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2010年08月06日10:53

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懺悔の値打ちもない

『「金権編集長」ザンゲ録』ターザン山本著 読了。

ま、ひとつの時代の完全なる終焉、という事で。

週プロ時代から好かなかったので、
思い入れは皆無なのだが、やはり避けては
通れない存在ではあったターザン山本、という
人間がいた。

恣意的な論旨や過剰な特定団体への肩入れ、
またはその逆のバッシング等、良かれ悪しかれ
影響力は強かった。

だが、プロレスの魅力の減退(様々な要因が
あるので、ここでは触れない)が当然それを
取り扱う媒体である専門誌の退潮も招き、
その結果として、カリスマの称号を贈られた
編集長も没落した・・・という図式では。

実は全くない。

ここに記述される内容は、徹底的に
『個人的』だ。

総て、本人に責がある事でしかない。

時代の波と、集団の力(プロレス団体、週プロ編集部、
そして顧客たる観客、読者)が上手く嵌り、
どこまでも高みに登れたからこそ、その波を
喪った時の落差は激しい。

そして、その堕ちる時にこそ人間性は、
顕われる。

そこで著者は徹底的にゲスで小物だった。

彼が数々吐いてきた言葉の矢は、
総て彼の元へと返ってきた。
その事を、徹底して彼は認めなかった。

自分は天才であると信じ込もうとし、
それを担保してくれる周囲の言葉に
溺れ、自らを見失っていく過程は
数冊本になっている日記で克明に
記述されている。

自分の中に蓄積した物はとうに総て売り払い、
新たにインプットする事はなく、自身の全能性のみを
認めてくれる集団を集めて引き篭もる。

「自分は天才だ!」と叫びながら堕落していく姿を
フリークショウを見る感覚で堪能させていただいていたが、
それもこの本で終わりを告げたのだろう。

タカリ好きを日記では「ごっちゃん体質」などと
正当化(出来ていないが)していたが、そんな気質の
人間が、周囲が追い風全盛のプロレス団体で
タカらない筈がない事は判っていたが。

その醜い過程『のみ』がこの本では綴られている。

既に老いさらばえ、体力も無くなったしもとより
金もない。

最後に出した(であろう)本が、当人が
徹底的に批判してきた暴露本であった、という
事がこの人の惨めな人生を総括しているだろう。

本文の中にあった印象的なフレーズ。

「きちんと自分を導いてくれる人がいれば、
もう少し豊かな人生をおくれたのではないか」

・・・そういった言説を還暦も過ぎて述べるのは
あまりにも遅いし、愚かに過ぎる。

結局この人がこの本で行った事は。

『暴露』であって『ザンゲ』ではない。

『他人のせい』であって『自戒』ではない。

・・・判っていた事、だけどね。
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