12月26日、吉例顔見世興行の千穐楽・夜の部の3幕目は
『 心中天網島(しんじゅう てんの あみしま) 河庄(かわしょう)』だった。
上演時間は95分。
『外郎売』『忠臣蔵』と仇討物が続いた後に、ガラッと趣向を変えて、和事。
さすがによく考えられたプログラムだと感心した。

江戸の荒事と上方の和事
http://hanamichikai.jp/0903.html
和事に関しては、基本的に「心中もの」=優男の悲恋ものが多いことと、
主要な作品名くらいしか知らない銀猫だったが、何も問題はなかった。
なんというか、和事は登場人物の描き方がリアルで、カッコつけたところがない。
人間関係も割とシンプルだ。テーマも恋愛のもつれだから、とっつきやすい。
さらに、どう見ても松竹新喜劇と似ていたのだ!
上方の風土だろうか、明らかに笑いに力を入れている。
現に、愁嘆場以外は隙あらば貪欲に笑いを取ろうとしていた。悲劇なのに…。
「河庄」のあらすじ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/watching125.htm
幕が開くと、北新地の茶屋・河庄を目指して花道から丁稚どんがやってくる。
一見して天才バカボンのようないでたち。落語に出てくる丁稚そのものだ。
ん? あれは、翫雀さん! うそっ、まさか〜っ!
9月にシリアスな義経をやっていたあの人が、今日は藤山寛美に見える。(笑)
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やがて河庄の前に立った彼は「こんにちはァ!」この一声でドッと笑いが起きる。
うわあ

…やるなぁ。イキイキして、とても楽しそうだ。
そりゃ、これだけ "おいしい" (=笑いが取れる)役を演じてるんだもの…。
一方、お茶屋の座敷には、アンニュイを通り越して完全にうつ状態と思しき遊女。
扇雀さんが演じる紙屋治兵衛の愛人・小春だ。翫雀丁稚と好対照を見せている。
お使い丁稚のお約束である「お駄賃催促」まで存分に笑いをとり、翫雀丁稚は
「あの人、気前ええなあ!うちの旦さんが惚れる訳や」とニコニコしながら帰る。
萎れた様子の小春は、丁稚に優しい対応をするものの最後までニコリともしない。
それもそのはず、丁稚が持参したのは治兵衛の女房・おさんからの手紙。それは
紙屋の窮状を訴え、店と子ら達のために治兵衛と別れてほしいと頼む内容だった。
お家さんの気持ちを汲み、小春は治兵衛と別れる決心をし、返事を持たせたのだ。
愛する人の幸せのため、そっと自らを犠牲にする小春の思いやり深さは、感情を
抑えた演技で表現されていた。その真価は、じわりじわりと分かってくる。
続いて登場するのは、花街界隈の嫌われ者、小春を身請すると公言している太兵衛とその友人だ。この二人はリアルに毒々しい連中で、嫌らしさにインパクトがある。
けれど小春は、嫌がるリアクションも控え目だ。茶屋のおかみの方が目立つほど。
さらに、今夜の客である蔵屋敷の御家人が登場。侍を治兵衛と見間違えた太兵衛と
ドタバタ喜劇が下手の方で展開する。小春は上手で、独りひっそり溜息をつく。
太兵衛達を追い払った侍と小春は差し向かうが、小春には全くやる気がない。
そんなところへ、花道からしおしおと登場してくるのは、色男・治兵衛だ。
ここは素晴らしい見どころだった。藤十郎丈演じる治兵衛は、本当に美しかった。
紺の縞物に、桜の花びらを散らした明るい紫の長襦袢。半襟も紺、黒より優しい。
さらに、白緑に染めた手拭で頬かむり。細やかに計算された美しい色合わせだ。
一見シンプルだが絶妙。はんなりという言葉そのもの。
洒落ている。洒落過ぎだ。この男は、やはり家業などほっぽらかしなのだろう。
美しく、女々しい風情の治兵衛は、悩みながらためらいがちに花道を進んでいく。
その様子が、私の座る「1階5列22番 」からはロングショットでよく追える。
花道寄りの席ではこんな風に楽しめない。9月の舞台で体験済みだ。
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「1階5列22番 」はやはり、超のつく特等席……。私はまたしても唸った。
河庄の障子窓から中のやりとりを窺う治兵衛。そのとき小春は、客の侍に向かって
「治兵衛さんに心中の約束を諦めさせるため、これから春まで、あなた様にずっと
私を買い切ってほしい」と頼んでいた。逆上する治兵衛。小春が障子窓に近寄った
チャンスを狙い、腰刀で彼女を刺そうとする。ところが、侍にその手を押さえられ
刀を取り上げられた上、障子を突き破った両手を窓格子にくくられてしまう。
侍は奪った刀をどこかへ隠そうとあたふたする。
その様子を見て、私は思わず(花いけ!)と口走った。床の間に、背の高い寸胴の
花器が飾ってあった。侍はしばらく隠し場所を探しまわった末、思った通り花器の
中に腰刀を突っ込んだ。(ほら、やっぱり!)ドッとお客が笑った。
滑稽にも窓枠に手をくくられて動けない治兵衛は、実に面目ない様子だった。
その上、回り舞台でご丁寧に建物を90度回転し、情けない治兵衛の後ろ姿がよく
見えるよう、正面に晒してきた。
普通なら、この眺めはきっと笑いを誘うこと間違いなし…。
けれど、ここでも藤十郎さんの芸の力は発揮された。
微妙に腰をひねってやや斜に構えた彼の佇まいは、治兵衛の当惑とデリケートな
羞恥心を、柔らかい色気を伴ってナチュラルに表現していた。
だから、治兵衛の間抜けな姿を見ても、客はそれを意識せず、誰も笑わなかった。
治兵衛がくくられているところへ、運悪く太兵衛めらが戻ってきた。
最初は嘲り、やがて「早く借金を返せ、この盗人め」という罵りがきっかけで、
勘違いした野次馬達から治兵衛は袋だたきにされる。それを見て割って入った侍は
治兵衛を救い、太兵衛らを懲らしめる。しかし、侍の顔を見た治兵衛は…。
舞台下手で派手に展開するこのくだりで、客席からしばしば笑いが起こっていた。
けれど、私はちっとも笑えなかった。
他の人達がどうして笑えるのかが、不思議だった。
この状況を見たら、笑ってる場合じゃないでしょう! 私はそう感じていた。
なぜそう感じたのか? それは、私が「1階5列22番 」に座っていたからだ。
舞台上手、私の席から見て真正面に、小春がいた。そこは彼女の定位置だった。
愚かな男達の争いごとから離れた場所で、思い詰めた彼女は悲嘆に暮れていた。
周囲の喧噪をよそに、彼女は孤独だった。
下手の大騒ぎを「動」とすれば、小春は「静」。見事な対比だ。
下手がどんなに激しく変化しても、決してブレない小春がいるから、
この物語はきちんと1本の筋を通すことができていた。
小春の存在は、いわば、悲劇の通奏低音だった。
扇雀さんの演技は、最初から最後まで、本当に抑えたものだった。
それが、私の心にボディブローの如く効いてきた。
私は、可哀想な小春の様子がとても気になり、目を離せなくなっていた。
下手の喧嘩を見ながらも、チラチラと彼女を確認する。もう笑うどころではない。
扇雀さんが、こんな演技をする役者さんだったとは…。
私は驚いていた。
無理もない。思えば、これまで私は新作の喜劇しか見ていなかった。
初めて扇雀さんのファンになったのは、シネマ歌舞伎『人情噺文七元結』だった。
あれは笑わせ方がくどくてテンポが悪く、うんざりした作品だ。
そんな中で唯一光っていたのが、「お前が着ているそいつを質に入れる」と
亭主の文七に着物をひっぺがされる女房役を演じた扇雀さんだった。
次に見たのは、シネマ歌舞伎『大江戸りびんぐでっど』だ。
扇雀さんは、ゾンビの年増女郎を熱演していた。
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あれら、客席を爆笑させる扇雀さんの名コメディエンヌぶりからは、
不覚にも、シリアスな古典のヒロイン姿は想像がつかなかった。
見れば見るほど、小春は難しい芝居だった。
なにしろ動きが少ない。台詞も少ない。大仰に表情を作ってもいけない。
それでいて、舞台上手=すみっこに陣取り、存在感を光らせ続ける必要がある。
出過ぎてしまえば、悲劇のリアリティが失われてしまう。
下手をすると薄っぺらなドタバタ劇になってしまう。
それに、小春がアンカーとなっているお陰で、治兵衛の芝居が引き立つのだ。
いよいよ大詰め。愁嘆場だ。
治兵衛を救い出した侍客は、実は彼の兄であった。正体を知って仰天する治兵衛。
(ここもまた、笑ってはいけない状況なのに思わず笑ってしまう漫才であった。)
「これっ、表で騒いだら外聞が悪いによって」と彼を店の中に引きずり込む兄。
兄は親戚一同を代表し、彼の放蕩を辞めさせるため、河庄に乗り込んできたのだ。
座敷に上がり、兄は治兵衛を必死で説得しようとする。だが、治兵衛は小春の姿が
目に入った途端、怒りと悔しさが爆発して彼女に殴り掛かる。慌てて止める兄。
小春は、治兵衛からどんなに酷い仕打ちを受けても、兄から口を極めて貶められようとも、決して上手の定位置から動こうとせず、二人に背を向け、全身を耳にして
じっと話を聞いている。震える唇を真一文字に結び、目を閉じて。
ときおり、ひどい言葉を聴いて感情がこみ上げてくると、小春は天を仰ぎ見る。
潤んだ大きな瞳が、語り尽くせないほどの思いを訴えている。
だが、彼女は口答えも恨み言も言わず、静かに目を伏せ、ただ深い溜め息をつく。
ひたすら耐え抜くその姿を目の当たりにして、私は涙があふれてきた。
一方、男達は実に勝手なものである。
二人は小春を悪者にすることで、ひとつの結論へと落ち着きつつあった。
兄は治兵衛に小春と縁切りさせるため、起請文を全て破棄することを提案した。
まだ未練たらたらな雰囲気を漂わせながらも、それを了承する治兵衛。
治兵衛が送り続けた起請文を全て返せ、と小春に迫る兄。さすがに抵抗する小春。
兄は手荒な実力行使に出た。小春の貴重品入れを、彼女の懐から腕ずくで奪った。
その貴重品入れには、治兵衛の妻からの手紙も入っていた。
手紙を必死で取り返そうとする小春を振り払い、兄はそれを読み、全てを悟った。
はっと表情を変える兄。段四郎さんの芝居はメリハリが効いていて小気味よい。
兄は居住まいを正して小春の方へ向き直り、それまでとは一変した丁寧な口調で
「こらえてくだされ、小春"どの"… 」と語りかける。それに応じて「これで私の
顔も立ちます…」と小春。
一人つんぼ桟敷に置かれた治兵衛は「何が"私の顔"や!」と激昂して、再び小春に
つかみ掛かる。それを懸命に止める兄。殴られ、揺さぶられ、罵られても、黙って
耐え続ける小春。
ここに至って、私は治兵衛への怒りと小春への疑問が湧いてきた…。
とことん自分勝手で女々しく幼稚で乱暴な治兵衛。女に手を挙げるなんて最低だ!
だいたい、治兵衛が家業と浮気を両立させていれば問題なかったのに。
こんな男のどこに、同性から見ても良くできた小春が惚れ抜いているんだろう?
私なら、こんなタイプは御免被る。相手も気の強い女など願い下げだろうが。(爆
恋と恨みと悲しみに心を引き裂かれ、激情をほとばしらせる治兵衛を眺めながら、
やがて私は気がついた。
ああ、こういう「美しいけど役には立たぬ、ぐずぐずした甘えの強いボンボン系」
こそが『和事の男』なんだわ、と。これが連綿と受け継がれる上方文化なのだと。
確かに、藤十郎さんは『和事の男』の粋を、舞台いっぱいに華開かせていた。
一途に耐え抜く女と泣き乱れる男が放つ色気。これが、上方の美学なのだ。
「カレーの市民」を思わせる三人三様の見得が決まって、幕が閉じた。
三本目でお涙系の芝居も制覇し、私は疲れ切りながらも、大満足していた。
顔見世のプログラムはバラエティに富んでいる上、実に心憎い構成だった。
もうこれで引き上げよう。明日は早い。
芝居はあと2本残っていたが、
私はチビ太と劇場版仮面ライダーを見る約束をしていた。
時計を見ると、まもなく21時だった。
京都の夜は冷え込みが厳しい。
南座を出ると、興奮して火照った頬を刺す空気が心地よかった。
ふと振り返って見上げると、銀色のハロゲンライトに照らされて、
もうすぐ撤去されてしまう まねき看板が、賑々しくそびえていた。
完璧なシンメトリー配置の看板群に、海老蔵が抜けた穴はどこにもなかった。
【完】
【INDEX】坂東玉三郎、その他舞台 / 関連日記
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