mixiユーザー(id:8306745)

2009年09月05日14:24

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目が覚めてみれば

本日はお誕生日でございました。

・・・35歳かぁ。

なんか、妙に『リアル』な数字だな。

なってみる前は、20、30、40というキリ番の
方が重く感じられるかと思ったが、
案外25、35、45なんて中途半端に
『次』を突きつけられる数字の方が
重たい気がして来た。

・・・まぁ、多分40歳になった時には
また逆な事を云っているだろうな(苦笑)。

考える訳ですよ。

『大人になる』って事を。

同世代の人間皆に聞いてみても誰一人、
『自分が成人たる自覚』なんて物を
持ってはいない。

じゃあ、『大人』ってなんなんだろうか?

勤労して、納税しているって事か。

それは『大人』の条件ではあるが、
絶対的な境界ではない。

ならば、何故こんなに我々は『大人』の
自覚を持てずにいるのだろう?

先人に尋ねてみたい気がする。

「貴方は自覚がありますか?いつ得ましたか?」と。

きっと、鼻で笑われるだろう。

その事が、既にその人が自覚を持っている事の
証左なのだ。

だから、自分はモゴモゴと口籠る。

恐らく、『大人』という概念も社会を
円滑に運営していく為の装置としての
幻想なのだろう。

少年少女の日々から老いて死ぬまでの
日々は地続きで、一気に飛躍するような
『成長』は恐らく存在しない。

その為のイニシエイションや儀式、婚姻などに
よって人は大人となり、社会参画を
否応なく果たす。

だが、その通過儀礼は我々は持ち得ない。

社会もまた、『大人』である事を
要求しない程度に高度なシステムを
構築してしまった。

為に、我々は子供のまま、漂泊するのだ。

そして、時に我が身を振り返る。

このよく出来たシステムの揺りかごの
中で、たまに突きつけられる『年齢』や
『社会貢献』に対する参画状況によって、その
『成人』たる成熟度を。

急にそんな事を云われても困る、ってもんで。

このまま、『大人』という幻想は変質したまま
我々の下の世代へとどんどん引き継がれて行く
のだろう。

誰もが、自覚出来ず、それでも必ず『在る』

大人、という概念に。

まるで闇夜の幽霊を見たかのように。

怯えるのだ。





・・・なんて、辛気くさい日記だ!!

お祝いのメール、メッセくれた方がた。

素直にありがとうございます。

りっぱなおとなになれるようにがんばります(笑)。
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