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2012年06月07日23:22

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神戸尊の事件簿.1 『季節外れのリコリス』 最終章.ニホンズイセン.3−2

最終章.3−1
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                     ▽           ▽

東京の冬の始めの昼下がりは、何故か曇り空とそのイメージが被る事が多い。
おそらく上空の寒気と、地面に残った暖気とのギャップが生み出すものであろう。

しかし彼女にとってそれはどうでも良い事で、何故こんな本を借りてしまったのか、彼女は後悔していた。
誰が借りたかのデータは、警察であっても図書館は任意では公開することはあり得ないが、どの図書館にどれくらいの所蔵があり、現在貸し出し中かそうでないかは簡単に検索可能なのだ。
つまり、それで自分に行き着く事はなくとも、何処の図書館で誰かが借りている事くらいは誰でも分かってしまう。

習慣と言うものは恐ろしいもので、それに気付いて彼女は昨日今日仮病して休みを取り、逃走とも言えない行動を取ったのだが。
それは返してしまえばもう終わっている事だ。
が、事もあろうにまた同じ本を彼女は手にしているのである。
『どうかしている』
と、彼女は眼鏡のブリッジを上げると、それを忘れるかのように黙々とその本を開き、リングノートに書き写していた。

昼間の図書館は普段から結構人の出入りも多い。しかも今日は12月3日土曜日であって、世の中休みの人間が多いのである。
おまけに最近は本棚が低くなっているから誰かが来れば丸見えで、隠れる事も出来ない。
しかしここは図書館の奥だ、滅多に人などは来る事はないが、そんな日であるから靴音が近づいてくる事も致し方なく思えた。

フォト


「席、よろしいですか?」

と、靴音の主であろう男の声に彼女は声のする方を見上げる。

「あ!あなたはもしかしてこの前の?」

「やっぱり、偶然ですね」

そう言って微笑むその男は、年上なのだろうが例のガーデニングショップでの見立ての通り、類い稀な美貌の持ち主であった。
容姿だけが良い男性は案外多くいるもので、問題はその他オプションである。
彼のように肌や髪質はもちろんの事、特にまるで仏像のように綺麗な耳を持つ人も珍しい。
その表情に彼女は思わず頬の温度が上がるのを感じる。

「ええどうぞ」

と、ぎこちなく返事をすると、彼は持っていた緑色の合成皮革に金字の分厚い本を机に置き「同じ本ですね」と、彼女に話を投げ掛けた。
しかし彼女は表紙を見ながら、何とも言えない笑みを浮かべる。

「ええ、でもあなたのは入門編ですから」

「え!そうなんだ」

驚いて表紙を見直すその表情が、年甲斐にもなく幼いような気がして彼女は思わずくすりと笑う。
それに少し苦笑しながら、彼はこう返した。

「もしかして薬学部の方なんですか?」

「ええ、薬科大卒なんですが、身近なものの効能に興味が出ましてね。薬剤師なんですが最近はガーデニングに凝っているので。だからあの店でもお会いしたんです」

「ガーデニング。僕も興味があるのでこの前はそれで聞きに行ったんですが、実はサボテンも枯らしちゃうんです。あ、そしたらこんな本を持っていたら変ですね」

と、恥ずかしそうに笑う。
そして可愛らしいとも思うその笑顔に「水をやり過ぎなんですよ。きっと」と、彼女は微笑みながら返した。

「だったらあのガーデニングショップにはよく行かれているんですね」

「ええ、以前から」

そう答えると、何故か彼女は急に声をひそめた。

「でも気の毒ですよね刺されて殺されたのは、あそこの店員じゃないですか」

「え、殺された人ってあの店の店員さん?」

「ええ」

「でしたら、その方とよくお話なんかされたんでしょうか」

その言葉に答えようとして、彼女はその質問の違和感にぎょっとする。
しばしの夢心地を醒まされて、目の前のダークスーツの男の胸元を見ると、そこには縦に開かれた本物なのだろう警察手帳があり、そして身分証としての制服姿の写真と、階級と名前があった。
男が周りからは見えない位置に座ったのはこのせいだった。

「刑事、さん?」

声にならないとはこの事か。途端に自分の声が震えていることに恵美は気付いた。

「警視庁特命係、神戸です」

と、彼は名乗った後、慣れた手つきで綺麗に警察手帳を内ポケットにしまった。

「見えませんね」

「よく言われます」

と、また普段であるなら思わずこちらまで微笑んでしまいそうな笑顔を見せるのだった。
が、もうこの笑顔は佐野恵美にとっては悪魔が微笑んでいるようにしか見えなかった。
『かんべ』なんて、素晴らしく良い名前なのに。

「で、私になんのご用なんでしょう?」

まさか、見破られるなんて。

「ええ。今お話しした事についてもう少し詳しく」

何を言っているのこの人は。

そう混乱する彼女の表情に、彼にとってその顔は等に見慣れたものなのだろう。
席を立つと、彼女の顔を周りから隠すように促す。

「ここで話すのも場所が悪いですから、場所を変えましょうか」

と、佐野恵美は言われるがままこくりと頷いた。
確かにこんな場所では、殺人だの何だのと言う話は出来そうにないだろう。

『殺人』と言う大罪を犯し、しかし妙な自信に溢れていた自分に鏡を向けられる事が、ここまで気力体力を萎えさせるものだとは知らなかった。
刑事というものはもっと、『無駄な抵抗はやめろ』とか言うものではないのだろうか?
そう言ってくれた方が、もっと抵抗してやる。と言う気持ちになれるのに。
しかし先ほど“本物の”警察手帳をつきつけたこの男性の口からは、そのような言葉など吐く気配もない。こう見ているだけなら、彼はいたって普通の人なのだ。

そして案内された場所もいたって普通に、図書館前にある広場であった。
そこで佐野恵美は最後の抵抗にかかる。

「犯人は男で、もう捕まったはずでは?確かニュースでは大きいことがしたいから。とか言っていた若い男だったと思ったけれど」

「いえ、その男は犯人ではなかったんです」

「そう、警察もたるんでるわね」

「ええ、耳が痛いです」

と、彼は少し顔を伏せ気味にして詫びる。当然それも彼女には予想外の行動ではあった。
警察官と言うものは、殺人犯を目の前にしてもこのような態度を取るものなのだろうか?

「それで捜査し直しって事?だったら、こんなところで油なんか売っていないで、犯人を探したらどう?」

「ええ、そうします」

そう言うと尊は一枚の花の写真を内ポケットから取り出し、彼女に見せる。

「この花に見覚えはありませんか?」

「これ、あの女が私に渡した花」

「あの女とは?」

「もう調べはついているんでしょう?もったいぶらないで!野塙菫のことよ!」

「では面識があったことは、認めるんですね」

そう尊が問うと、恵美はぎろりと彼を睨み堰を切ったように話始める。

「今更隠したって無駄でしょう。まったく、冬になるのに鮮やかな花が猛毒のヒガンバナの鉢植えなんて失礼しちゃう!毒のものはいらない。って言っていたのに!」

話すたびに怒りが沸き上がるのか、一言一言に興奮が入り込むのが分かった。

「なのに、いつまでもあの店で働いていて、そしたら家の中このヒガンバナの鉢だらけじゃない。あはは、ヒガンバナだらけだからその通り死人になったのね。しかも婚約しているなんて、御愁傷様」

その言葉に尊は一旦瞼を伏せると、ふう。と、一つ息を吐いた。

「ヒガンバナの鉢だらけで、実際それにも触れた。現場の鉢からあなたの指紋が出ています」

「ええそうよ、でもそれだけでは犯人には出来ないでしょう」

「佐野さん。これ、ヒガンバナではないんです」

「はあ?」

「よく見てください、葉っぱがあるでしょう?」

「でも、葉っぱがあるヒガンバナもあるって聞いたけれど」

「ええ、実際あるんですよヒガンバナにも葉っぱが。だけど出るのは花の後です。それにこの花にはヒガンバナのような強い毒性は無いそうです」

淡々と語る尊の口調に、恵美は口許を歪めると、先ほどの動揺を打ち払うように勝利宣言のような口振りで語りだした。

「ちょっと、そんなのは証拠にはならないでしょう。似たようなものも嫌いだって私は店であなたに言ったはずだし、実際あの女とは言い争ってなんていないし、だから今まで捜査対象にならなかったんじゃないの?」

「ええ、あなたは毒のある植物によく似た形の植物。つまりフェイクも嫌いだと僕に言いました。でしたら、何故あなたはこれを育ててしまったんですか?」

そう彼女に向けたそれは春の花でお馴染みのチューリップの写真。しかも彼女が取り寄せていた頒布会のカタログからのものであった。

「あなたがチューリップを育てていた事は証言も取れていますし、実際球根も見つかりました。チューリップには心臓毒が・・・」

と、説明を始めた途端、彼女は先ほどの勝利宣言から一転突き落とされたように、悲鳴のような声を上げる。

「そう!そうだと思ったけど、エディブルフラワーにも、花びらのジャムだってあるじゃない。あいつはそれを知っていて!」

「食べられる花の事ですね。しかしそれは一部の品種で、一般的には毒と思う方が普通です。誘惑に負けましたか。そして殺した」

その言葉に、恵美はガクガクと膝を震わせ足元をからませ「ええ・・・」と声にならないように吐き出す。尊はその腕をつかんで、彼女が地面に倒れるのを支えた。

「神戸警部補殿〜」

そしてそれを見計らったように、逮捕状を持った伊丹と芹沢が駆け寄ってくる。

「ええ、自供しました」

「ご苦労様です」

その会話に恵美はキッと尊を睨む。

「何よ!最近の警察は色目なんて使う訳?」

「確かに神戸警部補相手ですから言いたい事は分かります。でもそれって、他の刑事だったら脅迫されたって言うんでしょ?」

と芹沢はしたり顔を向けた。

                            ▽

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チューリップ ユリ科 チューリップ属
最近食用のものも出回るが、あくまでそれは食用のものであり、全草に心臓毒であるツリピンを含む。
『ツリピン』と言う名もチューリップからつけられた毒で、球根は傷付くとアレルギー性物質のツリパリンAを生成する。

最終章.3−3へ続く
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