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2009年09月08日19:36

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箱・匣・筥

『魍魎の匣』分冊文庫版を再々々々々・・・読了。

気分によって入れ替わるが京極夏彦作品で
ベスト3を常に競る傑作である事は間違いない。

しっかし、凄い作品だ。

本格ミステリのカテゴリに入れていい作品なのか
どうかは考えれば考えるほど分らなくなる。

真相に関わる道具立ては完全にSF。

だが、京極堂の行う憑き物落としは
作中で云う所の『秘密の解明』であり、
これを額面どおり援用すれば、
本格推理でありつつ、オカルト小説とも
云える。

・・・だからこその『魍魎』という訳か。

前作がまだまだスタイルの出来上がる前の
助走段階だとすれば、今作はその結構から
豊穣な成果まで、完璧な傑作と云えるだろう。

初読時に本を両手に抱えて、

「天才だ・・・完璧だ・・・」

などとブツブツ呟いてしまっていた事を
思い出す。

そうなのだ。

久々に現れた小説の天才だったのだ。
京極夏彦は。

本職(?)たるデザイナの性故か
計算し尽された字組み、小説本文に
充溢した奇想、そして全ての果実(伏線)を
収穫しきるその手際まで、これほど鮮やかな
小説を書く人を当時は知らなかった。

この人の初期作品はいつどこで、
どういう風に読み終えたかまで精確に
回帰出来る。

それだけ、鮮烈な印象を残したのだった。

だからこそ、今の状況は口惜しいが。

閑話休題。

今回の再読は、漫画版の第3巻が刊行された
という話しを遅ればせながら聞きつけたので、
それに対する準備という意味合いを持つ。

故に、ヴィジュアル化を意識して
読んでみたが。

これほど恐ろしい物語だったか。

作中、夥しい人間が殺される。

その殺人は大半が実は殺意のない
『結果としての殺人行為』だった。

ここの部分を自分は意識して『避けた』事に
気付いた。

あまりに、過酷だからだ。

想像をする事すら忌避してしまう残酷。

それは、完璧に配置された設計図の中で
非常に淡々とある種無機的にある登場人物の
口から説明される。

その『現場』や『状況』に読者は立ち会わない。

巧妙に迂回させられる。

その為に『動機』の恐ろしさがじわじわと染み出す
構成になっている(この表現は厳密には間違いだ)。

だが、迂回しきれるものではなく。

ある別の登場人物はその場を目撃してしまう。

それが、どのような形でヴィジュアル化されるか。

漫画版の素晴らしい成果は1,2巻を読んだ時点で
保障されたようなものだ。

全く逃げず避けず、描いてくれる事だろう。

そうでなければ、ならない。

小説というヴィジュアル化するもしないも
読者に全て委ねられている媒体ではなく、
画が克明に物語る漫画というスタイルで
この物語を描く事は。

とても、怖ろしい事だ、と今回の
再読でしみじみと思う。

多分、4巻か、遅くとも5巻でその場に
読者も立ち会うだろう。

今から、とても怖ろしく、楽しみだ。


ここまで書いてみて、ふと気付いた。

『映画版はどうしているのだろう?』

『姑獲鳥の夏』映画版のあまりの駄作さに
呆れかえってしまったので、映画版『魍魎の匣』は
綺麗にその存在を無い物としていたのだった。

・・・確かめてみるべきか。

まぁ観ても失望するだけだろうが。

この物語の結構は、二時間という制約のある
映画なんていう『函』には収まり切らないだろうからねぇ。

・・・上手い事云ったつもりか?

ちなみに、劇団『てぃんかーべる』の上演した
『魍魎の匣』はゾクゾクする程の傑作だったので、
二時間の制約、など意味を為さない事は
ハナから承知の上である。

ま、厭味だな。
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