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2010年10月24日16:26

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世界はもはや狂ってしまったのだから

『中春こまわり君 1・2』山上たつひこ著 読了。

「あの」である。

「あの」『がきデカ』の帰還である。
いやはや、べっくらした。

我々(と云ってしまおう)30代半ばくらいには
ダイレクトヒットであった狂気のギャグ作品であった
『がきデカ』。

『ブラック・ジャック』『ドカベン』『らんぽう』
そして『マカロニほうれん荘』らと共にチャンピオン
黄金期を築いた、「あの」『がきデカ』。

幾度か描かれた最終回、そして作者の漫画家から
小説家への転身、という事でこんな作品が
世に出るとは、思わなかった。

正直、店頭で初めてみた時は、微妙な心地だった。

「また、半端な続編か」
「設定も何もわやになってしまった筆力の落ちた作家が
また在りし日にしがみつくような作品なのか」

と。

だが、この作品は違う。

比肩する作品は藤子不二雄Aの『劇画オバQ』だろうか。

この作品で、こまわりは何と電機メーカの営業マン。
サラリーマンなのだ。

少年警察官(この設定の不思議さは凄い。単なる自称なのかと
思いきや、時に囚人護送の任務を受け持ったりしていた)の筈だったのに!

妻子がいて、一戸建てに住み、理不尽な上司や嫁姑問題に
思い悩む。

だが、それは彼の(曵いてはこの作品の)退潮には当たらない。

破壊的で無意味なギャグは形を潜めたとはいえ、
時折カマすテンションは相変わらず。

犬が板前をやっていたり、猫が寿司職人だったりという
不条理さも相変わらず。

『がきデカ』が連載された70年代後半から81年から、
世界はあまりにも変貌してしまった。

あの頃と違い、世界は既に自立してはいないのだ。

確固たる有り様を世界が示してくれていた時、
こまわり君の「八丈島のきょん!」や「鶴居村に鶴が来る〜♪」は
カウンタとして有効だった。

だが最早狂えるこの世界で、狂った振る舞いは既に
意味を為さない。

それを証明するかのように、この作品のこまわり君は
明晰で繊細であり、有能だ。

恐ろしいのは、それが「キャラの変貌」ではなく
自然な成長、である処だろう。

あの小学生のこまわり君から、この38歳のこまわり君は
地続きなのだ。

そして、狂える世界へのカウンタとして、彼は
様々な問題に立ち向かう。

確固たる世界を破壊すべくギャグを繰り出していた彼が、
今は破調してしまった世界を一人で修復するべく、
動く。

空白の20数年の時間がこの物語を優秀なビルドゥングスロマンに
変貌させてしまった。

登場キャラも懐かしい人たちが多いが、皆それぞれ大人となり、
常識を持ち、そしてそれぞれ少しずつ上手くいっていない。

彼らもまた、「在りし日」から地続きであり、無理がない。
それがどれほど惨めなものであっても。
それでも、投げ出さず彼らは日々を送っている。

なんだか、随分凄い作品になってしまったものだ。

昔は圧倒的に『マカロニ〜』派だったんだけどなぁ。

あ、余談。

個人的に泣けるほど嬉しかったのが、『光る風』パロ。
主人公 弦の父親とそっくりの風貌と台詞を与えられた
彼の家の仏壇には、弦と光高の遺影が、あった。

あの物語を読んだ人なら、ぐっとくる景色、だと思う。
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