未成年への避妊具販売を認可するか禁止するかは、しばしば議論になります。たいていは以下の二つが典型になります。
・避妊具を使うような行為を防ぐために販売禁止
・性感染症や予期せぬ妊娠を防ぐために販売認可
私は基本的に後者の考え方です。避妊具あろうがなかろうが、ヤりたいやつらはヤります。「避妊具が入手できないこと」はそれほど効果的ではないのです(道具を与えないことで予防したいなら、ペニスを切り落とすとでもしなければなりません)。従って、避妊具が入手できなければ性感染症や妊娠は増加します。また、低品質の避妊具が地下流通する可能性も見逃せません(さすがに使いまわしは少ないだろうけど…)。
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また、「私は、未成年はセックスしちゃダメですと言いました」は単なる責任逃れであって、それは「刑法があれば警察は不要」というのに似ていると思います。為政者は評論家と違って、実効ある政策を選択しなければならないのです。
きれいごとの持つメリットは確かに認めますが、それはしばしばそれ以上のデメリットを持ち合わせます。きれいごとで責任逃れしたり自己満足する人たちには「ときとして、自分のために社会を犠牲にしていること」を自覚して欲しいです。
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…とはいえ、「自覚して欲しいです」と言ったところでなかなか自覚してもらえるはずもありません。だから、そんな人たちがいる状態の中でできることをやっていくしかないのです。感情的な反発を買うこともしばしばですが、結果的に最善になるような選択をしていくこと。それが責任ある者の役割だと思います。
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