このエクストリーム日記をやっていて、意外としんどいのがタイトルの設定だ。
お題日記の場合は最初にタイトルが与えられているので心配ないが、
これだとまずテーマをひねり出して、それについて文章を書き出して、
最後に一通り校正・推敲をしながら、タイトルをつけることになる。
この流れは実際の文章屋の作業に近い感じがするので、しんどいのは当然か。
しかし不思議だ。
俺は日記を書いているのではなかったか?
なぜ日記にタイトルが要る?
「お前の書いてんの日記じゃなくね? 日記は毎日あったことを書くものじゃね?」
というツッコミは当然うけるが、それならばなおさらだ。
mixiも、blogも、ほとんどの人が本来の意味での「日記」を書いているのに、なぜかタイトル欄がある。
ふつう日記の頭に記載するのは日付のみで、タイトルや見出しは無い。
歴史をさかのぼってみても、日記エントリにタイトルをつける、というのは例が少ない。
日本初のネカマ旅行記「土佐日記」には日付しかない。
枕草子だとか、十六夜日記なんかも、章題は後からつけられたものが多い。
アンネの日記やゲバラ日記は? 原文を知らないのでわからない。
web日記に限定したらどうだろう?
先行者ネタとweb日記を広めた「侍魂」はタイトルがあるが、
吉野屋コピペを生み出した「Not Found」は日付のみである。
しかし今は、割合でいえばほとんど全ての日記にタイトルがある。
これは不自然なことだと思う。
いわゆるアルファブロガーな人が書く「記事」としてのエントリとか、
俺がこうして書いている「エッセイ」や「レポート」的なエントリには、
読者に訴えるための見出しとして、タイトルが必要だろう。
日記にタイトルが必要だと感じるなら、それは自分の日記に「記事」としての要素を感じているからだ。
しかし、毎日の記録としての日記、友人とのコミュニケーションとしての日記など、
blogやmixiにあふれているほとんどの日記には、タイトルをつける意味が無い。
その日に、その人が書いた、という事実があれば用は足りる。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1057621791&owner_id=242560
↑具体的に言うとこういう感じでも不自由しない。
ケータイのメールを想像すると、この不自然さがわかりやすいかもしれない。
自分が送受信したケータイのメールを見てみるといい。
ほとんどの「件名」は、無意味か、本文の頭(挨拶含む)じゃあないか?
きわめて個人的な要件には、件名は要らない、というか、邪魔だ。
プレビューには本文の最初の部分を利用すれば良い。
「タイトル欄を使わなきゃいいじゃん?」というのもまあその通りなのだが、
強制的に(無題)とかにされるのも不本意である。
せめて、空欄のときは、日付と重なってもいいから「○月○日の日記」と自動的に記入してほしいと思う。
ケータイのメールの件名欄は、えっと、滅びろ!
さもなくば、いまmixiやblogで行われている、私的な日記のエントリは、
皆タイトルの必要ないTwitter/mixiエコーに流れていくであろう。
流れていっても一向に構わないけれど。
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