mixiユーザー(id:429476)

2012年04月09日17:21

7 view

ジャクソン・ポロック展

絵って何でしょう?絵画って何?
それを定義つけるのは、きっと難しい。キャンバスに描かれてれば絵?紙に何某かの塗料で描かれていれば絵?

私は、思う。
絵って、きっと感情なんだって。表現したいと言う感情を、紙や壁や何某かのモノに塗り込めたモノなんじゃないかと。
その感情が、相手(鑑賞者)に伝わった時、相手は、ある時は共鳴し、ある時は嫌悪を感じ、ある時はトリップするのであろうと。

久々に、美術展に行って泣いた。
“どの絵”に感動した・・・と言うワケではない。その美術展にあった、絵・・・沢山の絵の感情と熱量と、作家の思いと・・・そんな諸々にあてられ、心が揺さぶられ、私は気が付いたら泣いていた。

私を泣かせた男の名は、ジャクソン・ポロック。アメリカのモダンアートを作り上げたと言われる男。破滅型の人生を送った男である。

東京国立近代美術館で開催中の『ジャクソン・ポロック展』に行きました。ポロックさん、今年で、生誕100周年なんですよ。1912年生まれなんですね、ポロックさん。
で、この100周年の美術展。てっきり、アメリカでもやってるのかと思ったら・・・。何と、日本でしか開催されてないらしい(^_^;)。つまり、生誕100周年を祝っての美術展(回顧展)をやってるのって、日本だけなんだってサ。『ぶらぶら美術・博物館』で美術評論家の山田五郎氏が言ってた。
何で〜!!アメリカ美術のスーパースターじゃないのかよ、ポロック!!アメリカも不況で、それどころじゃないのかなぁ?

因みに。私、知らなかったんだが、ポロックって、日本で、結構初期から紹介されていて、日本でも人気のある画家さんらしい。へぇ〜。ポロックって、印象派クラスタが多い日本じゃ人気ないと思ってたよ。意外!

で、「混んでるかな?」と思ったら、私が行った日は、台風並みの嵐が来る日で(因みに、私の誕生日だった)、そんな春の嵐の日に、呑気に絵を見に来る人は、あんまりおらず、凄く空いててゆっくり見られました。ラッキー♪
でも、5時に外に出たら、大嵐で、ちょっとどうしようかと茫然とした・・・。私の横にいらした外国人の青年も、茫然としていた(^_^;)。あんな強風では、傘など役に立たん!!

客層は、やはり若い人が多い。美大生っぽい男の子とか、オシャレ女子もいた。あと、外国人のお客さんが結構いたのも、「ポロックっぽいね」って思った。アメリカでやらないから、日本に見に来たのかな?

でね。現在、国近さんて、開館60周年記念で、お誕生日の人は観覧料が“無料”!と言う太っ腹なイベントを開催中なのです。で、私は、思いっきり、このシステムを利用させて頂きました。本気でラッキーだった。だって、私、チケット買って見に来ようと思ってたんだもの。そしたら、ぶら美ツイッターで『今、国近は、お誕生日に行くと無料で企画展も見られるよ』って言う情報があって、HPで確認したのである。「身分証明書が必要」とのコトだったので、「写真つきのじゃないとダメなのかな?」と思って、電話したら、「健康保険証で大丈夫です。」とのコトでした。まぁ、免許持ってる人は、そっちのが良いと思うケド。私、免許ないからね・・・。
でも、企画展が無料って、ホント凄いよね。常設無料はまだ分かるケド。因みに。国近さんは、常設の所蔵品もスゲエんだ!でも、今回も時間がなくて、常設展、30分しか時間取れず!(-"-)意地で、靉光の“目のある風景”だけは見て来た。私の大・大・大・大・大好きな絵。
この無料企画。工芸館もOKだし、常設展だけでもOKだケド、企画展を選ぶと、自動的に常設展も見られるので、私は企画展をお勧めします。(工芸が見たい人は、工芸館を選ばないとだケド)

ただ、「お誕生日です」と言って、チケットを貰うと、お誕生日用チケットの為、受付の人から、係員から総出で「お誕生日おめでとうございます。」「お誕生日おめでとうございます。」と言われまくるので、若干こっ恥ずかしいケドな!!でも、そのこっ恥ずかしさを我慢すれば、ポロック展が、無料で見られるぜ!!

無料で見たので、申し訳ないと思い、音声ガイドを借りたのですが、ぶっちゃけガイド借りなくても大丈夫です。ちゃんと説明がある上、殆ど、書いてある説明と同じコトを音声ガイドで言うので(説明読むのが面倒くさい人は、借りた方が良い)。面白かったのは、米米クラブの石井竜也氏が、音声ガイドの案内をやっていたのと、合間合間に流れるジャスが死ぬほど恰好良い!ってコトでしょうか。あ、石井竜也氏は、ポロック大好きなんだそうな。“美の饗宴”って番組のポロック特集にも出てた。

で、知らない人はジャクソン・ポロックって何者?!ってまずなると思うのですが。

生まれは、ワイオミング州。父親は、スコットランド系のアイルランド移民だそうで、その関係でか、各地を転々として、引っ越しを何回も繰り返してるようなあまり裕福ではない家に生まれました。父ちゃんは農場で働いてたっぽい。

で、お兄ちゃんがいて、お兄ちゃん2人も絵を描いてたりしてるから、そういう才能のある家に生まれたのかも知れない。
1928年に手工芸高校に入学して、そこで、既に「芸術家になる!」と決意。で、その後、NYのアート・スチューデンツ・リーグに入学(お兄ちゃんが先に登録した。弟のポロックは、その影響もあって入ったみたい)。で、このアート・スチューデンツ・リーグって、金がかからないんですよ。今もあるらしいのですが。「貧乏な家でも、芸術の才能がある人が、芸術を勉強出来るように」と、入学金が無料で、確か、自分が好きな授業だけ受けられて、しかも、授業料も破格の値段だった・・・と思った。何だろう?芸術サポート学校・・と言うか、そんな感じかな?
で、ポロックさんの家は、前述通り、あんまりお金持ちじゃなかったから・・って言う理由もあって、ここに入っていたみたいだよ。(有名な画家も沢山排出してるんだって。これまた、山田五郎氏が言ってた)

最初は、「彫刻家になる!」と言って、彫刻を勉強してたらしい。今回は、彫刻作品の展示もあった。で、そこでトーマス・ベントンに師事。ベントンがアメリカの情景を描くリージョナリズム(地方主義)と言うモノを提唱していたので、その影響を受ける。このリージョナリズム。所謂オールオーヴァーの絵になってからも、ちゃんとポロックの意識に根付いていて、コレも面白かった。ライダーにも傾倒し、1936年に開設されたシケイロスの“実験工房”にも助手として参加してたんだって。才能は最初からあった・・ってコトなんだね。

でね。ポロックさん。アル中なんですよ。結構重度なアル中。元々、精神状態が大変不安定な方で、おそらく、私同様、不安神経症に悩まされていた人だと思うんだケド。あと、うつ病も持ってたみたい。で、それを取り除くために、酒に逃げ、結果、重度のアルコール依存症になって、コレは、晩年・・・と言っても、ポロックは享年44歳なんだケド・・・まで、彼を悩ませ続けるコトになります。

まず、最初にあったのが、『無題 自画像』。ここで、もう、私のハートは鷲掴みだった。
虚ろな目で、色彩も暗く、陰鬱な表情。見ていて、鳥肌が立つ絵。本当に、何処を見てるか分からない、生気も覇気もない絵・・自画像なんだ。
ポロックは、学校に入る前の絵ってのが、全く残ってなくて、この絵が初期作品になるらしいのだが。もうね、ずっと見てると「コイツ・・・ダメだ・・・死ぬよ・・」って気分になるの。
この頃・・・20歳くらいで描いた絵らしいのだが・・ポロックは既に、結構重度なアル中でした。15歳で酒を覚え、そこからずっと、アルコール依存の日々を過ごすのです。

『女』。コレまた怖い!大股開きの女性の絵。家族の肖像らしいのだが、とうていそうは思えない。おぞましい絵・・と私には映った。ポロックの中で、家族って、どんなモノだったんだろう??

しかし、暫く行くと・・。あれ、穏やかな絵がある。『綿を摘む人たち』。農夫が、綿を摘む姿の絵。牧歌的な絵なのだが。でも、やはり色彩は、暗く沈んでいる。ここでフッと思ったんだ。「コレって、彼が過ごした“アメリカ西部”の色なんじゃないか?」って。
と思った横に『西へ』。おそらく西部の地なのだろう。荒涼とした岩場を、荷馬車が進む。うねるような大気。空は、灰紺の重苦しい空だ。茶色の地面は、如何にも西部的だ。やはり、ベントンの影響があったようである。

ポロックと言って皆さんが思い浮かべる絵って、おそらく、画面いっぱいに絵具を流し込んだような、オールオーヴァーのスタイルのアクションペインティングの絵・・だと思うのですが、コレは、第2次世界大戦後、床に広げたキャンバス一面に塗料をまき散らすと言う独創的なスタイルを思いつき、そこから出発したみたい。それまでは、具象なんですよ。あのポロックさんも。何を描いているか、ハッキリ分かるの。

『頭蓋骨のあるアーチの前でひざまずく人物像』。緑の衣の後姿の人物がしゃがんでいるのだろう。赤茶のアーチの上には2つの骸骨。黄色の背景も鮮やかである。何かの儀式でしょうか?
先ほどの、暗い色彩の絵が嘘のような鮮やかな絵になって行きます。
『コンポジション』なんて、ちょっと岡本太郎を想起させるような絵なんだよ。色彩とか、描き方とか(岡本氏のがユーモアはあるケド)。横を向いて座る女性。馬、ジグザクの文様や、赤、黄、緑、青などの色彩が軽やかに踊りまくる。ネイティブアメリカンの絵みたいにも見える。

ポロックは1930年代に、ピカソを知るのだが、ここで、ポロックは衝撃を受けます。「くそお!アイツが全部やっちまった!」と叫んで、ピカソの画集を投げつけた・・と言う逸話が残ってるくらいなので、ポロックさん、よっぽど悔しかったんでしょうね。
ピカソっぽい絵もありました。無題なんだケド、捩じれて肥大した裸婦。左腕を上げているケド、その腕には裂け目があり、その左腕にも人物の顔のようなモノが描かれている。「人面疽みたい」とも思う。その絵の真ん中には、儀式の文様のような黒い台形と赤い三角形が描かれる。

ポロックさんは『アメリカとフランスの絵画』に出品。この展示には、マティスやブラックが出品していたらしいのだが、ここで、リー・クラズナーと言う女性と出会い、恋に落ちる。クラズナーは、ポロックの絵を見て「この人、才能がある!」と一目で見抜いたらしいよ。
ポロックさんは素面の時は、極度の人見知りだったので、クラズナーが、グリーンバーグと言う評論家を紹介したり、グッケンハイムって言う画商を紹介したりしてたらしい。確かに、ポロックさん、あんまり人が得意そうなタイプには見えんよね(^_^;)。神経質そうだし。

で、前述通り、重度のアルコール依存症&鬱状態の為、精神科へ通院。ユング派の精神分析を受ける。その精神分析に使ったドローイングの展示もあった。(ポロックが「精神分析に使って」って言って持って来たらしい。今も絵を描かせたり、箱庭を作らせる、精神分析方法があるよね)
何かの生き物・・なのかな?ピカソ風の人物。男性器・・かな?蛇っぽいのもいるし、抱き合う男女もいるし・・・。
このドローイング。昔、個展を開いた時に展示したら、「個人の病気の情報を展示するのはマズイんじゃないか?」と言う論争が起きたそうです。因みに、今回のは、絵の案であくまでポロックが「分析に使って」と持って来たモノで、分析用に描いたモノじゃないみたいなんだケド。(分析用に描いたモノもあるんだって。それは、精神科医がコレクションにしてたみたい。有名な画家さんの絵だしね)

1942年に、ポロックさんは、モダンアートを吸収し始めます。そして、前述のグリーンバーグが注目。ここで、ポーリング(流動性の塗料を画面に流し込む技法)が出て来ます。
コレって、ネイティブアメリカンの砂絵に着想を得たんだって。なるほど!って思うよね。絵筆をキャンバスにあてずに描くって面白いな・・って思うケド、砂絵は、撒いて描くじゃない。あれかぁ〜。ポロックは、ネイティブアメリカンの文化が身近だったんだね。
で、他にも、シュルレアリズムではお馴染みの、オートマティズム(自動筆記。無意識に描く)、画面を均質的に覆って行く、オールオーヴァーの技法などを使っていく。

『ブルー−白鯨−』。この『白鯨』って言うタイトルは。ポロックが付けたんじゃなくて、他の人が付けたらしいんだケド、ポロックは、実際、メルヴィルの小説『白鯨』がお気に入りだったそうな。
ミロの影響があるらしいのだが、一面のブルーに、黒と白と黄の波。ちょっと抒情的な感じがするのは、ミロっぽいかも。

この頃、グリーンバーグは手放しで誉める、誉める。「彼は醜く見えるモノを恐れない。どんな言葉で称賛してもしきれない。」とべた褒め。

これまた無題なのだが、私のお気に入りの1枚。黒一色の絵。人の行列のようなモノが描かれているのだが、私には、葬礼の参列者に見えた。その人物の列がところどころに描かれている。暗いけれど・・・ポロックの内面を表してもいるんだろうか?

これまた、無題。黄色の画面に赤、白、黒のポーリングでオールオーヴァーの技法。私には虫が這った跡のようにも見える。その後のポロックの作品の展開を予言する作品と位置付けられているらしい。

ポロックは、こんなコトも言っている。
『私は、自分の感情を表現したいのです。技法は何かを表現する為の手段でしかありません。』とも。
1947年。ポロックは、ついに、オールオーヴァーのポード絵画(塗料を流し込んだ絵画)を確立する。画面は何処も同じような重点を持って、均質的。つまり、ポロックの絵には、本来絵画にずっとあったはずの『中心』がない。コレはかなり画期的。だって、ピカソの絵にも、目が引き寄せられる中心部分はあるんだもん。

『ナンバー11、1949』。コレ、『ぶら美』で、おぎやはぎ小木氏が「チョコミントアイスみたい」って言うから、もう、チョコミントアイスにしか見えない(笑)。モスグリーン、茶、白、銀の塗料が、リズミカルに舞い踊る。コレ、初来日の時に来た2点のうちの1点だってサ。

コレも無題なのだが。ちょっ書道っぽい絵なんだ。草書みたいな絵。黒のポーリングの絵なんだケド、漢字の『しんにゅう(しんにょう』みたいな感じがする。左に修正の後があるので、ポロックは、ただやみくもに描いてたんじゃなくて、ちゃんと構成を考えて描いていたコトが分かる。
コレ、紙が変色して修正が分かるようになったそうな。白い時は、修正あとは分からなかったみたい。

ポロックの言葉。『When I am in my painting(私は絵の中にいる)』。この人、物理的にも本当にに絵の中に入って絵を描いていたんだケド(キャンバスを床に敷いて、その中に入って描いてた)、そうじゃなくて、絵に自分の感情を塗り込めて描いていた・・ってコトなのかも知れない。

『インディアンレッドの地の壁画』。今回の展示の目玉がこの絵。目玉らしく、この部屋には、この絵しか飾ってない!200億の値段が付いた絵サ!イランのテヘラン美術館が持ってます。
元々は、グラー邸内の壁画だったらしい。
茶色、白、黒、グリーン、銀などなど、ポーリングの線が絡み合い、ドリッピング(滴らす技法)の点が跳ねまくる。でも、『ぶら美』でお好み焼きって言うから、私の目には、お好み焼きに見えちゃうよ!(笑)インディアンレッドのお好み焼き(笑)。
あと、私の目には、中央に横倒しの頭蓋骨が見えたので(そう見える部分があるってコトね)、ずっと首を横にして見ていたら、横の外国のお兄ちゃんも私の真似して、首を横に倒して見ていた(笑)。皆さんも、首を傾げたり色々試して見てみてね。新たな発見があるかもです。

『黒と白の連続』。黒一色の連作で、5連作らしい。ポーリング、ドリッピング、スパタリング(まき散らす)などの技法で描かれたリズミカルな黒の絵。本当に、ぶちまけ、流し込み、滴らせる。連作は、切られてバラバラに売られてしまうコトが多く、連作の形で残ってるのは珍しいそうな。連作だから、いくら抽象画とは言え、何となく、構成してあって、繋がってるのは分かる。

『カット・アウト』。オールオーヴァーのポード絵画に、人型のような切られた後があり、その後ろに別のポロックの絵が覗く。ポロックは、具象表現の新たな可能性を模索していて、こうしたみたい。因みに、カットした人型をどうするか考えてるうちに、ポロックは自動車事故で死んじゃったので、1958年に奥さんの指示で、後ろから別のポロック作品を貼り、今の姿になったらしい。

1950年。ポロックは最高傑作を生み出し、時代の寵児となるも、そこに安住できず、方向転換。オールオーヴァーをやめ、ブラックポーリングの具象表現に戻るも、批評家や、人々はそれを、「ポロックの退行である」と言ったそうな。ポロック自信も、新しい表現に自信がなかったのか、「コレ・・・どうなんだろう?」と言う感じでやってたみたい。でも、ステイニング(しみこみ)のような技法も生み出し、新しい絵画の発展がありそうだったのだが、ポロックは、新しい試みを断念してしまう。そして、1954年頃から、制作意欲が衰えて行き、絵が全く描けなくなった。
アトリエに行くも絵は描けず、家に戻って来るの繰り返し。でも、その時付き合ってた若い愛人には「自分は、画家だから、早くアトリエに行って絵を描かなくちゃ」と言っていたそうな。
何かに追い詰められてるようにも見える。元々、精神が不安定で、不安神経症気味の人である。相変わらず、アル中だし。
で・・・結果。
彼は、飲酒運転でスピードを出しすぎ、木立ちに突っ込み、まるで、自殺のような事故死を遂げるのです。

自暴自棄になったのかな・・・。絵が描けなくて、焦って、全部嫌になったのかな?
事故のニュースを伝える新聞記事があったケド、車、逆さまになってたよ。頭蓋骨骨折でポロックは即死でした。

『ナンバー11、1951』。黒に茶の絵。動物っぽい具象のようなモノも見える。ちょっと棟方志功の絵みたいなの。

『ナンバー2、1951』。黒の背景に、黄、茶、緑の三日月のような形の図が浮かんでる。ポロックは月に向かって悪態をついていたらしく、妻のクラズナーによれば「月はポロックにきわめて大きな作用を及ぼすもの」らしい。月の魔力みたいなモノを信じてたのかな?錬金術も好きだったみたいだし、ネイティブアメリカンのアミニズムもポロックは好きだったみたいだよ。神秘的なモノが好きだったのかな?

『ナンバー7、1952』 黒一色の絵。右向きの人物の顔のようなモノにも見える。子供のイタズラ描きに『つる三ハ○○ムシ』で、おじいさんの顔を描くのあるでしょ?私には、それに見えた。
90°回転させると別の顔も見える。どうやら、描いてる時は、上下が定まってなかったらしい。
画面の右上にポロックの足跡もあるの。

『ナンバー8、1951 黒い流れ』。「おや、お久しぶり」と私は絵に声をかけた。だって、この絵、国立西洋美術館にあるんだもん。国立西洋〜の常設展にいつもは展示してあるよ。
薄めた黒い流動性のある塗料。画面中央下に、下向きの顔がある。動物、四角い顔などなど。黒にステイニングの技法が見られる。

ポロックは、有名なオールオーヴァーのポード絵画を4年しかやってなかった・・と言うのに驚いた。コレを作ったのは、ネイティブアメリカンの砂絵、シケイロスの『実験工房』の経験(エアガンや、エアブラシで絵を描いていた)、オートマティズムの影響があったってのも初めて知った。

最後、出口に、ポロックのアトリエ際限があった。精密な写真の床は、一面塗料だらけだ。ここで、ポロックは、必死で絵を描いてたんだろうね。感情をぶつけ、ある時は、傲慢に、ある時は、自信なさげに、絵画と言う表現と格闘していたのでしょう。
あと、ポロックの記録映画も上映してた。ガラスに絵を描いてるポロック。「私は、絵を制御できるし、何を描いているか理解してます。」とインタビューで言っていたが、その反面「私は、自分でも何やってるか分からないんだ。」とも言ってたみたい。

とにかく、熱量と感情に圧倒され、気づいたら、本当に私は泣いていた。ポロリと涙がこぼれた。

事故がなかったら。ポロックは、どんな絵を描いたかな?具象に戻る?オールオーヴァーを続ける?山田五郎氏は「俺は、また、色に戻ったと思うんだ。」と言っていた。
私は、ひょっとしたら、ネイティブアメリカン絵画に近いモノに戻ったかも?とも思うんだ。砂絵を塗料で再現したのがポロックだケド、今度は、砂そのものに何かしたかも知れないよね。それはもう・・・叶わぬ夢になったけれど・・・。

お土産は、ポストカード6枚。もう1枚追加しようと思ったら、5時過ぎたら、サッサと撤収する、商売っ気のなさは、流石国立!(笑)見てる端から、白い布を被せられた。「もう、おしまいだから!とっとと帰って」と言わんばかりに!(笑)
ポストカードも恰好良いケド、コレは、本物を見ないと、良さが分からない。
5月6日まで開催中ですので、ポロックの本気を見たい人は、是非どうぞ。
0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2012年04月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930