあの女が言っていた事は。警部殿もこいつに誰にも見せなかった自分の弱さを、見せちまったって事なんだ。
そしてあんたが一昨日言っていた矛盾さえも。
白くてヒョロっちくて死体を見るたびフラフラで、一見頼りないように見えるけれど、その視線は突き刺さるように鋭い。
睨まれた方は蛇に睨まれた蛙のようだ。
でも、うまくは言えないが簡単に言っちまえば、あんたが思っている以上に、みんなあんたの事が大好きなんだ。
だってこのオレが、わざわざ世話なんて焼きに来てるんだ。
オレがこんな事思っちまうほどに・・・。
柄にもない。と、思いながら伊丹は一つ息を吐いて尊に返す。
「でもそれってあんたのせいじゃねぇだろ。あんたが寂しがっていると、他の連中も悲しくなっちまうんだよ」
「・・・」
そう、難しい事は何もない。ただそれだけなんだ。
そして少し沈黙を置いた後、尊は横に置かれたいつも愛飲しているミネラルウォーターのキャップをひねり、一くち口に含んだ。
それを見て伊丹はほんの少しだけ、この年下の警部補の気持ちが落ち着いたのを感じた。
「警部補殿、明日は早くなります。多分一番にガサを入れるんで、へこんでないでちゃんと来てくださいよ」
「分かりました。伊丹さんたちも早く休んでください」
そう言う尊の顔は、いつも通りに戻っていた。
そしてそれを確認すると、「では」と、一言加えて伊丹は特命係の部屋から背を向け、組対五課の部屋から出ていった。
▽
次の朝、ベッドの枕元に置かれたスマートフォンの、けたたましく鳴るベルに尊は目を覚ます。
手を布団からにゅっと伸ばして電話に出ると、電話の向こうの芹沢は興奮ぎみに急かしたてた。
『神戸さん、神戸警部補!やっぱり中毒者が出ました。テレビ見てくださいよ!』
言われるがままリモコンでテレビの電源をつけると、そこには雑居ビルの屋上に備え付けられた、ビルの外観とは少々不釣り合いな建物に、『東京消防庁』の文字をつけた救急隊がなだれ込むところが写っていた。
画面の光はまだ暗い。数時間前の映像か。
その映像に、低血圧特有の、血がまだ全身に行き渡っていない感じから、一気に覚まされる。
ウッドデッキが設えられた屋上庭園には、テラコッタの大きな鉢に植えられたエンジェルストランペットがいくつも並んでいた。
「これって・・・例のダチュラパーティー?」
『そうっす。検査によると食中毒ではなく、アルカロイド系の毒物が検出されたそうで、明らかに毒が盛られたって事で、例のヤマと繋がるって事で捜査本部が警視庁に移されるみたいっす』
やはり、金山俊男の公開限定日記に書かれた『ダチュラパーティー』は、花を愛でるパーティーなどではなかったと言うことだ。
そしてふと、疑問が浮かび上がる。
「でも、よく考えたらチョウセンアサガオの仲間って麻薬指定されていなかったっけ?」
しかし芹沢は尊の疑問に、にやにやとした笑みが見えるようにこう返した。
『いやっすね。それは昔のマンガにそう言うのがあっただけっすよ。あと、公安マークのカルト教団が使ってたんで、そんなイメージがついただけっす』※
その答えに尊は少し息を詰まらせ、気を落ち着つかせるために前髪をかきあげながら、ふうっと深く息を吐く。
やはり彼は罪と言うものを甘く見ていたか。今まではただ悪運が強かっただけで、それはじきに何倍もの代償として跳ね返ってくるものだ。
「分かった、今から行くから。どうもありがとう」
そして電話を切ろうとした時、芹沢は一言加えてきた。
『あ!あと朝御飯はちゃんと食べてきてくださいね。倒れられたら困りますから。俺も先輩も心配なんすから』
“大丈夫ですよ。みんな神戸さんの事が大好きなんですから。”
そんな温かいものが伝わる言葉に、尊は鼻の奥がつんとしていた。
そして、そう言えば、しばらくそんな事さえも俺は気付けずにいたのかもしれない。とも思った。
朝の支度をしながら、右京のもので溢れた、特命係の部屋を思い出しながら思う。
『あの部屋は、杉下さんだけのものでは無いのですか?』
今の自分の立場である『係長代理』と、言うことは、言葉だけでは“あの部屋は留守宅の主の代わり”と言うことだ。
でも、自分が主の代わりで無くとも良い。と、言われる。
“杉下警部だったらどう動くか。ではなくて、神戸警部補ならどう動く?”
『だったら、そうさせてもらいます』
そう思い、買っておいた簡易携帯食を流し込んだ。
▽ ▽
※オウム真理教が洗脳の際に使った幻覚剤が、エンジャルストランペットだった。
その際にヒントになったのが、その当時長期連載されていたサスペンスコミック『BANANA FISH』だと言われている。
最終章.4−1に続く
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