感覚に依って想起されるイメージは興味深い。
最近、着物をオークションなどで買い集めて、割合充実して帰宅のだが、それによって一番変化したのが、家の『匂い』だ。
防虫剤、樟脳の香りがするようになった。
家の匂いと云うのは、本来自分には感じられない。
自らの発する物と同一であるからだ。
だが、最近は帰宅して扉を開けると真っ先にその違和感が自分を迎える。
そして思うのだ。
「ああ、じいちゃん家の匂いだ」
と。
だが。
その『じいちゃん家』とは何処だろう?
自分には祖父は二人しかおらず、父方の祖父宅は仏壇があり、常に線香の香りがした。
母方の祖父宅は、モダンを心掛けたのであろう洋風建築で(無論、当時としては、なので和洋折衷なのだが)、そのような香りはしなかった。
だが、自分は嗅覚を刺激され、記憶のストックから『じいちゃん家』という連想を引っ張り出した。
つまり、この連想、もっと云えば『思い出』は架空なのだ。
一般的な樟脳の香りに脳が勝手に知識の中から紋切り型の連想を切り取り、『思い出』という体裁を与えた訳だ。
脳というのは、事ほど左様に意味と解釈をしなければならないモノなのだろう。
恐らく。
分からない、解釈出来ない、という事を最も恐れているのが脳なのだろう。
その為に『虚偽の記憶』を捏造する程に。
そして自分は。
そのもっともそうな脳の言い訳に。
安心してしまうのだ。
嘘と知りつつ。
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